誰が日本の平和を守ったのか
当代きっての論客である著者の佐藤優氏は、日本基督教団に所属するプロテスタントのキリスト教徒であることを公言している。同志社大学神学部ならびに同大学院神学研究科修士課程を修了して外務省に入省。在ロシア日本大使館勤務、国際情報局分析第1課主任分析官を経て、作家活動に至っている。
佐藤氏はこの『創価学会と平和主義』(朝日新書)の「あとがき」で、こう綴っている。
本書を上梓するにあたって「創価学会について書くと、余計な敵を作ることになるので、止めた方がいい。職業作家としてマイナスになる」という忠告を数人の友人から受けた。しかし、敵を作ることよりも、真実を書かないことによって戦争への道を加速することの方を私は恐れる。
この本の構成を大きく示すと、まず2014年7月の閣議決定をめぐる「集団的自衛権容認の真相」が解き明かされる。マスコミが集団的自衛権行使容認に踏み切ったと報じた閣議決定が、実際にはむしろ集団的自衛権に縛りをかけたものであり、その「縛り」をかけさせたのが公明党であることを論証しているのだ。
閣議決定に関して多くのマスコミが論じたように〝公明党が自民党に押し切られた〟と思っている人は、ぜひこの佐藤氏の論証を虚心坦懐に読むべきだと思う。実質30ページの紙幅で明快に説明されている。
氏の政治への視点はシビアだ。いかに美しい理念、きれいな平和論を語ったところで、暴力性を見せる目の前の政治権力に影響力を示せなければ、現実に平和を創り出し、人々を守ることはできない。安倍首相が「集団的自衛権行使」へ舵を切ろうとした中で、どの政党がそれを実質的に阻止し、日本の平和を守ったのか。ここに果たした公明党の役割を佐藤氏は整然と論証する。
では、なぜ公明党はこうした現実的な「平和主義」を貫けたのか。本書の大部を割いて佐藤氏が分析するのは、公明党の支持母体である創価学会についてである。
現実を変革しようとする「此岸性」
自身が宗教者である佐藤氏は、じつに的確に創価学会の本質をつかみ取っている。
まず第1として、その「此岸性」を挙げているところは、さすがと言うほかない。佐藤氏は、日蓮が「立正安国論」で痛烈に批判した浄土宗の教えを、
過去(因)→現在(果)→念仏(転換の契機)→極楽往生
と図式化してみせる。それに対し、創価学会が依って立つ日蓮の教えを、
現在(因)→唱題(転換の契機)→未来(果)
と図式化する。唱題とは南無妙法蓮華経の題目を唱えること。
浄土宗の図式のように、死後の世界(彼岸)での救済を説く宗教は多い。今ある苦しみは過去の罪障の果であって、信仰によって死後に救われるという構図である。この構図の信仰は受容するには楽だが、現実の人生や社会に立ち向かう意欲を失わせかねない。政治批判・社会改革とは別の方向にベクトルが向くので、統治する為政者に都合のよい宗教だともいえる。日蓮が浄土宗の思想を批判した大きな理由もここにあるし、鎌倉幕府がその日蓮を危険視した理由もここにある。
対する日蓮の思想は、今がどれほど困難でも、その「今・ここ」を出発点として、未来を切り拓こうとする。その未来には、もちろん死後も含まれはするが、なによりも今世の人生であり現実のこの世界(此岸)に力点が置かれている。決意して立ち上がる「今・ここ」は因であると同時に、拓かれゆく未来の果そのものだ。
永遠という宗教的視座(彼岸)に立った理想と智慧を、そのまま「今・ここ」の人生と社会という現実(此岸)の上に具現しようと挑戦する宗教である。当然、その宗教性は政治に無関心ではいられない。
この「此岸性」が日蓮仏法の大きな特徴だと、私は考えている。「此岸性」は、創価学会――公明党を捉えていく上で重要なポイントにもなると思う。
それは言葉を変えれば「宗教のための宗教」ではなく、どこまでも現実の人間の苦悩に光を当て、その変革に挑戦する、「人間のための宗教」をめざすということであろう。
SGIが「世界宗教」になれた理由
