コラム」カテゴリーアーカイブ

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第62回 正修止観章㉒

[3]「2. 広く解す」⑳

(9)十乗観法を明かす⑨

 ③不可思議境とは何か(7)

(5)一念三千②

 さらに、一念心(一瞬の心)と一切法の関係を、「生」、「含」という用語で捉えることについて、次のように説明している。

 今の心も亦た是の如し。若し一心従り一切の法を生ぜば、此れは即ち是れ縦なり。若し心は一時に一切の法を含まば、此れは即ち是れ横なり。縦も亦た不可なり、横も亦た不可なり。秖だ心は是れ一切の法、一切の法は是れ心なり。故に縦に非ず、横に非ず、一に非ず、異に非ず、玄妙深絶(げんみょうじんぜつ)にして、識の識る所に非ず、言(ごん)の言う所に非ず。所以に称して不可思議境と為す。意は此に在り、云云。(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅱ)、576頁)

と。ここでは、一心から一切法を生ずる場合を縦とし、心が同時に一切法を含む場合を横とし、そのうえで、縦も横も否定している。そして、心は一切法であり、一切法は心であると述べ、一心と一切法との関係は縦でもなく横でもなく、同一でもなく相違するのでもないとしている。これを奥深く微妙で、極めて深遠であり、心で認識できるものでもなく、言葉で表現できるものでもないと述べ、それを不可思議境と呼んでいる。 続きを読む

芥川賞を読む 第43回 『乳と卵』川上未映子

文筆家
水上修一

饒舌な口語体で描いた人物描写が鮮やか

川上未映子(かわかみ・みえこ)著/第138回芥川賞受賞作(2007年下半期)

登場人物の鮮やかな描写が読者を引き込む

「乳と卵」で芥川賞を受賞した川上未映子は、その後もさまざまな文学賞を受賞。2024年上半期の芥川賞からは、選考委員も務めており、作家デビュー前の2004年には、歌手としてアルバムも発表もしている。
「乳と卵」は、そのタイトルから想像されるように〝女性性〟をひとつの題材としている。
 主な登場人物は3人。東京で一人暮らしをしている主人公の「わたし」。大阪で暮らす姉の巻子と、その娘の緑子。2人は母子家庭。巻子は、夫と離婚して以降懸命に働いてきたが、現在は豊胸手術に執拗にこだわる。緑子は初潮を迎えたばかりの年代で、自らの胎内に無数の卵を持つことに違和感を持つ。
 この母子のコミュニケーションは、筆談のみ。言葉を発せないわけではない。娘の緑子が、言葉によるコミュニケーションを拒んでいるからだ。そんな娘の気持ちを理解できない巻子。一方、母に伝えたい自分の思いが何であるのかさえ分からず自分自身を持て余す緑子。そんな母子が豊胸手術のために上京し、「わたし」のアパートで過ごす。その3日間を描いている。 続きを読む

本の楽園 第194回 遅ればせながら、鶴見俊輔生誕百年

作家
村上政彦

 鶴見俊輔を知ったのは、「限界芸術」という彼のアイデアに出会ったからだった。
『限界芸術論』によれば、芸術には、純粋芸術(一般に芸術と呼ばれている作品)、大衆芸術(俗悪なもの、非芸術的なもの、ニセモノ芸術と考えられる作品)、限界芸術(両者よりもさらに広大な領域で芸術と生活との境界線にあたる作品)の3種類がある。
 鶴見は、宮沢賢治を限界芸術の実作者ととらえている。そのことが、多くの人に受け容れられ、しかも豊かな芸術性を備えている文学を構想していた僕にとって、大きな触発となった。
 また、日本では小学校しか出ていないのに、渡米してハーバード大学で学んで、図書館でアルバイトをしているとき、ヘレンケラーと出会い、「私はいまunlearnしている」といわれて、unlearnを「学びほぐす」と訳し、人は学びほぐすことが必要だと説いたことにも教えられた。
 それから僕は、鶴見俊輔の仕事に注目するようになったのだけれど、彼が詩を書いていたことは知らなかった。『もうろくの春 鶴見俊輔詩集』――さっそく注文した。 続きを読む

沖縄伝統空手のいま 道場拝見 第7回 沖縄空手の名門道場 明武舘(剛柔流)〈下〉

ジャーナリスト
柳原滋雄

国際色豊かな大人クラス

一般クラスのサンチン。八木館長が後ろから気合を入れる

 子どもクラスの稽古が終わるとそのまま中学生以上の一般クラスに移る。一般クラスは子どもと同じく火・木・土に加え、日曜を入れた週4回(時間は19時から20時半までの1時間半)。
 通常の稽古は20人くらいというが、この日は海外からカザフスタン、フランス、イギリス、カナダのメンバーが加わり30人以上の大人数となった。それでもぎりぎり練習できるくらいのスペースが確保されている。
 定刻の午後7時をやや遅れてスタート。まずは「サンチン」の型から始まった。子どもも大人も、型はサンチンから始まる。呼吸に力点が置かれ、呼吸と体の動きを合わせることを目的とする剛柔流の基本型だ。
 沖縄剛柔流は弟子の系統の流れから大きく3つの系統(比嘉世幸系統、八木明徳系統、宮里栄一系統)に分けられるが、八木明徳系のサンチンは最後の虎口(とらくち、一般には「回し受け」ともいう)を1回しか回さない。 続きを読む

沖縄伝統空手のいま 道場拝見 第6回 沖縄空手の名門道場 明武舘(剛柔流)〈上〉

ジャーナリスト
柳原滋雄

歴史ある剛柔流の常設道場

4階建てビルの最上階が伝統ある明武舘の道場。入り口はビル1階の左にある(那覇市久米)

 沖縄初の空手流派として知られる剛柔流の創始者・宮城長順(みやぎ・ちょうじゅん 1888-1953)の戦前からの古い弟子であった八木明徳(やぎ・めいとく 1912-2003)が開いたのが明武舘(めいぶかん、正式名称・国際明武舘剛柔流空手道連盟総本部)だ。
 戦後、焼け野原から復興がスタートした那覇市久米に、71平米の木造平屋建ての道場が建設された。久米は歴史的には中国の明から派遣された「閩人(びんじん)三十六姓」(久米三十六姓)の居留地となった場所で、後の久米村をつくった。これらの人々は琉球の国づくりに貢献したことで知られる。
 八木明徳の一代記『男・明徳の人生劇場』(2000年)によると、明徳は戦後、コザ警察署などに勤務したあと、那覇に戻ったのは1949年4月のことだった。法務局の登記簿によると、八木道場の土地は1953年1月、建物は1958年3月に八木明徳によって所有権保存がなされている。ふつうに考えて58年以前にも建物があったはずだが、いつ道場が開設されたか、正確に日付を特定することは難しい。戦後、長嶺道場や比嘉道場(究道館)ができたころとさほど変わらない時期と推測される。 続きを読む