いま僕らの社会を成り立たせているのは、経済としては資本主義であり、政治としては間接(代議制)民主主義だ。このふたつは近代の発明といっていいのだが、だんだん不具合がでてきている。
では、それに代わるものはあるのか? なかなか難しい問題で、決め手はない。ただ、いろいろと新しい試みが現れている。『雇用なしで生きる』の著者は、2012年、「今、革命が起きてるよ!」と聞いて現地のスペインへ向かった。本書は、経済、政治の新しい試みのリポートである。
2011年5月15日、スペインの首都マドリードで、政治や経済の矛盾に抗議する市民や学生による数万人規模のデモが行われた。これは「5月15日(15 de mayo)」=通称15M(キンセ・エメ)と呼ばれるようになった。
この市民運動のおもしろいところの一つは、「お金にばかり頼らない経済の在り方・生き方」を考えたところだ。もともと参加者が経済的に恵まれない人々だったこともあって、いまの資本主義の外へ出ることを志向するような試みが生まれた。
たとえば、物々交換。必ずしも交換ではなく、人が不要になった物をただ貰い受けることもできる。そして、時間銀行。これは少し詳しく説明しないと分からない。
時間銀行とは一般に、「時間」を交換単位として、「銀行」に参加するメンバー間でサービスのやりとりをする仕組みだ。メンバーはあらかじめ、「銀行」に自分が提供できるサービスを登録。誰かから依頼されたサービスを提供すると、かけた時間分の「時間預金」ができ、依頼者は同じ時間数を預金から差し引かれる。
2015年現在、スペイン全土で300ほどの時間銀行があるという。運営するのは、市役所だったり、市民グループだったりさまざまだ。
具体的には、たとえば、ある人が引っ越しや家事を手伝って蓄えた「時間預金」で息子の家庭教師を依頼する。それを引き受けた中学の教師は、家庭教師で得た「時間預金」で、別の誰かが主宰している「笑いのセラピー」に参加し、健康のために大いに笑うことを学ぶ。
「時間銀行」は、まさに資本主義的な金融システムや労働時間、賃金の概念を超えた、隣人たちの思いやりの銀行なのだ。
時間銀行は、普通の銀行のようにマネーのやりとりをするのではなく、人々を結びつけ、つながりをつくるための仕組みといえる。実は、これが世界で最初につくられたのは日本だった。
1973年に水島照子さんという女性が大阪で立ち上げた「ボランティア労力銀行(現・ボランティア労力ネットワーク)」という組織である。
女性たちが時間を単位に、出産、子育て家事などを補助し合う活動を展開した
という。
残念ながら日本では、この取り組みはあまり知られていないが、アメリカでは80年代に「タイムバンク」が生まれて世界へ広がり、スペインでは15Mをきっかけにして広く利用されるようになった。
スペインで時間銀行が注目されるようになったのは、『雇用なしで生きる』(本書はその表題を借りた)という著作をしるしたフリオ・ヒスペールの存在が大きい。彼は、「もうひとつの経済」を提唱する。それは、
雇用も公的補助金も寄付もなくても、「仕事をする」(注・仕事には家事労働なども含まれる)ことさえできれば、ちゃんと生きていくことができる経済世界のことだ。
そのために、物々交換、時間銀行、補完通貨(地域通貨)などを活用して、
既存の経済システムを覆すのではなく、そのシステムが解決できない事柄を補う、もうひとつの経済システム
を築くのだという。おそらくしばらくのあいだ資本主義はなくならない。なぜなら人の自然な欲望に根差しているからだ。そうであるならば、その綻びを繕い、補うような、もう一つのシステムを構想するのは、まっとうなことだとおもえる。
こうした試みは、新しい政治の動きとも連動しつつある。アンダルシア州のマリナーダという人口2700人ほどの村は、直接民主主義によって運営されている。村長はいう。
私は村人全員が村長であるべきだと思っています。だから、ここでは住民総会が最高決定機関です。村のことはできるだけ多くの住民が集まって議論し、決定するのです。
村民たちは、おおむねこの村の暮らしに満足しているようで、村長を父親のようなものだという。村長は、「直接民主主義による国家運営」を訴える。
もうひとつの経済、もうひとつの政治――僕らもひとつ考えようではないですか。
お勧めの本:
『雇用なしで生きる スペイン発「もうひとつの生き方」への挑戦』(工藤律子著/岩波書店)