連載エッセー「本の楽園」 第69回 今日の限界芸術

作家
村上政彦

かつて、このコラムで、鶴見俊輔の『限界芸術論』について書いた。『今日(こんにち)の限界芸術』は、鶴見の思想をリユースして、芸術の新しい地平を探ろうとする試みだ。念のために、鶴見の説いた限界芸術について触れておく(僕のコラムからの引用です)。

『限界芸術論』において、鶴見は、芸術を3種類に分ける。純粋芸術(Pure Art)、大衆芸術(Popular Art)、限界芸術(Marginal Art)だ。
純粋芸術は、詩や交響楽、絵画など、
「専門的芸術家によってつくられ、それぞれの専門種目の作品の系列にたいして親しみを持つ専門的享受者をもつ」
大衆芸術は、大衆小説や流行歌、ポスターなど、
「専門的芸術家によってつくられはするが、制作過程はむしろ企業家と専門的芸術家の合作の形をとり、その享受者としては大衆をもつ」
限界芸術は、手紙や鼻歌、らくがきなど、
「非専門的芸術家によってつくられ、非専門的享受者によって享受される」
鶴見によれば、まず、限界芸術があって、そこから純粋芸術と大衆芸術が生じる。純粋芸術も大衆芸術も、基礎にあるのは限界芸術であって、この土台から養分を汲み上げないことには発展はない。(「本の楽園 第54回 生きるための芸術」より)

『今日の限界芸術』の著者・福住廉(ふくずみ・れん)は、この思想が、なぜ顧みられないのか、不思議だとおもっている。そして、現在、限界芸術を実践する例を紹介していく。
たとえば、福岡市の電柱やビルの壁にハリガミとして漫画を発表するガンジ&ガラメ。普通、漫画は紙の本か、WEBで塊として読み手のもとへ届けられる。ところが、彼らのこの作品は、読み手がハリガミのあるところを探さないと読めない。
送り手たちは、これで稼いでいるわけではないという意味では、非専門的芸術家だ。さらに、受け手も作品に対価を支払って愉しむわけでないという意味で、非専門的享受者といえる。
本書の対談で鶴見俊輔は、このハリガミアートを紛れもない限界芸術として認定している。
また、福住は、少人数のグループで作文教室を開いている。そこではアマチュアの人々が、芸術について批評する。それを繰り返していくうちに、批評文とも作文ともいえない文章ができあがった。彼はこれを、現在の限界芸術ではないかという。
さらに、彼は年に1度、「21世紀の限界芸術論」を催しているのだが、第1回展はガンジ&ガラメ。第2回展は、写真、小説、詩、絵画など幅広く創作する岩崎タクジ。第3回展は、物書きだった祖父の日記を現代語訳している尾野朋子。いずれも既成の芸術の概念ではとらえられない作家や作品を世に問うている。
僕は知らなかったのだが、夏目漱石が限界芸術の思想を持っていたという。彼は、こう述べているらしい。

 昔から大きな芸術家は守成者であるよりも多く創業者である。創業者である以上、その人は黒人(くろうと)でなくって素人(しろうと)でなければならない。人の立てた門を潜るのでなくって、自分が新しい門を立てる以上、純然たる素人でなければならないのである。

そして、

素人(しろうと)離れのした、しかし黒人(くろうと)じみていないもの

を評価する。

僕のいちばん心に残った芸術家を紹介しよう。ニューヨークで活動するホームレスの画家ジミー・ミリキタニである。彼は日系アメリカ人として、第二次大戦中には日系人の強制収容所にとらわれる。戦後もアメリカに住み続け、画家として生きる。
モチーフは9・11の事件やヒロシマ・ナガサキの原爆、自分の強制収容所での体験だ。ミリキタニは、美術館に所蔵されたり、画廊で売買されたりする作品を描くわけではない。商業ベースには乗らないような画を、ニューヨークのストリートで制作しているのだ。
彼のこの活動に興味を持った映画監督リンダ・ハッテンドーフによって、ミリキタニは世に知られるようになった。といっても、狭いアート界隈のことだろう。しかし、僕には、彼の生き方そのもの、画に対する態度そのものが印象に残った。
ミリキタニは、描くことが生きることである。画は、彼が生きていることの証なのだ。こういう芸術家こそ、本物ではないか。そして、これも現在の限界芸術の実践ではないか。
僕は、文学の領域での限界芸術について、ずっと考えている。そのうえで、『今日の限界芸術』は、刺激的な書物だった。

参考文献:
『今日の限界芸術』(福住廉著/BankART1929)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「量子のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に、『台湾聖母』(コールサック社)、『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。