創価一貫教育の夢を託す
池田会長はローマクラブのホフライトネル名誉会長との対談のなかで、
私たちの創価教育は、「社会のための教育」という視点を打ち破り、「教育のための社会」への転換を目指したのです。
この教育観の原点は、牧口初代会長の思想にあります。牧口会長は、軍国主義教育が吹き荒れる最中にあって、「教育は子どもを幸福にするためにある」と敢然と叫んだのです。
目の前の子どもの幸福を第一義とする――それが創価教育の眼目です。(『見つめ合う西と東』第三文明社)
と語っている。
牧口の創価教育学説は、なによりも机上の論理ではなかった。現役の小学校長として子どもたちと触れ合い、そこで自身が実践して成果を上げてきた指導法を次世代に託したいという熱意のなかから生まれた。
そして牧口は、1939年(昭和14年)4月の懇談会で、この自身の学説を実践する一貫教育の実現に言及している。
将来、私が研究している創価教育学の学校を必ず僕が、僕の代に設立できないときは、戸田君の代で作るのだ。小学校から大学まで私の研究している創価教育学の学校ができるのだ。(『評伝 牧口常三郎』)
この牧口の夢は、池田会長によって幼稚園から大学院までの、世界に広がる創価一貫教育として実現した。
また、世界各国でも創価教育の研究が広がっている。たとえば創立500年以上の歴史を誇るスペインの名門アルカラ大学では2016年に創価教育の理念を取り入れた選択科目授業「幸福のための教育」が教育学部に開講し、2018年には創価大学との共同研究所として「池田大作教育研究所」が設置されている。
必然だった日蓮仏法との邂逅
牧口常三郎の生涯の決定的な転機となったのは、1928年(昭和3年)に日蓮仏法に巡りあったことだった。この時、牧口を師と仰ぐ戸田も信仰の道に入っている。
すでに見てきたように、牧口の若き日からの思想と行動の焦点は、一貫して「民」の幸福の実現にあったといえる。
牧口が『人生地理学』で用いた「人生」とは、人間の現実の暮らしを指している。国家が主で民衆が従という考え方が当然視されてきた時勢のなかで、牧口はとりわけ弱い立場に置かれている「民」をいかに幸福にするかを最重要のテーマとしてきた。
牧口が万人の成仏を説き明かした法華経に共鳴し、現実社会での民衆の幸福実現をめざす日蓮仏法の此岸性(しがんせい)に瞠目(どうもく)したのは、いわば必然であった。
牧口は、
創価教育学体系の研究が次第に熟し、将(まさ)に第一巻も発表せんとした頃、不思議の因縁から法華経の研究に志し、(中略)殆ど六十年の生活法を一新するに至った。(『牧口常三郎全集』第8巻)
と述べている。
思想統制に抗して検挙
1937年に日中戦争が始まると、翌年には国家総動員法が公布。1940年には紀元2600年祝典が国を挙げて挙行され、41年には治安維持法が改正されて思想弾圧が激しさを増していく。
牧口はこれに対し41年に機関紙『価値創造』を創刊。特高警察の監視と妨害のなか、全国各地で座談会を開催して言論戦を果敢に続けた。
日本が日中戦争に突入し、さらに戦時体制へ国民を総動員するために宗教統制を加速させた時期に、牧口は創価教育学会をそれまでの「教育革命」を推進する団体から、教育にとどまらず、より根本となる「宗教革命」をも推進する団体へと転換させた。
戦争遂行のため思想統制を強めようとした政府は、各寺社、事業所、家庭に伊勢神宮の神札を祀るよう命じたが、創価教育学会は日蓮仏法に照らしてこれを拒絶。
その結果、牧口は1943年7月6日に座談会に赴いていた伊豆で逮捕されるのである。容疑は不敬罪と治安維持法違反であった。戸田も同日、都内で逮捕されている。
特高警察による取り調べは「殴る蹴る」(『評伝 牧口常三郎』)の苛酷をきわめた。
牧口が取り調べにあたっても自身の宗教的信念を堂々と語っていたことは、調書に記録されている。
1944年11月17日、死期をさとっていたのか、衣服を整え、髭もそり、看守が手を貸すのを断って自分で歩いて病監に移った。
まもなく深い眠りに陥り、逝去は翌18日の朝6時ごろであった。
民衆が強くなるしかない
牧口は同時代人であった米国の教育哲学者ジョン・デューイを敬愛していた。
創価大学を見守るように立つ東京牧口記念会館を訪問したデューイ協会のジム・ガリソン元会長は、その折の感慨をこう述べている。
一見、敗北に見える牧口会長の獄死を、戸田会長と池田会長は、そして創価学会は、すべてを「勝利」へ、そして「永遠なるもの」へと転換したのだ、と。(『人間教育への新しき潮流』)
逝去から75年。牧口常三郎が生命を賭して守り抜いた日蓮仏法の正義は、今や創価学会インタナショナルとして192ヵ国・地域に広がる世界最大の民衆仏法運動になった。
前述したように創価教育の学舎も世界各国に誕生し、牧口の崇高な生涯とその学説は、世界の第一級の知性たちに広く知られ、研究と実践が進んでいる。
牧口先生は死して牢を出られた。戸田先生は生きて牢を出られた。戸田先生の使命の自覚は鮮烈でした。牧口先生を殺した「権力の魔性」を、断じて打ち破るのだ。それには、社会の制度や国会の体制を変えるだけではだめだ。根本の「人間」を変えるしかない。民衆が強くなるしかない。民衆が賢くなるしかない。そして世界中の民衆が心と心を結び合わせていくんだ――と。
創価学会の運動は、民衆による民衆のための人権闘争なのです。(『青春対話』)
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