なぜ、これほどまでに強いのか?――書評『創価学会』

ライター
本房 歩

世界最大の仏教運動

 20世紀を代表する歴史家アーノルド・J・トインビーが、英語版『人間革命』にわざわざ序文を寄せ、

 創価学会はすでに世界的出来事である。

と書いたのは1971年のことだ。
 当時、創価学会は前年に750万世帯に達したばかりであり、いくつかの国に法人化された組織があったとはいえ、まだSGI(創価学会インタナショナル)も結成されておらず、公明党も結党して10年にも満たない野党だった。
 あれから半世紀。今日、創価学会の存在感と影響力は、往時とは比較にならない大きさになっている。
 SGIは世界192ヵ国・地域。イタリア共和国ではカソリック以外の〝公認宗教〟として12宗派だけが得ているインテーサ(国家との宗教協約)を締結しており、同国の宗教別人口では、カソリック、イスラム、プロテスタントの次がSGIだ。
 むろんヨーロッパ全体で見ても、SGIは最大の仏教宗派である。多くの日本人が気づかないうちに、創価学会は事実上、世界最大の仏教運動に発展している。
 国内においても、たとえば学会が支援する公明党は、連立政権のパートナーとして国政運営に参画して久しい。
 現在の駐日中国大使もロシア大使も、若き日に創価大学に留学して日本語を学んでおり、池田大作SGI会長のことを敬愛の念を込めて「創立者」と呼ぶ。

正当な「学会論」の少なさ

 ところが、これほど社会的影響力をもつ創価学会という教団について、これまで第三者によって書かれた〝まとも〟な論評はきわめて少ない。
 ここでいう〝まとも〟というのは、内容が学会側から見てどうかではない。取材や執筆の方法が、客観的に信頼に足ると評価できるかどうかである。
 たとえば1969年に出版された政治評論家・藤原弘達による『創価学会を斬る』は、創価学会本部への取材すらせず伝聞や憶測だけで書かれたものだった。しかも発売の数カ月前から巨費を投じた出版予告が大々的に打たれ、衆議院の解散直前にいきなり初版10万部で刊行されたということを重ねれば、その目的もおのずと見えてくる。
 最近も「創価学会」の4文字を仰々しく掲げて出版された複数の書籍が、ずさんで致命的な事実誤認、あるいはそもそもの基本的な学術作法の脆弱さなどを、学術研究者から痛烈に指摘されたばかりだ。
 第三者によって書かれた創価学会論で、その手法が信頼に足りる先行例として筆者が思いつくものといえば、札幌市周辺の学会員を対象に綿密な調査を実施して、学会内での次世代育成がどのようになされているかを学術的に論じた『信仰はどのように継承されるか』(猪瀬優理/北海道大学出版会/2011年)。プロテスタント信徒にして作家の佐藤優氏が池田・トインビー対談を丹念に読み解いた『地球時代の哲学』(佐藤優/潮出版社/2014年)。大阪大学や大阪府立大学の宗教社会学者3名が11年の歳月を費やしてアメリカSGIを調査研究した『アメリカ創価学会(SGI-USA)の55年』(秋庭裕/新曜社/2017年)、『アメリカ創価学会における異体同心』(川端亮・稲場圭信/新曜社/2018年)などだろうか。
 本年9月に刊行された本書は、日本を代表する著名なジャーナリストが、ジャーナリズムの手法で時間と労力をかけて創価学会を読み解こうとしたものとして、見るべき一冊になったように思う。

危機を乗り越えてきた学会

 田原総一朗氏が最初に創価学会を取材したのは、前回の東京オリンピックの年である。

 私が、東京12チャンネル(現・テレビ東京)のディレクターとして、初めて創価学会を取材したのは、1964(昭和39)年の夏から秋にかけてであった。(『創価学会』「はじめに」)

 以後、田原氏はこの日本に出現した民衆運動に関心を抱き、折々に創価学会の大小さまざまな行事にも足を運んできた。
 池田会長にも、これまでに2度会って話し込んでいる。
 この50年間では幾度か、田原氏自身さえも「創価学会が衰退に向かう」と考えたような、決定的な危機が創価学会を襲った。
 ところが、学会はそうした危機のたびにより強くなり、世界に発展し、国内でも安定した連立政権を支える存在になっている。

