作家になる、と宣言して高校を中退した。若気の至りである。もちろんすぐに作家デビューできるわけもなく、高校中退の身の上では、ろくな働き口もなく、さまざまなアルバイトを転々とした。
なかでもきつかったのは、建設現場の力仕事だった。穴を掘ったり、セメントをこねたり、資材を運んだり。昼前には、くたくたになる。ただ、若かったから食欲はあって、昼の弁当は、このうえなくうまかった、
朝の早い仕事だから、終わるのも早い。日没前には帰り支度をする。しかし僕は、まっすぐ家へ帰らない。途中で喫茶店に寄るのだ。
入り口をくぐって窓際の席に坐ると、コーヒーと煙草を頼む。そして、おもむろに一服。体中に煙草をしみわたらせ、ほろ苦いコーヒーを啜る。ここでようやく人心地ついて、1日の終わりを実感した。
そして、ポケットから文庫本を取り出す。中原中也の詩集だ。彼と立原道造は、僕にとって青春の詩人である。折に触れて、読み返してきた。「汚れつちまつた悲しみに……」は、暗唱できた。いまでも、この詩の一節を口にすると、甘くせつない気持ちになる。
このあいだ書店をパトロールしていたら、『中原中也』という書名が眼に入った。著者を見ると、佐々木幹郎とあったので、迷わずレジへ持って行った。予想通り、いや、それ以上におもしろかった。
濃密な本だ。中原中也の全集を編纂した著者が、新しい資料も参照しつつ、詩人が作品を推敲する過程を追っていく。作品の創造とは、推敲の過程にほかならないので、そうすることによって、作者の精神の軌跡をも明らかにする。本作は、作品を軸にした中原中也の評伝でもある。
冒頭の1章。詩人の第1詩集である『山羊の歌』を読み解くところを読むだけでも、この本のおもしろさは、十分に味わえる。
『山羊の歌』には、校正刷(一般に「ゲラ」と呼ばれる校正用の印刷物)が3校まで残っている。最後の詩篇「いのちの声」は、2校では、
ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、
万事に於て文句はないのだ。
となっている。それを中也は、赤ペンで訂正し、
ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。
とした。著者は、この訂正を、こう推測する。
作者は、『いのちの声』の最後の一行を、一息で歌いたかったのだ。いや、この詩句が詩集の最後の一行を締めくくるということに気づいたとき、『身一点』をさらに強調するように、視覚的にも一行にしたかったのだ、と考えることができる。
3校の最後の一句に続く余白に、中也によるものと思われる万年筆のフランス語の書き込みがある。邦訳すると、こうなる。
それ(あるいは彼女)をそんなふうに見るなら、…することは不利(あるいは不都合)だ。
これは『山羊の歌』を印刷する直前の心の動きをしるしたもので、著者は、中也が、
人生をそんなふうに見ているから、おまえは損なことばかりしていることになるのだ。
といいたかったのではないかと推測する。そして、こういう。
ここに一人の詩人の、表現者としての存在の不安がみなぎっていることがわかる。
『身一点』になること。詩人であることの幸福と不幸。わたしには、中原中也が第一詩集を出すにあたって、自負とともに自らへの揶揄を込めて、フランス語で書いたとしか思えない。
本作は、このように名探偵がきちんとした「証拠」を吟味し、「犯行」と「犯人の心理」を再現するように、中也の詩を読み解いていく。時折、中也の生活、交友など、伝記的事実をまじえながら語っていくのだから、おもしろくないはずがない。これは、すぐれた詩人にしか書けない本である。
新資料として発見された『療養日誌』には、自作の民謡が残っており、最晩年の中也の、詩人の魂が窺える。また、日記によれば、彼は死の1カ月ほど前からフランス語の勉強をし始めた。中也は、自分が死ぬとは思っていなかった。
詩人の息遣い、精神の震えが伝わってくる作品だ。僕の青春の詩人が、新たな貌でよみがえる。
お勧めの本:
『中原中也 沈黙の音楽』(佐々木幹郎/岩波新書)