ネット情報の真偽をいかに見分けるか――ネット社会を生きる知恵

ライター
渋井哲也

デマ情報を打ち消すには〝多数決〟が有効

 世界中のサーバーがインターネットにつながり、膨大な情報を手軽に、しかも瞬時に入手できる時代です。そこには個人がメール感覚で何げなく発信する情報も含まれ、多彩なコミュニケーションの場が無尽蔵に広がっています。利便性がある一方で、誹誇中傷やデマ情報など反社会的な情報も簡単に流されてしまう。それがネット社会です。
 我々は、洪水のように押し寄せてくるネット情報を、どのようにして受け止めるべきでしょうか。それにはまず、正しい情報とは何かを考える必要がありますが、多様な価値観があるなかで、何が正しくて、何が間違いなのかを定義するのは困難なことです。もちろん倫理的な面から定義することは可能ですが、倫理観自体も、国や文化で異なりますので、絶対ではありません。
 3・11の直後に千葉の石油コンビナートが炎上しました。このときネット上で盛んに流れたのが「有害物質を含んだ雨が降る」というデマ情報でした。このデマはメールからメールへ、人から人へと伝わり、ネットに比較的無縁な中高年層にも及びました。そして、その後1週間にわたり、多くの人々を不安に陥れたのです。
 また、ある団体に所属する人が罪を犯したとき「この犯罪の実行犯の誰々は、この団体の人だ」といった情報が流されます。それが事実であったとしても個人の犯罪と団体は無関係なはずです。しかし、単純化されたネット情報では、あたかも関係が濃厚であるかのようなニュアンスでとらえられるようになります。団体が個人に指示して行った犯罪なのか、個人の判断なのかまでは触れられないことが多い。このような情報に接したときは、情報を短絡的に受け取らず、事実関係の確認をしていくことが大事です。
 一度ネット上に流されたデマ情報を打ち消すには、大変な労力が必要です。デマ情報に基づいたブログやサイトに、1つ1つ訂正・削除を求めていかなければならないからです。ただし、それには限界があります。
 そんなとき、デマ情報を打ち消す有効な手段は〝多数決〟です。真実を知る立場にいる人たちが「あの情報はデマである」といった情報を流します。デマ情報を完全に消すことはできませんが、情報の真偽を訴えることで、多くの人にデマであることを気づかせることは十分にできます。

フィルタリングが情報の判断能力を奪う

 ネット情報とうまくつき合うには、事実確認ができる情報なのか否かを見極める習慣をつけておくべきでしょう。たとえば「この情報は何月何日付の何新聞の記事から引用したのか」「どこの誰のブログにあった話なのか」などがわかれば、ある程度は真偽の検証は可能です。
 反対に根拠が曖昧な情報は疑ってかかるべきです。「当事者の会社の関係者の人から聞いた話を友人が語っていた」などといった情報は信用できません。
 このように情報の事実確認をするには一定の訓練が必要になります。すべてを疑ってかかるのが最も無難ですが、これでは考え方があまりにも偏ってしまいます。正しい判断をするためには、日ごろから多くの事例を見ておくこと、またときには間違った情報を信じ、その誤りに気づき、そうするなかで正しい判断力を養っていくことも大切だと思います。
 携帯電話やパソコンにはフィルタリング機能があり、その機能を使うと情報を制限することができます。そして18歳までは、親の許可がない限り、フィルタリングを解除できない仕組みになっています。
 フィルタリングの対象は、いわゆるアダルトサイトだけではなく、宗教や政治も含まれています。使用者の年齢によってはお寺という情報さえもシャットアウトされているのです。小学生と中・高校生ではフィルタリングの内容に差が設けられるようになりましたが、私は小さいうちから多くの情報に接して、真偽を確かめるように教育していくことも大事だと考えています。
 もちろん、アダルトサイトなど子どもたちに有害と思われる情報を無批判に与えてしまうのはよくないことですが、無害な情報だけの世界で、幼少期から思春期までを過ごさせることが、大人になってプラスなのかどうかは疑わしい。
 単純に有害情報を見せないだけの対応では、情報への抵抗力がない子どもを育成するだけでしかないと思います。情報に無防備な状態で現実社会のさまざまな情報に触れてしまっては、それを賢明に受け止めることができません。
 親が心配する気持ちも理解できますが、情報の制限は一定の狭い範囲でいいと思います。そして小さいころから少しずつ情報の真偽を見分ける訓練をすることが有効であり、そのための教育があってよいと思うのです。

