知花系統と並ぶ首里手の流れ
松村宗棍(まつむら・そうこん 1809-99)に師事した喜屋武朝徳(きゃん・ちょうとく 1869-1945)の系譜を組む流派で、「少」ない林と書く。首里手の流れながら、同じ松村の弟子であった糸洲安恒(いとす・あんこう 1831-1915)から知花朝信(ちばな・ちょうしん 1885-1969)につづく「小林流」と、かなり色合いを異にする。パッサイやクーサンクーなど同じ型名称であっても、演武線などがかなり異なるためだ。
もともと喜屋武の同世代には、後世に名を残した空手家が多い。まず、首里手の糸洲安恒・安里安恒(あさと・あんこう 1828-1914)の弟子として東京で空手普及に努め、本土の松濤館流の開祖となった富名腰義珍(ふなこし・ぎちん 1868年-1957)。さらにケンカ空手の名手として伝説の空手家のようになっている本部朝基(もとぶ・ちょうき 1870-1944)は、喜屋武の幼いころからの遊び仲間とされる。
糸洲安恒の師範代として活躍した屋部憲通(やべ・けんつう 1866-1937)や花城長茂(はなしろ・ちょうも 1869-1945)も、喜屋武と同世代といえる武人である。 喜屋武はもともと琉球王に仕える由緒ある家柄の三男として生まれたが、明治維新とその後の琉球処分の時代に巡りあわせ、家の没落とともに青年期を歩んだ。幼少のころ、体が弱く、150センチに満たない小柄な体格のハンディから空手に打ち込んだとされる。
父親の喜屋武朝扶(きゃん・ちょうふ 1843-没年不明)や首里手の達人である松村宗棍のほか、松茂良興作(まつもら・こうさく 1829-1998)や親泊興寛(おやどまり・こうかん 1827-1905)などの泊手の達人からも型を習得し、その系統は首里手と泊手にまたがる。
喜屋武は「チャンミーグァー」(小さな目のおじさん)の愛称で知られ、嘉手納地域など沖縄本島の中部で空手普及に励み、県立農林学校や嘉手納警察署で教えた。少林流が中部で広がったのはそのなごりと見られる。
主要な弟子には、中部地域で少林流を広めた島袋善良(しまぶくろ・ぜんりょう 1909-1969)や、農林学校時代の晩年の弟子として少林寺流を開いた仲里常延(なかざと・じょうえん 1922―2010)などが知られる。ちなみに仲里が開いた少林寺流では、喜屋武の教えとして9つの型を伝承している。 アーナンクー、セーサン、ナイハンチ、ワンシュウ、パッサイ、五十四歩、チントウ、クーサンクーの8つの空手の型と、「徳嶺(とくみね)の棍」という棒の型である。
糸洲―知花系の「小林流」と異なり、松村―喜屋武の「少林・少林寺流」では、糸洲が創案したとされるピンアン(初段~5段)の型は通例は行わない(中には道場主の意向で行うところもある)。また、小林流ではナイハンチは初段から3段の3つを継承するのに対し、喜屋武系では初段のみを継承する。
さらに知花系では、ナイハンチ初段を基本鍛錬型として最重視するのに比べ、喜屋武系では、多彩な技を含む「セーサン」を重要視するのも特徴の一つだ。この場合のセーサンは松村宗棍から継承された首里手のセーサンであり、那覇手の剛柔流などで行っているセーサンとは色合いを異にする。
加えて、「徳嶺の棍」は、平信賢系や又吉系などの一般的な古武道では型としては使われておらず、この流派が独自で継承する型である。
喜屋武系は特徴として、型の無修正主義を貫いている点でも知られている。
俊敏性を特徴とする
喜屋武の直弟子であった島袋善良を父にもつ国際沖縄少林流聖武館空手道協会の島袋善保会長(しまぶくろ・ぜんぽう 1943-)は、少林流の特徴を次のように語る。
機動性のある動きで、俊敏性を特徴とします。また、受け即攻撃という考えがあり、強い受けを用いて相手をひるませ、相手の攻撃を止めてしまう技法は、競技空手とは異なる沖縄伝統空手そのものの技法です。
聖武館では、善保会長の父の善良が小林流の名嘉真朝増(なかま・ちょうぞう 1899-1982)と親しく、小林流の流れも入っているため、ナイハンチやピンアンも行っているという。島袋は、沖縄空手4団体の一つ、沖縄空手道連合会の現会長も務めている。
一方、仲里常延の高弟であった少林寺流洗心館の佐久川政信館長(さくがわ・まさのぶ 1949-)は、16歳で仲里に師事し、現在、全沖縄空手道連盟会長の要職にある。
佐敷町役場で助役を務めた佐久川は、91年に道場を開設。仲里から「本物の弟子を3人つくれば、流派は発展していく」と言われて後押しされたと語る。喜屋武朝徳、仲里常延が一切無報酬で空手を教えたのは、時代といえばそれまでだが、佐久川も青少年に対してはいまも同様の姿勢を貫いているという。
喜屋武系統の流派として、ほかに一心流がある。また、沖縄空手の4団体をまとめる沖縄伝統空手道振興会の喜友名朝孝理事長(きゆな・ちょうこう 1939-)もこの系統にあたる。伝統空手はすべて受けから始まる平和の武術。平和だからこそ空手はできます。競技空手と伝統空手は車の両輪として、共存共栄していくべきと考えています。
喜屋武朝徳は本部朝基と同じく、現代においてはすでに伝説的な空手家に数えられる一人である。
沖縄空手を自ら実践する著名作家の今野敏(こんの・びん 1955-)が地元紙・琉球新報に連載し2013年に刊行した『チャンミーグヮー』(集英社)は、そんな喜屋武の生涯を小説化した作品として知られる。(文中敬称略)
【連載】沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流:
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