フィリピンのマニラにある橋の下で、著者の「私」はメルセディータと出会う。彼女はそこに家を構えて暮らしていた。橋の下で暮らしているのは100家族ほど。電気は違法に引いていたが、電力会社に止められ、ろうそくの炎が唯一の家の中の灯だ。
もともと「私」は教師をしながら、貧困層の人々を支援するボランティアに携わっていた。あるときからフルタイムのボランティアになった。メルセディータと出会って、彼女の半生を記録し始める。
メルセディータ・ビリャル・ディアス=メンデスは、1965年に生まれた。両親は農場で働いていた。6人きょうだいの末っ子だった。貧しい暮らしで、おもちゃがひとつもなかった。
野菜の入った竹かごを頭に載せて、村中を売って歩いた。家に帰ると、水汲みや掃除が待っていた。働き詰めで、ほかの子供と遊んだ記憶がない。12歳でマニラへ出てきて、ケソン市で姉と一緒に暮らした。
姉は彼女が高校へ行けるように支援してくれたが、姉夫婦が働いているあいだ、彼らの子供たちの面倒を見なくてはいけなかったので、通学は諦めた。やがて姉の家を出て働きながら高校へ通うようになったが、仕事で疲れ果てて勉強に集中できず、また学校は辞めた。
最終的に高校を終えることはできたが、着る服も交通費もなく、卒業式に出られなかったので卒業証書はもらえなかった。
17歳でレナード・フストと出会い、2人の子供を持った。しかし結婚生活は破綻し、メルセディータは子供を伴って実家へ戻り、農場で働いた。その2年後、ロベルト・ディアス(愛称フアニオ)と出会う。
両親の希望で、前の夫とのあいだに生まれた子供は田舎で育てられることなった。メルセディータとフアニオは、マニラの橋の下での暮らしを始めた。最初に生まれた娘は7ヵ月で熱病に罹って死んだ。その後、もうひとり娘が生まれ、フアニオはとても喜んだ。
フアニオは働き者で一日中手押し車を押して歩いた。ところが心臓の病で急死する。葬儀が終わってすぐ、娘がひどい病気になった。途方に暮れて通りを大声で叫びながら助けを求めていたら、ある男性が娘を抱き取って車を停め、病院へ行った。
彼はフィリックス・メンデス。フアニオと仲が良かった。リサイクル材を売って暮らしを立てていた。メルセディータは彼と一緒に暮らし始めた。フィリックスは、17歳のときに友達と厄介に巻き込まれ、人を殺めてしまった。
友達は外国で働くことが決まっていたので、彼が罪を背負って服役した。無期懲役を科せられたが、恩赦を受けて出所することができた。フィリックスもまた働き者だった。リサイクル材ばかりか、路上でキャンディーや煙草やパンケーキを売った。
ある日、フィリックスは誰かに殺され、野原に捨てられているのが見つかった。メルセディータは、また子供を抱えて途方に暮れることになる。折から行政は、橋の下を不法占拠している人々を追い払おうとする。著者は、ボランティアとして関わり、彼女を支援するが、なかなかうまくはいかない。
メルセディータは、フィリックスの子供を妊娠していて、大きな腹を抱えて洗濯女として働く。子供に食事をさせ、学校へ通わせるために。彼女はご近所の世話もする。著者が、自分も問題を抱えているのに、というと、「私たちは、ここではご近所同士なの…」という。
国に見捨てられている彼女らがサバイバルするためには、貧しい者同士で互いに支え合うことは、大切なことなのだ。
メルセディータは男の子を出産した。ところが病院代を支払う金がない。会計をしてくれた家族は、赤ん坊を連れ去り、自分の子供にしてしまう。彼女は著者を伴って、子供を返してくれるように交渉するが、先方に断られた。
彼女が育てている子供たちは、生きるために学校をやめて、路上で物乞いをする。やがて子供たちは施設に入所した。メルセディータは動物園を清掃する安定した仕事に就いた。しかし結核に罹って失職する。
それでメルセディータはわずかな退職金で冷蔵庫を買って、「サリサリ・ストアー」(路上販売店)を始めた。それは彼女の夢のひとつだった。
――これが、メルセディータの物語だ。僕の好きな作家のひとり、トルーマン・カポーティーは、ある凶悪な殺人犯と出会って、自分が彼のために何ができるかを考え、彼の物語をつくってやることだとおもった。それが文学の仕事だと。
フィリピンには、おそらくたくさんのメルセディータがいる。著者は、貧困問題への、人々の意識を啓発するために、この本を書いたのかもしれない。しかし、僕は、これを読んで、僕らの大きな世界の片隅で埋もれてしまうはずの、メルセディータというひとりの女性を知った。
多くのメルセディータのための、ひとつの物語をつくること――著者が本作を書いたことは、すぐれて文学的な実践といえる。
参考文献:
『橋の下のゴールド――スラムに生きるということ』(マリリン・グティエレス著/泉康夫訳/高文研)