沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流
第21回 しょうりん流⑤ 首里・泊手としての松林流

ジャーナリスト
柳原滋雄

戦後の沖縄空手界を牽引した長嶺将真

得意技の北谷屋良のクーサンクーを演武する長嶺将真

得意技の北谷屋良のクーサンクーを演武する長嶺将真

 戦後の沖縄空手界をけん引した中心人物、長嶺将真(ながみね・しょうしん 1907-1997)の開いた流派である。
 長嶺は那覇商業時代に胃病を患い、1年ほど病床に臥せったが、友人の勧めで空手を始めるとめきめき健康を回復し、そのまま空手に打ち込む人生となった。
 沖縄の武人には、幼少期に体が頑健でなかったため、空手によって丈夫になった逸話が多く残されている。糸洲安恒、船越義珍、喜屋武朝徳、知花朝信など、いずれも同様の体験が伝えられる。
 長嶺の師事した空手家は主に3人。病み上がりの時期に師事した新垣安吉(あらかき・あんきち 1899-1929)、警察官となり嘉手納署時代に師事した喜屋武朝徳、東京勤務時代に教えを受けた本部朝基の3人である。
 新垣安吉は知花朝信や喜屋武長徳に師事したほか、喜屋武は松村宗棍、本部は松茂良興作にそれぞれ師事したことで知られる。そのため長嶺は、喜屋武朝徳と本部朝基のそれぞれの師匠の頭文字が「松」であることに着目し、松林流と命名した。
 系統としては純粋な首里手というより、首里手と泊手を折衷した系統に属し、その意味で少林流と似ている面がある。
 長嶺とは異なる流派ながら、戦前は剛柔流の宮城長順に可愛がられ、宮城の推薦で大日本武徳会(戦前に存在した武道の総本山の団体、京都に本部があった)から空手術練士の称号を得たほか、1941年には普及型Ⅰという基本入門型を創案し、この型はいまも沖縄空手界で受け継がれている。
松林流で重視する猫足立ちを確認する子どもたち(那覇市・真喜志道場)

松林流で重視する猫足立ちを確認する子どもたち(那覇市・真喜志道場)


 戦後、焼野原となった沖縄で、いちはやく大規模な道場を開いたことでも知られる。1953(昭和28)年、40代半ばで警察官の安定した職業を辞し、那覇市久茂地に100畳の本格的な道場を建設、空手普及に力を入れた。
 1956年、戦後の沖縄空手界を統合する「沖縄空手道連盟」が長嶺道場において結成され、知花朝信が初代会長に就くと、長嶺は副会長となって支えた。
 1961年には長嶺自身が連盟会長に就任し、その後8年の長きにわたり会長職を務めた。そうした長嶺の行動もあってか、沖縄空手界では小林流、松林流、剛柔流、上地流で4大流派と呼ぶことが多い。
「松林流の特徴はしなやかな腰使い」にあると語るのは世界松林流空手道連盟の平良慶孝会長だ。また、ひじや手首の使い方が柔らかいことも松林流の特徴とされる。
 長嶺が1953年に那覇で道場を開いた際、「当時の沖縄で一番大きな空手道場だった」(平良会長)という。ブルース・リーの映画が全盛となった時代は、広い道場に入りきれないくらい人が集まるほどの空手ブームとなり、道場内からはみ出て外で稽古をする人もいたらしい。

競技空手の道を開く

現在も引用されることの多い長嶺将真著『史実と伝統を守る 沖縄の空手道』

現在も引用されることの多い『史実と伝統を守る 沖縄の空手道』

 長嶺将真の残した別の功績として、重要な著作を残したことがあげられる。1975年に『史実と伝統を守る 沖縄の空手道』を発刊、本土で興隆する競技空手と沖縄空手との違いを鮮明にしたほか、1979年には沖縄タイムス紙に「沖縄の空手武人伝」全48回を連載。自ら調査・収集した資料をもとに、真壁朝顕、佐久川寛賀、松村宗棍、松茂良興作、糸洲安恒、東恩納寛量、船越義珍、喜屋武朝徳、本部朝基、新垣安吉といった沖縄空手史に残る武人10人の生涯をまとめ、『史実と口伝による沖縄の空手・角力名人伝』として世に出した。
 さらに1981年に空手競技が国体の正式種目となった際、沖縄県として国体に参加するかどうかという大問題が、競技と伝統の立場から地元を二分する議論をまき起こした。
 その中にあって長嶺は、競技にあえて参加すべきとの立場を鮮明にし、自ら中心となって「沖縄県空手道連盟」を立ち上げ、笹川良一が会長を務める全日本空手道連盟に加盟して沖縄から競技空手に参入する道を開いた。
泊手の達人・松茂良興作の顕彰碑。この隣に長嶺の顕彰碑が明年以降に設置される予定(那覇市)

泊手の達人・松茂良興作の顕彰碑。この隣に長嶺の顕彰碑が明年以降に設置される予定(那覇市)


 この行動について、いまも地元空手界には評価する声と逆の声とが混在している。ただ一ついえることは、自ら泥をかぶってでも決断した長嶺の行動がなければ、沖縄県の空手家がオリンピックに参加する道も容易には開けなかったと思われることだ。
 さらに競技の存在がなければ、沖縄発祥の空手が、これほどまでに世界に広がることもなかっただろうとの認識は、伝統空手の側にも共有されているのが実情だ。
 松林流は本場沖縄をはじめ、海外では南北アメリカを中心に世界30ヵ国に130道場をもつ。日本本土では関西に拠点があるものの、東京ではほぼ目にすることのない流派となっている。
 没後20年がすぎ、地元では長嶺の顕彰碑を設置する動きが進んでいる。設置場所は長嶺にゆかりの深い泊地域の、新屋敷公園内になる予定だ。

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やなぎはら・しげお●1965年生まれ、佐賀県出身。早稲田大学卒業後、編集プロダクション勤務、政党機関紙記者などを経て、1997年からフリーのジャーナリスト。東京都在住。