コラム」カテゴリーアーカイブ

書評『現代台湾クロニクル2014-2023』――台湾の現在地を知れる一書

ライター
本房 歩

台湾を知れば、世界がわかる

 著者の近藤伸二氏は元毎日新聞の記者で、香港支局長や台北支局長などを歴任。追手門学院大学経済学部教授として教鞭を執った経験もあり、2022年4月からジャーナリストとして活動している。30年以上にわたって、さまざまな立場から台湾社会の動向を取材・研究してきた台湾ウォッチャーだ。
 本書は著者が2014年から2023年まで一般財団法人「台湾協会」の月刊機関紙『台湾協会報』に連載・寄稿した文章を再構成して書籍としたもの。
 この9年間は、台湾が国際社会で存在感を大きく増した時期とも重なる。台湾の内政だけに注目しても、ひまわり学生運動、蔡英文政権の誕生、アジア初の同性婚合法化、ITを駆使した新型コロナウイルスへの対応、半導体製造による大幅な経済成長など、国際的なニュースとなった事例は枚挙にいとまがない。 続きを読む

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第40回 方便⑪

[6]調五事について

 今回は、二十五方便、つまり具五縁、呵五欲、棄五蓋、調五事、行五法の五項目の第四に当たる「調五事」について紹介する。五事とは、食、眠、身、息、心であり、これを適度に調整することが説かれている。
 食と眠は、禅定の時以外についての規定であり、他の三事は、禅定の入定(禅定に入ること)・出定(禅定から出ること)・住定(禅定に留まっていること)の時に関する規定であるとされる。
 食と睡眠については、食べ過ぎたり、食べな過ぎたり、睡眠過多であったり、睡眠不足であったりしてはならないと戒めている。つまり、適度な食事と睡眠が勧められている。健康な日常生活を送るうえでも重要な点であると思うが、止観を実践するうえでも重要なものとされているのである。面白いことに、睡眠は眼の食事といっているが、現代的にいえば、睡眠は脳の食事といったところであろう。
 身、息、心の三事は互いに離れることがないので、合して調えなければならず、「初めに定に入る時、身を調えて寛ならず急ならざらしめ、息を調えて渋(じゅう)ならず滑(かつ)ならざらしめ、心を調えて沈(じん)ならず浮(ふ)ならざらしむ」(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅱ)、493頁)と説かれている。
 最初に禅定に入るときの注意事項として、身体を調えてゆるやかでもなく差し迫っているのでもないようにさせ、呼吸を調えてすべりが悪くもなくなめらかでもないようにさせ、心を調えて沈鬱にもならず軽浮でもないようにさせることが示されている。 続きを読む

書評『実録・白鳥事件』――「51年綱領」に殉じた男たち

ライター
本房 歩

銃殺された警察本部警備課課長

 戦後史に刻印されている「白鳥事件」について、今ではどれくらいの人が知っているだろうか。
 1952年1月21日午後7時42分。札幌市のススキノに近い南6条西16丁目の路上で、自転車で帰宅途中だった札幌市警察本部警備課課長の白鳥一雄(しらとりかずお)警部が背後から何者かにピストルで銃撃され死亡した。
 犯行は強盗目的ではなかった。この日にもらったばかりの給料袋は、手つかずのまま白鳥の上着の内ポケットに入っていた。
 その後、静岡県内で行倒れとなって保護されていた共産党員の情報提供がきっかけとなり、8カ月後の10月1日になって日本共産党札幌軍事委員会委員長だった村上国治が事件の首謀者として逮捕される。だが、拳銃を発射した実行犯ら4人は、密航船で国外逃亡する。
 犯行の準備にかかわったなどとして逮捕された日本共産党員のうち、3人が全面自供に転じたことから、札幌地裁は村上を首謀者と認定して無期懲役の判決を下す。札幌高裁は懲役20年とし、1963年、最高裁は高裁判決を支持して村上の上告を棄却した。
 なぜ、村上ら日本共産党員は警備課長の射殺というテロにおよんだのだろうか。本書のサブタイトルには〈「五一年綱領」に殉じた男たち〉とある。 続きを読む

書評『仏教の歴史』――仏教の多様な歴史と文化を簡潔に伝える入門書

ライター
小林芳雄

言語を軸として仏教の歴史を描く

 フランスの仏教研究の泰斗が、一般読者に向けて書き下ろした仏教の入門書である。非常にコンパクトで平易な言葉で書かれているが、対象としている範囲は極めて広い。
 他の入門書が主にインド、チベット、中国、日本に絞って書かれていたのに対して、本書ではこれまであまり触れられたことがない中央アジア、韓国やモンゴル、さらにはタイやミャンマーの仏教史も解説されている。伝統教団を中心としながらも、現代の仏教に関する記述もあり、この一冊で約2500年にわたる仏教の歴史と思想が概観できる貴重な入門書である。

残念ながら、その意味の「フィロロギー」を翻訳するのに、満足できるような和語がない。ただの「文献学」ではなく、むしろ、文字通りの「言葉を愛する」という根本の意味を表す単語、例えば、「愛言学」あるいは「愛語学」というような表現があれば、と思う。いずれにせよ、私が仏教の思想とその伝播の勉強に乗り出したのは、ある愛言語学的な冒険を始める気構えからであった。(本書12ページ)

 本書の特色をさらにいえば、特定の時代や国や文化に重きを置かず、言語を軸に仏教史を俯瞰した点にある。 続きを読む

芥川賞を読む 第36回『介護入門』モブ・ノリオ

文筆家
水上修一

介護から見えてくる愛情の本質を饒舌体で描く

モブ・ノリオ(もぶ・のりお)著/第131回芥川賞受賞作(2004年上半期)

「YO、朋輩(ニガー)」というフレーズの是非

 モブ・ノリオの「介護入門」は、社会から逸脱した大麻中毒でラッパーの「俺」が、痴呆で寝たきりの実の祖母をかいがいしく介護する物語だ。介護という、いわば人間の善性に頼る部分の大きい営みと、善性などには背を向けたような生き方の「俺」との取り合わせが印象的で、社会的にも話題となった。
 まず最大の特徴がその文体だ。ラッパーが言葉を乱射するような饒舌体で、しかもところどころで筆者はラリっているのではないかと思わせるような非常に混沌として分かりづらい、それでいて感覚鋭い表現が続くことがあり、決して読みやすい文章ではない。また、要所要所でラッパー特有の「YO、朋輩(ニガー)」というフレーズをぶち込んでくるので、読み手によっては嫌味に感じることもあるだろう。しかし、この合いの手のようなフレーズは、言葉が熱を帯びて熱くなりすぎたところに一種の熱さましのように放り込むことで、一呼吸おく役割を果たしている。
 なぜ、あえてこうした文体を選んだのかは想像を巡らすしかないのだが、選考委員の宮本輝は「おそらくこの口調でなければ『介護入門』という小説はごくありきたりな凡庸なものにならざるを得なかったと思う」と述べているように、介護という社会にごく普通に存在する営みを、ラッパーで大麻中毒の息子が実践するという特殊性を強調するためなのだろう。 続きを読む