コラム」カテゴリーアーカイブ

芥川賞を読む 第38回 『土の中の子供』中村文則

文筆家
水上修一

児童虐待を受け続けた人間が見つけ出す光とは

中村文則(なかむら・ふみのり)著/第133回芥川賞受賞作(2005年上半期)

命に対する肯定感

 2度の芥川賞候補(128回「銃」、129回「遮光」)を経て、第133回芥川賞を受賞した当時27歳の中村文則。「土の中の子供」は、約234枚の作品で『新潮』に掲載されたもの。
 主題は暴力。親に捨てられ、孤児として引き取った養父母から、虐待の限りを尽くされ育ってきた主人公の「私」。成人したあとも、あえて自ら暴力に晒されるような生活を送る。生と死の境の中で、なぜ自分は被暴力の中へと突き進んでいくのか、自問自答しながら物語は進んでいく。
 現在の物語の中に、幼少期の壮絶な体験を入れ込んでいくのだが、初めは表層的なエピソードから始まって、次第に核心的なエピソードが明かされていき、主人公が抱えてきたものの深刻さが姿を現してくる。
 精神科医からは、過去のトラウマによって破滅願望があるのだという診断結果を下されていたが、それに違和感を持っていた主人公は、自分が求めているものは何なのかを執拗に自問自答しながら物語は進んでいく。重く息苦しい物語の中で最後に仄かな明るさが遠くに見えるのだが、それは、人間はどんな状況にあっても困難を克服しようとする意思があるということを暗示するものだった。どん底にあっても、最後に得ることのできた命に対する肯定感には、読み終わった後、少し胸が震えた。 続きを読む

沖縄伝統空手のいま 道場拝見 第2回 沖縄空手の名門道場 究道館(小林流)〈下〉

ジャーナリスト
柳原滋雄

もう一つの究道館道場

 土曜日の午前、タイミングよく那覇市役所そばの泉崎道場の稽古を取材することができた。比嘉稔館長夫妻が住むビルの3階が道場スペース兼夫人の琉球舞踊の稽古場となっている。ここには茶帯の中学生も多く参加していた。この日もイギリスから来訪中の8人が稽古にやってきた。
 壺屋の本部道場よりやや狭い。3面に鏡が張られており、道場生が1人1人に「おはようございます」と頭を下げてあいさつする光景が見られた。
「整列お願いします」
 昨日と同じく比嘉康雄7段の掛け声で稽古が始まる。前日、比嘉稔館長はやや体調を崩し、パイプ椅子に座りながらの指導だった。
 最初に準備体操を行う。拳立て伏せ(拳を握ったままでの腕立て伏せ)も行った。
「スリーライン(3列で)」
 基本稽古が始まる。稔館長はやおら立ち上がり、五寸突きの説明を始める。五寸突きは大きな動作ではなく、極めて小さな動作で突きを放つが、見かけよりずっと大きな威力をもたらす。
「ティージクン」
「腰で動かす」
 帰国が迫っているイギリスの門下たちに要諦を教えようとする館長の姿に映った。 続きを読む

沖縄伝統空手のいま 道場拝見 第1回 沖縄空手の名門道場 究道館(小林流)〈上〉

ジャーナリスト
柳原滋雄

現存する戦後最古の道場

究道館の現在の入り口。いまも「比嘉佑直」の名前を降ろしていない

 戦後まもない食うや食わずの日々に、沖縄空手の復興にもしばらく時間がかかった。戦後10年間で那覇市にできた大型道場は長嶺空手道場(久茂地)を嚆矢とし、それにつづく比嘉佑直(ひが・ゆうちょく 1910-1994)の究道館(きゅうどうかん)があった。以来、70年。長嶺道場はすでに取り壊されたが、究道館はいまも同じ場所に残る。その意味では沖縄に現存する最も古い道場のひとつといえるだろう。
 1972年に建て替えられた現在の道場は鉄筋コンクリート2階建て。1階部分の82平米が道場スペースだ。現在、比嘉佑直の子息・比嘉佑治が所有・管理する。入り口をくぐると正面右側に道場に上がるサッシ窓があり、左側に巻藁が4本設置されている。 続きを読む

次期戦闘機をめぐる議論(下) ――首相に語らせた公明党

ライター
松田 明

公明党が求めた「国民の理解」

 3月26日、政府は日英伊の3カ国で共同開発する次期戦闘機の「第三国への輸出」を可能とする方針を閣議決定し、防衛装備移転三原則を改定した。
 なお、「第三国への輸出」については、野党でも日本維新の会と国民民主党は「賛成」の立場を表明している。

日本維新の会の音喜多駿政調会長は記者団の取材に「一歩前進だ」と歓迎。「防衛政策について政府の方針を後押しすべきは後押ししていきたい」と語った。国民民主党の玉木雄一郎代表も会見で「共同開発は賛成だ。相手国とある程度、歩調を取った条件でやらないとこれから相手にされなくなるのではないか」と評価した。(「時事ドットコムニュース」3月26日

 制度上、輸出の容認について国会の審議は必要ないものの、関連する条約案などをめぐって今後、国会での論戦が展開されることになるだろう。
 本稿(上)で述べたように、結論を急ごうとする自民党と政府に対し、昨年末から「待った」をかけ続けていたのが与党・公明党だった。この3月初めの時点でも公明党は首を縦に振らなかった。野党の一部さえ賛成しているにもかかわらず、である。
 公明党は、この問題が日本の安全保障政策の大きな転換になり得ると判断し、なにより国民にも一定のコンセンサス(合意)ができることと、なし崩し的にならないための「歯止め」が必要だと考えていたのだ。 続きを読む

次期戦闘機をめぐる議論(上)――公明党の〝ちゃぶ台返し〟

ライター
松田 明

「武器輸出」をめぐる日本政治史

 日本が英国・イタリアと共同開発を進めている次期戦闘機について、自民・公明それぞれの与党審査が先週終わった。これを受けて政府は3月26日午前、第三国への輸出を認める閣議決定をし、国家安全保障会議(NSC)で運用指針を改定した。

 閣議決定案には、輸出する場合「個別案件ごとに閣議で決定する」と明記した。指針改定案は、国際共同開発品のうち今回は輸出対象を次期戦闘機に限定。輸出先を「防衛装備品・技術移転協定」の締結国に限り、現に戦闘が行われている国には輸出しないとした。(「東京新聞WEB」3月22日

 日本では1967年4月21日、当時の佐藤栄作首相が衆議院での答弁のなかで、次のような「武器輸出三原則」を示した。

戦争をしている国、あるいはまた共産国向けの場合、あるいは国連決議により武器等の輸出の禁止がされている国向けの場合、それとただいま国際紛争中の当事国またはそのおそれのある国向け、こういうのは輸出してはならない。(第55回国会衆議院決算委員会議事録

「共産圏諸国」「国連決議で武器輸出が禁じられている国」「国際紛争(恐れのある場合も含め)当事国」には武器等を輸出しないと答弁したのだ。 続きを読む