大江健三郎さんの小説を読むようになったのは10代のころだった。同時代の小説家として、世界文学の動向を視野に入れ、新しい文学をつくろうとしている態度に共感し、新作が発表されるたびに注目してきた。
お会いしたことはないが、僕が続けて芥川賞の候補になっていたとき、選考委員をなさっていたので、作品を読んでもらうことになった。確か4回目に落選したときの選評で、「村上政彦は実力を示してきた」と評され、複雑な思いを 抱いたおぼえがある。
さて、『大江健三郎自選短篇』である。
第一印象は、まず、分厚いことだ。それでも「自選」であり、収録しなかった作品のほうが多いという。彼は、この文庫に収められた作品すべてを書き直した。解説はなく、「あとがき」を自分で書いている。意識的に文学をつくることに努めてきた小説家らしいつくりだ。
それぞれの短篇が、Ⅰ初期短篇、Ⅱ中期短篇、Ⅲ後期短篇と分かれているのも、おそらく作者の意図だろう。自分という小説家は、このように変遷してきたと示しているのだ。
冒頭に置かれているのは、初期短篇で、処女作の「奇妙な仕事」。
大学生の「僕」が犬殺しのアルバイトをする。プロの犬殺しが、犬を棒で殴って昏倒させ、包丁で刺して血を抜き、皮を剝ぐ。僕は、死体を片付けて、生きた犬を連れて来る。やがて仕事の元請けの男が、犬の肉を町の肉屋に売っていたことが発覚し、警察が来てアルバイトは終わる。
小説を書き始めたばかりの若い小説家らしい、みずみずしい作品である。まだ、小説になりきっておらず、コントのような印象を与えもする。しかし、言葉の運びやイメージのつなぎ方など、すでに才気が窺われる。
彼はこの作品で注目されて小説家になっていくわけだが、僕がまだ小説家としてデビューしたばかりのころ、もう亡くなった批評家の秋山駿さんが、大江さんが駆け出しのころの逸話を話してくれた。
商業誌から注文があって作品を書いて持って行く。しかし、翌月の雑誌には掲載されない。雑誌には、この月には誰それの作品を掲載するというプランがあるのだから、それは当然のことだ。
ところが、大江さんは作品がよくないので没になったと考えて、また別の作品を書いて持って行く。そういうことが何度か続いて、持ち込まれた作品がどれも一定の水準に達しているので編集者は感心した。
「彼は、それからずっと書き続けている」と秋山さんはいった。「書き続けることが大切なんだよ」
中期短篇の「河馬に噛まれる」。
小説家の「僕」が山小屋で見た地元の新聞に、アフリカのウガンダで日本人青年が河馬に噛まれ、大怪我を負ったという記事があった。僕は、それを読んで、彼がかつての知り合いではないか、と想像する。
東大の学生だったころ、教養学部の学生の何人かで、年上の女性にフランス語を教え、「文化問題」を話し合うことで、食事を与えられるアルバイトをした。当の女性は、僕らと離れてから、また別のグループと食事会をするようになり、そのなかのメンバーの子供を妊娠して、ひとりで北海道の実家へ帰った。
僕が小説家として活躍するようになり、その女性から連絡があって、息子がある施設に収容され、困難に直面しているから、文通してやって欲しい、きちんと生きていけるように助言してもらえないか、という。
少年は、高校の在学中に、過激な学生運動のグループの一員となり、マス・メディアでも大きく取り上げられた事件に関わったと、罪に問われているらしい。
僕と少年は、何度か手紙を交わしているうちに、少年が学生運動のグループが暮らしていた山荘で、生態系にいい影響を与える簡易的な水洗トイレをこしらえていたことが分かる。
僕は、少年が、そういう仕事に携わることで立ち直れないかと、動物が好きな彼の関心を惹くため、「水中の動植物のエネルギー源としての河馬の糞」(ウガンダの河馬の生態)についてしるした本を差し入れた。
それ以来、僕は少年と接触していないのだが、新聞記事の日本人青年が、もしかするとあのときの少年ではないかとおもう。それならば立ち直るきっかけを摑んだのではないか――。
これは「奇妙な仕事」と違って、相当な手練(てだれ)になった小説家の作品だ。小説家の日常に発する始まりから、社会的な事件を交えて展開し、アフリカのウガンダで活動する日本人青年が、実は、かつての知り合いではないか、というところに着地する。大江ワールド、全開である。
後期短篇の「ベラックァの十年」。
ダンテの「神曲」を引用して長篇小説を書いた小説家の「僕」が、「神曲」を原語で読むためにイタリア語を学ぼうと思い立ち、若い女性に家庭教師を依頼する。だんだん親しくなるうちに、彼女は自分の鬱屈を打ち明けるようになった。
それは、つきあっている男性の子供を妊娠したらしく、自分はカトリック教徒なので中絶は許されないから、結婚を持ちかけたところ、相手は逃げ腰になり、ほかに父親がいるのではないかと疑うようになったという話。
僕が、対応に悩んでいると、とうとう彼女は思い余り、僕に子供の父親になって欲しい、ヨーロッパに移住して新しい生活を始めようではないか、と持ちかける。そして、僕を誘惑しようと派手な罠を仕掛けるのだが、僕は応じない。
結局、妊娠は彼女の思い込みであることが分かる。それから10年が過ぎて、僕を訪ねて彼女が現われる。今度は、彼女に浮気を持ちかけられるのだが、僕は、それも果たせず、「十年間、遅かった!」と悔やむ。
これは1988年の作品で、作者は、すでに初老となっている。技術は進んで、精巧な工芸品を眺めるような味わいがある。処女作のようなみずみずしさは求めようがないが、ここまで書き続けるだけでも、大変な手柄である。
東大在学中にデビューした大江さんも82歳になる。この人の文業にも、やはり、岩波文庫入りがふさわしい。
お勧めの本:
『大江健三郎自選短篇』(大江健三郎著/岩波文庫)