 なぜにこれほど強靭なのか。(中略)公明党が自民党と連立し、そのあり方で、この国が転換する可能性が出てきたことで、なんとしても取材せねば、という気持ちになったのである。(同)

 本書の取材と執筆には約3年を要したと田原氏は書いている。
 ジャーナリストらしく、国内外の創価学会の最高幹部らにも細かい取材を重ねている。また幾人もの会員の声を拾い、現代に生きる人々がどのようないきさつで創価学会の信仰を選び、直接間接のどのような〝池田会長との出会い〟を通して蘇生してきたかにも、真摯に追っている。
 そこには安易な同調は避けながらも、対象と誠実に向き合おうとする姿勢があって、信仰を愚弄してかかるような不遜さが微塵もない。
 構成は、1930年の学会創立から時系列にその歴史を追い、学会がなぜ発展し、あるいはどのような経緯で危機に直面し、そしてそれをどう乗り越えてきたかを論じたものだ。
 よく調べていると感心する読者もいるだろうし、学会員のなかには、2度の「宗門事件」の経緯の部分など、一面的で端折った描き方になっていると不満に思う人もいるだろう。
 いずれにせよ、田原氏は学会に何らおもねることなく、自由にこの本を書いているということだ。

池田会長の印象

 田原氏が最初に池田会長と会ったのは、1973年のことだったという。

 おそらく近寄りがたい雰囲気を持っているに違いないというこちらの予測は見事に外れ、偉ぶったところを一切感じさせない人だった。しかも、人の話を聞くのが非常にうまい。(第4章)

 司会を務めるテレビ番組でも知られているように、田原氏はわざと単刀直入に相手の痛いところを突いたり、挑発的な質問をぶつけるというスタイルをとる。

 私はこれまで2回、池田と会っているが、そうした私の挑発に対して池田は〝本音〟で返してきた。会長という立場でありながら、創価学会の機微に触れるようなことも、率直に語るのである。これには驚いたし、好感を抱いた。
(中略)
 もう一つ、私が池田に感じたのは、自分をよく見せようという下心がまったくなく、誠実で相手のことを気遣うことのできる、きめ細やかな神経の持ち主だということだ。〝私心〟がない、つまり無私なのだ。
 池田の心を占めているのは、恩師の戸田城聖から受け継いだ創価学会をどのように発展させていくかということだ。(同)

 田原氏が本書で一貫して読者と共に解明しようとしているのは、「なぜ創価学会はこれほどまでに強いのか」という一点である。
 宗教が個人の心の内面に留まり、社会に何ら変化をもたらさないのであれば、基本的にその宗教が社会からバッシングされることはない。
 もちろん独善的な教義を掲げ、反社会的な行為を肯定するような教団が糾弾を受けるのは当然であるし、そのような宗教は社会からの信頼を勝ち得ることができない。
 創価学会は、これまでにないタイプの宗教運動だったがゆえに、急速な成長期には社会から強い反発を受けたし、権力からあからさまな圧迫を受け、他宗教から敵意や警戒心を向けられた。
 しかし、それらをすべてエネルギーと成熟への知恵に変えて、学会は誰も想像しなかったような発展を遂げた。
「公明党の連立政権参加とその舞台裏」と題された第7章では、平和安全法制や憲法改正に関して、田原氏が直接、安倍首相や公明党首脳とやりとりした内容も登場する。
 また、巻末には原田会長へのロング・インタビューも収録されている。
 なぜ学会は世間の予想を覆して発展したのか。田原氏は、こう記している。

 宗教と民主主義は相容れないのではないかと私は感じていた。公明党が結党し、政界に進出したときにも、創価学会はこの矛盾にどう対処するのかと案じたものだ。
 だが、池田大作氏は宗教における〝排除の壁〟を見事に乗り越えた。どのような宗教も決して否定せず、他宗の信者たちともコミュニケーションを図り、信頼し合うことに成功した。この一点だけでも、私は池田大作氏を高く評価している。
 これは、どの宗教にも成し遂げられなかったことであり、私はそこに、創価学会の凄さを感じるのである。結果として、現在創価学会は世界192ヵ国・地域で活動を行ない、公明党は自公連立政権として政治の中枢を担う、重要な役割を果たしている。(あとがき)

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