投稿者「web-daisanbunmei」のアーカイブ

与野党の新たな結集軸へ――「政策5本柱」示した公明党

ライター
松田 明

来秋までに「中道改革ビジョン」を策定

 公明党は11月29日に開催された「全国県代表協議会」で、「政策5本柱」を打ち出し、「中道改革勢力の軸」として出発することを約し合った。

 公明党は29日、各都道府県本部の幹部を集めた「全国県代表協議会」を党本部で開いた。連立政権離脱後の党の理念や政策の5本柱を示し、1人当たり国内総生産(GDP)の倍増などを掲げた。来秋の党大会までに「中道改革ビジョン」を策定する方針も表明。斉藤鉄夫代表は「中道改革の旗を高く掲げ、与野党の結集軸として新たな地平を力強く切り開く」と意気込んだ。(『毎日新聞』11月30日

 周知のとおり、公明党は10月10日をもって足掛け26年に及んだ自民党との連立に「区切り」をつけ、石破内閣の総辞職と同時に〝野党〟の立場になった。
 自民党は日本維新の会との閣外協力による〝連立〟(国際的にも政治学の世界では閣内協力しない政党間による政権を「連立」とは呼ばないが、自維政権は合意文書で「連立」と呼称している)を組み、高市政権の樹立にこぎつけた。 続きを読む

書評『創学研究Ⅲ』――世界平和の実現と人類救済の思想

ライター
本房 歩

多角的な視点からの「世界宗教論」

 このほど創学研究所(松岡幹夫所長)から『創学研究Ⅲ――世界宗教論』(第三文明社)が刊行された。
 既刊の「Ⅰ」は「信仰学とは何か」。「Ⅱ」は「日蓮大聖人論」。それに対して今回の刊は、同研究所の創立5周年を記念したシンポジウム(2024年)の成果をまとめるかたちで「世界宗教論」となっている。

 ここでは目次に沿って内容を概括したい。
 第1章は、創価学会の牧口常三郎初代会長と戸田城聖第2代会長の世界宗教観について考察したもの。歴史学や宗教学では「世界宗教」という言葉の淵源は、ローカルな宗教に対するキリスト教を意味するものであった。
 その後、1920年代から30年代に、民族宗教の対義語として用いられるようになり、キリスト教のほかに。仏教、イスラム教、場合によってはユダヤ教、儒教、ヒンドゥー教なども含意するようになった。
「世界宗教」には普遍的宗教と覇権的宗教の両義性がある。創価学会の場合、牧口会長が提唱した「人道的競争」、戸田会長が提唱した「地球民族主義」の理念から、覇権主義やイデオロギー対立を排することが可能だと論じている点が興味深い。 続きを読む

高市首相に「助け舟」を出した公明党―2つの「質問主意書」の意味

ライター
松田 明

【本コラムの概要】
①歴代政権はあえて「存立危機事態」の具体的事例を曖昧にしてきた
②官僚とのすり合わせを欠いた高市首相のアドリブ答弁
③首相見解と政府統一見解にズレが生じた危うさ
④首相の名で首相の発言を正式に〝修正〟させた公明党の知恵
⑤斉藤代表「高市首相への協力を惜しまない」
⑥沖縄返還時に「非核三原則」をつくらせたのは公明党
⑦「非核三原則」堅持を明言しない高市内閣の答弁書
⑧党首討論で、あえて首相に釘を刺した斉藤代表
⑨高市首相が尊敬する安倍元首相にはバランス感覚があった
⑩初の女性首相として慎重に政権運営をしてほしい

  
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連載対談 哲学は中学からはじまる――古今東西を旅する世界の名著ガイド

福谷 茂 ✕ 伊藤貴雄

第3回 各教科と哲学のつながり――①科学(理科)と哲学(上)

(対談者)
福谷 茂(京都大学名誉教授、創価大学名誉教授)
伊藤貴雄(創価大学文学部教授)

 

中高生時代の自分に推薦する哲学書は?
~福谷「三浦梅園の『三浦梅園自然哲学論集』」

伊藤貴雄 福谷先生は、もし中学生だった自分に哲学の本を推薦するとしたら、どんな本を勧めますか。

福谷 茂 そうですね。「高校生向け」くらいになるかもしれませんが、やはり三浦梅園(※)ですね。
 知性のあり方の原型というものが、三浦梅園の思考にはあるからです。

伊藤 三浦梅園といえば、一種の総合的な自然論というか、コスモロジー(※)的な哲学で知られていますね。 続きを読む

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第103回 正修止観章 63

[3]「2. 広く解す」 61

(9)十乗観法を明かす㊿

 ⑫無法愛

 今回は、十乗観法の第十、「無法愛」(法に対する愛著をなくすこと)の段の説明である。
 この段の冒頭には、「第十に無法愛とは、上の九事を行じて、内外の障を過ぐれば、応に真に入ることを得べけれども、入らざる者は、法愛の住著を以て、前(すす)むことを得ざるなり」(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅲ)、近刊、頁未定。大正46、99下14~16)とある。つまり、これまで説明してきた十乗観法のなかの前の九つの事柄を行じて、内外の妨げを通過すれば、真に入ることができるはずであるが、真に入らない者は、法愛という執著によって進むことができないことを指摘している。
 次に、四善根(煖・頂・忍・世第一法)の第二の頂から悪道に落ちることを「頂堕(ちょうだ)」という。蔵教・通教・別教・円教の頂堕について述べているが、説明を省略する。 続きを読む