最近、アール・ブリュットという言葉を、よく耳にするようになった。知ってはいたけれど、詳しく調べたわけではない。このコラムで鶴見俊輔の『限界芸術論』を取り上げたあたりから気になり始めて、アール・ブリュットの作家たちの作品集『アウトサイダー・アート』を手に取ってみた。
冒頭にジャン・デビュッフェのマニフェストがある。けっこう長いので、傍らの注を引いておく。
「アール・ブリュット」とは、加工されていない生の芸術という意味のフランス語。1945年、精神病患者の創作作品を調査していたジャン・デビュッフェが、これらの創作を命名して考案した言葉である。その後、精神病者に限らず、美術教育を受けていない人たちが、美術制度の枠の外で作るものを指して用いられるようになる。「アウトサイダー・アート」は、1972年、ロジャー・カーディナルが「アール・ブリュット」の英語訳として創案
これで、ざっくりアール・ブリュットについて、そしてアウトサイダー・アートが同じものであると分かる。ビュッフェは、アカデミックな芸術に飽き足らず、その「外」を求め、アール・ブリュットに行き着いたようだ。
彼は、いう。
「アール・ブリュットとは一般大衆の声」
「彼らは知識階級ではなく、庶民階級の出身者」
作品集の冒頭を飾るのはビル・トレイラー。米アラバマ州の農奴として生まれ、1865年の奴隷解放宣言で自由の身になるが、その後も農園に留まった。子供たちが自立し、妻に先立たれ、農園の持ち主も変わって、モンゴメリーに移る。その後、靴職人として働くが、リウマチを患って生活保護を受ける身の上になった。
トレイラーは、なかばホームレスのような暮らしを送りながら、突然、絵を描き始める。黒人たちのコミュニティーがある街の歩道に座って、毎日、手を動かす。右手に鉛筆、左手に定規とナイフを握り、拾ったシャツの台紙や広告ボードの裏をキャンバスにした。
どこかユーモラスな、農園で世話をした馬やロバ、犬や猫、町で出会った人々など、85歳から亡くなるまでの3年間で1500枚の絵画を残した。彼を見出したのは、若い白人画家チャールズ・シャノンだった。
シャノンは夢中で絵を描く老いた黒人の姿に魅せられ、生活を援助し、画材を提供する一方、作品を収集・保存。トレイラーの生前に2度展覧会を開いた。死後50年を経て、トレイラーの作品は高く評価され、20世紀の生んだ画家として世界的に知られるようになった。
マッジ・ギルは、イギリスの女流画家。私生児として生まれ、カナダの農園で働いていたときには虐待を受ける。2人の子供を亡くし、片方の眼の視力を失った。そういうなかで交霊術に惹かれ、「マイニナレスト(案内者)」という霊の導きでドローイングを描き始める。
夜になってベッドでひとり、ノート、葉書、キッチンペーパーに細密な線を引いていく。描かれていくのは、不思議な女性の、顔、顔、顔。40年にわたって製作したギルは、ときおりアマチュアの展覧会に出品することはあったが、作品の発表には慎重だった。彼女にとって絵画は、「マイニナレスト(案内者)」からの贈り物だったので、売ることは憚(はばか)られた。
元農場労働者のアドルフ・ヴェルフェリ(1864-1930)。スイスの精神病院の中で生きた彼は、文章、ドローイング、コラージュ、楽曲が融合した2万5000ページにも及ぶ物語を創作した。それらはすべて架空の世界を描いている。
詩人のリルケ(1875-1926)やサロメ(1850-)に感銘を与え、デビュッフェは「偉大なヴェルフェリ」と讃え、アンドレ・ブルトンは「20世紀の最も重要な作品のひとつ」と評した。ヴェルフェリもまた、貧しい庶民の出身であり、さらに精神障害に苦しんだ。
デビュッフェは、これら野生の花々のとりこになった。手入れの行き届いた文化的な花壇以外の場所に咲く、誰も予想しないようなところに好んで咲く――知識層より文盲の人々、金持ちより貧しい人々、若者より老人、男より女のところに好んで咲く――、これらの花々に惚れ込んだ。
『アウトサイダー・アート』という作品集に収録されたアール・ブリュットの作家たちは、作品もさることながら、その生涯がまた興味深い。誰もがぎりぎりの生の根源を踏まえているようだ。このあたりが、鶴見俊輔の提唱した「限界芸術」と重なると思える。
アール・ブリュットと限界芸術――もう少し思索を凝らしたい。
お勧めの本:
『アウトサイダー・アート』(ジュヌヴィエーヴ・ルーラン監修/求龍堂)