沖縄に来る空手家が一度は訪れるバー
那覇市最大の繁華街「国際通り」を出てすぐの場所に、地元でも名の知られた酒場がある。その名は「DOJO Bar」(道場バー)。いまでは世界から沖縄を訪れる空手愛好家が必ず一度は訪れるとされる場所だ。
オーナーは空手愛好家のイギリス人、ジェームス・パンキュビッチさん(44)。「多くの空手家が交流できる場所をつくりたかった」と2011年夏にオープンしたこの店を訪れるのは、日本人と外国人が約半々。客の半数が空手関係者という。広い店内は奥行きがあって、左手奥にカウンター席が設けられている。
そうして2009年、奥さんの実家の家業を手伝うため、家族で沖縄に移住することを決意。最初の1年間は、実家の菓子製造業を手伝った。同時に空手道場に所属し、稽古で汗を流した。そんなときに気づいたのが、海外から来る空手家たちが交流するための場所がどこにもないという現実だった。
ためていたお金を資金に手作りで店をオープン。宣伝にかける費用も十分に捻出できず、当初はひたすら口コミの宣伝を心がけた。そのため認知されるまでにそれなりの時間がかかったというが、「4~5年もすると地元のタクシー運転手で知らない人はいないというまでに広がった」という。
店内には有名な空手家の写真や空手関係のグッズがあり、さらに世界から訪れた客が残していったおびただしい寄せ書きなどが壁一面を飾る。
ジェームスさんの場合、空手留学で沖縄に来たわけではない。結果として空手をつづけられる場所に巡り会ったという感じだが、いまや流派や国籍を超えて、「DOJO Bar」が世界の空手家たちの交流の場となっていることは確かだ。その証拠に、空手の国際セミナーが開催される8月から「空手の日」の演武祭が開催される10月など、夏から秋にかけてのシーズンが店内は最も忙しくなるという。
4~5年前、「100kataチャレンジ」のイベントを立ち上げた。同じ空手の型を一度に連続100回チャレンジし、その様子をインターネット上にアップするという企画だ。ジェームスさん自身、空手4段の腕前で、いまも週に 4、5回の稽古を欠かさない。空手の目標を尋ねると、「私にとって空手は道そのものです」との返事がかえってきた。
ダイエットにも絶大な効果
「DOJO Bar」で働く、若い女性がいる。名前はベッカ・テーダーさん(25)。イギリスで生まれ育った彼女は16歳で合気道を始め、18歳のときに町に一軒しかない空手道場(松林流)に入門。以来、空手の魅力にとりつかれた一人だ。
20歳のときに空手道場の先生とともに沖縄を訪問。先生とジェームスさんが知り合いだったという。22歳で再び来日。昇段審査を受け、そのまま空手修行のため沖縄に住み着いた。その彼女は、中学生のころは肥満に悩んでいたという。最大で120キロあった体重は、合気道を始めてもさほど減ることはなかったが、空手を始めてからは、たくさん汗をかいて稽古することもあって、みるみるうちに減っていった。そうして日本に来るころには90キロに落ちた体重が、沖縄で3年間稽古をつづけたことにより、さらに70キロ台にまで下がったという。代謝をアップさせる空手の稽古が美容のためによいことは関係者の間では広く知られている。
現在は、保育園で英語を教えるかたわら、日々の稽古に余念がない。沖縄に来て感じることは、空手道場が家族のような関係にあることという。同じような感想はほかの道場でも何度も耳にした。
昨年(2016年)2段に昇格したベッカさんの次の目標は、2年後の2018年に受審が許される3段を取得することという。3段になると、自分で道場を開く資格が得られるからだ。
彼女のように長期短期を問わず、空手を目的に海外から沖縄を訪れる人は、把握できる分だけで年間5000人ほど。世界に広がった空手は、主に沖縄空手と本土空手(松濤館、糸東流、和道流、剛柔流)に分かれるが、本土空手の海外道場の場合、沖縄の先生と直接コンタクトできる人脈はほとんど存在しない。コンタクトを取りたい人たちが(連載第1回で紹介した)「沖縄空手案内センター」のミゲールさんを頼って来るが、ベッカさんのように海外の支部道場が沖縄空手の系列の場合には、「空手発祥の地」沖縄とダイレクトにつながることが可能だ。
「イギリスで自分の道場を開いて子どもたちに空手を教えたい」
ベッカさんはカウンターの中で目を輝かせた。
「注目される沖縄伝統空手」シリーズ:
注目される沖縄伝統空手(上)――「空手」は沖縄発祥の武術
注目される沖縄伝統空手(中)――沖縄の空手家・長嶺将真とその時代
注目される沖縄伝統空手(下)――世界から沖縄に集まる空手愛好家たち