第45回 正修止観章⑤
[3]「2. 広く解す」③
(3)「2.3. 位を判ず」
ここでは、ごく簡潔に「此の十種の境は、始め凡夫の正報自り、終わり聖人の方便に至る」(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅱ)、522頁)と述べている。第一の対象界である陰・界・入境が凡夫の正報(過去世の業の果報として受けるので正報といい、衆生の身心をいう)といい、第十の菩薩境が聖人の方便とい言われているのである。
(4)「2.4. 隠顕を判ず」
この段には、ある対象界が現れるか、隠れるかについて述べている。具体的には、「陰・入の一境は、常に自ら現前す。若しは発するも、発せざるも、恒(つね)に観を為すことを得。余の九境は発せば、観を為す可きも、発せずば、何ぞ観ずる所あらん」(『摩訶止観』(Ⅱ)、522頁)と述べている。
すでに述べたが、五陰・十二入の一つの対象界だけがいつも目の当たりに 存在しており、生じても生じなくても、常に観察することができる。ところが、その他の九種の対象界は生じれば観察することができるが、生じなければ観察できないとされる。 続きを読む