【書評】財政破綻の未来を直視する 解説:柳原滋雄(ジャーナリスト)

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『迫り来る 日本経済の崩壊』
藤巻健史著
幻冬舎
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「結局、『そこそこの合理化』ではもうダメなのだ。行政を『やめる』決断を政治家が行い、それを国民がうながすしか、本当の解決の方法はないのである」

 財政危機に対し、京都大学の吉田和男教授(当時)が『あなたの隣の大問題 日本の国家予算』でそう指摘したのは今から約20年前の1996年のことだった。同じ書物で著者は次のように書いていた。

「日本の借金は天井知らずの途方もない金額に膨らんでいった。国債発行残高は、平成8年度末で243兆円を超える見込みで、およそ1つの経済単位の負債としては、考えられないような巨額な規模の金額だ」

 当時の経済学者が20年前に「考えられないような巨額な規模の負債」と指摘していた負債は、今や1000兆円を突破し、すでに4倍にも達している。
 米国では国の借金可能額の上限が法律で決められているものの、日本にはそのような歯止めは存在せず、右肩上がりでずっと借金を増やし続けてきたのが現状だ。55兆円の税収しかないのに、96兆円もの歳出を認めてきた。家計でいえば、550万円の年収しかない家庭が、毎年960万円使っている格好なので、家計が破綻しないはずはないとの結論になる。
 だがこうした現状に対し、マスコミの関心が高いとはいえない。あえて見たくないものを見ないふりをしているだけのようにさえ思えるが、いずれ財政破綻がやってくることを真正面から指摘したのが本書だ。
 その時期は早ければ「今年の暮れ」、遅くとも東京オリンピックの前に訪れると予測する。
 著者は外資系モルガン銀行の東京支店長を務めた経験をもつ金融業界のプロ。現在は参議院議員として国会に席をもつ身だが、政界に身を転じたのも、金融人としてより、国会議員でいたほうが、迫り来る日本経済の危機に対処するには影響力を発揮できると考えたからにほかならない。
 すでに日本の財政破綻が来るか来ないかといった次元の問題ではなく、いつ来るのかといった時期の問題にすぎなくなっている。
 それがまだ訪れないのは、金利を低く抑え、国債を日銀が買い取るという絆創膏を貼るような政策をとり続けることで、かろうじて危機を回避しているにすぎないと説明する。
 要するに、塀の上を歩いているような状況で、強い風が吹けば、いつでも「危機」の中に落ちてしまいかねない状況にいるのが現在の日本の姿なのだ。
 ただし実際にそのような危機的な事態が訪れたとしても、日本という国家そのものが消えてなくなってしまうわけではない。
 IMF(国際通貨基金)などの国際機関が介入し、財政立て直しの手伝いをすることも考えられる。いずれにせよ、国民にとっては大増税と同じハイパーインフレを避けることができなくなり、国民の生活は塗炭の苦しみをなめることになるので、いまから相応の準備をしておかなければならないというのが著者の基本的な主張だ。
 具体的には暴落が予想される日本円ではなく、米ドルなどの外貨に替えておくべきだという。
 こうした主張は、「私が過激なのではなく、事態が過激なのだ」と強調してやまない。
 政治家や財務省の役人たちは、日本経済がいずれこうした事態に陥ることを知悉しているはずだが、マスコミを含め、結局のところ問題を「先延ばし」にしているにすぎないように見える。
 これまでも財政危機論をぶつ論者はそれなりにいたものの、金融の最前線で活躍してきた「プロ中のプロ」による発言であるところにこの本の最大の価値がある。わかりやすい文章で書かれているのも本書の特徴だ。
 加えて、財政破綻を経験した後の日本は真の資本主義国家として「再生」すると、すべて悪いことばかりを書いているわけでもない。
(ジャーナリスト 柳原滋雄)

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