不安心理からデマ情報が生まれる

 90年代はマスメディアの信用が失われていった時代です。マスコミが書かない事実をミニコミ(自主制作の雑誌)が書くようになり、次にインターネットに真実があるとの思い込みが形成されていきました。権威者が情報を秘匿するからインターネットで暴露し、真実が浮き彫りにされていく。そして内部告発がたやすいこともインターネットの特徴です。
 しかし、世の中に注目されたい人が〝真実と主張する情報〟を流し、アクセス数の多いブログとなっても、そこに真実が書かれてあるのかは疑わしい。当初は真実の情報を提供することで信用を得て、その後、偽りの情報で人々を騙していく手法は、昔からの常とう手段です。
 前述したように、友達から聞いたという話を誰かに伝えると、次の人も同じような文言で他の人に伝えていきます。しかし、その途中で文言や言い回しが変わっていくことは多々あります。
 抽象的な話が具体性を帯び、より事実であるかのように、ときには実名さえも入ってくる。最初と最後で全く違う話になってしまう伝言ゲームと同じ現象が、ネット社会ではよくあるのです。情報を流す人は、どうすれば信用してもらえるのかと考えるので、そこに架空の話が盛り込まれてしまうのです。対面ではなく文章化されると、より内容が膨らんでしまう危険性があります。
 福島原発事故独立検証委員会(民間の事故調査委員会)の報告を、私なりに解釈すると、原発事故の直後、不安な人ほどツイッターを利用したという結果が出ています。一方、グーグルやヤフーを多用した人は、そこから芸能情報を取得した人が多かったそうです。震災直後の情報の収集・提供で、ツイッターが役立ったというのは事実ですが、時間の経過とともに不安感から生まれるデマ情報があふれていきました。そこにあったのは、ただただ不安心理なのです。
 他人から承認してほしいと強く願う人は、同調者や証人を欲するがゆえに、人々の不安感をあおる情報を提供するようになります。その情報に不安を抱える多くの人が飛びつくと、次は〝光が見えるような〟情報を流します。そうすれば多くの人が吸いついてくるようになるのです。
 繰り返しになりますが、まずは情報を選択し、正しい情報かどうかを判断できる力を身につけなければいけません。また当然ながらネット情報だけで判断する必要もないのです。ある情報の真偽を確かめたければ、家族や友人など身近な人と話し合ってみることも大切です。

情報に踊らされない自分の基準を持つ

 メールを送信し、返信がくるまで何分間待てますか。こんなことを気にするのは日本人と韓国人だけらしいのですが、返信までの時間が遅いと余計な不安心理が起こり、情報の判断を鈍らせることもあるのです。若者の間では、一般的に返信時間は5分以内が普通で、10分を過ぎると〝嫌われているのではないか〟という不安感が出てくるといいます。それは男女間だけではなく友人間でも当てはまります。冷静に考えれば、あり得ない話と思うでしょうが、ネット社会に浸って生きていると、よくあることなのです。
 たとえば不安なときに、自分の恋人が自分以外の異性の人と会っていたなんて情報があると、不安感は増長していきます。ふだんならば何も気にしないようなことでも、不安なときには敏感に反応し、より不安に陥るような情報を欲しがってしまうものです。それが人間関係の悪化やイジメにつながっていきます。
 情報は年々多様化し、スピードはさらに増しています。情報のリニューアルはあっという間で、情報を判断するよりも、ついていくのがやっとという状況になっているのが現状でしょう。大量の情報が驚くべき速さで更新されていくことに踊らされていては、正しい判断はできません。そんなときは情報を追うことをいったんやめ、2、3日たってから整理された情報を得ればそれで十分な場合もあります。
 情報に振り回されないためには、自分の基準を持つことが何よりも大事です。それは経験から得る場合もあるでしょうし、確固たる思想と真偽を判断する目を持つことによっても実現できるのです。

<月刊誌『第三文明』2012年5月号より転載>


しぶい・てつや●1969年、栃木県生まれ。93年、東洋大学法学部卒業。「長野日報」社を経て、98年、フリーに。2001年、東洋大学大学院文学研究科教育学専攻博士前期課程修了。インターネット・コミュニケーション、少年事件、ネット犯罪、自傷、自殺、援助交際などについて取材を続ける。主な著書に『実録・闇サイト事件簿』(幻冬舎新書)、共著に『3.11 絆のメッセージ』(東京書店)など多数。てっちゃんの生きづらさオンライン@jugem