コラム」カテゴリーアーカイブ

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第48回 正修止観章⑧

[3]「2. 広く解す」⑥

(7)灌頂による十六の問答①

 さらに、その後、灌頂の「私料簡」(個人的に問答考察すること)の段があり、十六個の問答がある。順に紹介する。

①第一の問答:十種の対象界の十について

 法(存在者)は塵や砂のように数が多いのに、対象界はどうして十種と確定しているのかという質問が立てられる。これに対して、『華厳経』の「一つの大地がさまざまな芽を生じることができるようなものである」(※1)という比喩を引用して、十という数はちょうど詳細でも簡略でもなく、内容をはっきり理解し易くさせるために十種というだけであると述べている。 続きを読む

世界はなぜ「池田大作」を評価するのか――第9回 音楽芸術への比類なき貢献

ライター
青山樹人

――ヨーロッパ訪問中の創価学会・原田稔会長が、10日午前、バチカン市国のアポストリコ宮殿で第266代フランシスコ教皇と会見しました(『聖教新聞』2024年5月12日付)。

青山樹人 小さなテーブルをはさんで教皇と会長が親しく語り合う様子が、バチカンのメディアでも報道されていました。教皇は世界に12億人以上の信徒がいると言われるローマ・カトリックの最高指導者であると同時に、バチカン市国の国家元首でもあります。
 したがって通常、謁見は集団で短時間となることが多いのですが、今回は個別会見で30分におよぶ異例の語らいだったようですね。フランシスコ教皇は核廃絶や環境問題、宗教間対話にも真剣に取り組んでいることで知られています。
 2017年11月、ローマ教皇庁が主催した「核兵器のない世界について語るバチカン会議」では、SGIもこの会議開催の協力団体となりました。会議には池田博正SGI副会長らが出席し、この折に教皇とも対面しています。

 池田先生の逝去にあたっても、フランシスコ教皇からは弔意が寄せられています。そのなかで教皇は「池田氏がその長いご生涯において成し遂げられた善、とりわけ、平和、そして宗教間対話の促進に尽力されたことを、感謝とともに記憶にとどめております」と述べています。 続きを読む

芥川賞を読む 第39回 『沖で待つ』絲山秋子

文筆家
水上修一

同期入社の男女の友情を爽やかに切なく描いた名作

絲山秋子(いとやま・あきこ)著/第134回芥川賞受賞作(2005年下半期)

純文学に対する見方が変わる

「芥川賞作品にもこんな作風のものがあるのだ」と妙に感心した。純文学と呼ばれるもの、なかんずく芥川賞作品に見られがちなかなり特殊な世界の話ではないし、難しいテーマでもない。多くの人が経験しているであろうことを平易な文章でさらりと描いて見せて、読後に爽やかな感覚を残していく。「ああ、おもしろかった」と思いながら本を閉じると、心の奥がほんの少し温かい。
 選考委員の河野多恵子は、

純文学まがいの小説くらい、くだらない読物はない。そういうものを読んで純文学はつまらないと思い込んできた人たちに、この作品で本物の純文学のおいしさを知ってもらいたくもなった

と絶賛している。
 第134回芥川賞受賞作、絲山秋子の「沖で待つ」が描いているものは、仕事を通して生まれた異性の友情である。なかんずく同期という特殊な人間関係の持つ絆の強さが鮮やかに描かれている。 続きを読む

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第47回 正修止観章⑦

[3]「2. 広く解す」⑤

(6)「2.6. 互発を明かす」③

②雑・不雑

 不雑とは、一つの対象界を生じてから、あらためて他の一つの対象界を生じるというように、明確な区別があるような対象界の生じ方を意味する。これに対して、雑とは、陰入(五陰・十二入)の対象界を生ずるとすぐに、別の煩悩を生じたり、煩悩がまだなくならないうちに、別の業・魔・禅・見・慢などがかわるがわる生じたり、二つ重なって生じたりする場合をいう。

③具・不具

 具・不具とは、対象界の十の数がすべて備わるのを具と名づけ、九以下を不具と名づけるとされる。上に述べた次第・不次第や雑・不雑についても、具(十の対象界がすべて備わること)・不具(九以下の対象界が備わること)を論じる。 続きを読む

本の楽園 第185回 ミッキーは谷中で六時三十分

作家
村上政彦

 気になる作家がいて、一度作品を読んでみようとおもうのだけれど、なかなか手に取る機会がない。いや、機会はつくるものだから、手に取るまでの関心が動かないというべきだろうか。
 では、その作家が嫌いなのかと訊かれると、読んでないのだから応えようがない。やはり、手に取る機会がない、としかいいようがないのだ。そういう作家のひとりが、僕にとっては片岡義男だった。
『スローなブギにしてくれ』で野生時代新人賞をもらってデビューした作家ということぐらいしか知らなかった。この小説を原作にした映画もTVのロードショーで観た。映画は率直にいって、あまりおもしろいとはおもわなかった。
 いつもの僕なら原作を取り寄せて比べてみるぐらいのことはしただろう。けれど、このときは、そうしなかった。なぜだかは分からない。それからもう30年近い歳月が流れている。
 そして、最近になって、発作的に片岡義男の小説本を買った。『ミッキーは谷中で六時三十分』だ。これは明らかにタイトル買いだった。見た瞬間に、買わなければ、とおもった。 続きを読む