佐藤氏が的確に示した本質の第2は、創価学会の運動が「池田大作」という名、すなわち指導者の人格、思想、行動と結びついていくことの意義である。
創価学会における師弟論を、個人崇拝のように誤解する向きは少なくない。けれども佐藤氏は、たとえばイエス・キリストという固有名詞がキリスト教にとって決定的に重要な意味を持つことを挙げる。
そして、創価学会にあって各人の信仰が「池田大作」という固有名詞と結びつくことが、世界宗教としての普遍化を可能にしていると指摘するのだ。
どういうことだろうか。SGI(創価学会インタナショナル)は世界192ヵ国・地域の創価学会の連帯であり、SGI憲章には、「その国・地域のよき市民」をめざすことが謳われている。当然ながら各国の学会員は、国単位で見ればそれぞれ自国の社会的価値を尊重し、健全な範囲ではそのナショナリズムとも協調姿勢をとる。
だが、会員たちは各国の創価学会員であると同時に、SGIという世界規模のネットワークの一員でもあり、SGIを生み育てた池田SGI会長の世界平和への信念と行動を継承しようとする。その国・地域のよき市民であるとともに、世界平和の道をひらいてきた池田氏の弟子として、ナショナリズムの暴発を回避するバランサーとなる。
世界宗教とは、単に各国に流布しているということでなく、その信仰が本質的にナショナリズムの枠に縛られない視点を持っていることに意味がある。13世紀以来、日本の宗教であった日蓮仏法は、「池田大作」という固有名詞と結びついたSGIになったことで、名実ともに世界宗教への普遍性を持ったと佐藤氏は指摘しているのだ。
共産も社民もナショナリズムを煽る政党
一方で佐藤氏は、創価学会と公明党への〝注文〟もつけている。
氏は、憲法20条の「政教分離」が、宗教者の政治参加を禁じたものではなく国家の宗教的中立を定めたものであることを解説し、創価学会と公明党の関係が何ら問題ないことを論証する。
その上で、小説『新・人間革命』に描かれた理想のように、公明党が学会の支援がなくとも国民の幅広い支持と信頼を得られるようになるためには、過度に「世俗政党」化しないほうがいいと述べているのだ。
理由として、佐藤氏は現在の日本の政治ゾーンに言及する。
各政党のイデオロギーを見ると、一番右端に「維新」や「次世代」があり、次に「自民」がくる。そこから中盤あたりまでが「民主」。逆に一番左端が「共産」で、そのすぐ右隣が「社民」。じつは、中道左派のゾーンが空白になっているのだ。一方で国民の政治意識は極右、極左を除いたところに均等に分布している。
つまり、今の日本の政治状況では、中道左派に投票したい人にとって投票する先がない。社民党は影響力がなさすぎるので、右側の政党に投票したくない人の現実的な選択肢は「公明」か「共産」しかなくなってしまう。
本当は、「公明」こそこの中道左派のところにあるのだが、支持者以外の有権者にはまだまだ抵抗感が拭えないと氏は言う。
興味深いのは、佐藤氏が「共産」も「社民」も反米感情や反北朝鮮感情を煽るなど、ナショナリズムに依拠する政党だと指摘する点だ。しかも、近未来には排外主義を掲げた政党が誕生する可能性すらある。
したがって、中道左派を望む有権者にとってナショナリズムと排外主義を除外した現実的な選択は公明党しかないと結論しているのである。それなのに、そこにいる有権者が公明党を選択しづらいのは、宗教的バックボーンに支えられた政党だと衆目が一致しているにもかかわらず、公明党が過度に支持母体との距離を見せようとするわかりにくい態度に〝うさんくささ〟を覚えるからだと佐藤氏は言う。
公明党は、日蓮仏法の理念を現代社会に反映させ、反戦平和と大衆福祉の実現を目指す政党だと自身を規定し直すことで、党の輪郭が明瞭になり、外部の人間にはどうしても感じられてしまう、ある種の〝うさんくささ〟が消える。その結果、公明党は、無党派層が投票先を考えるときの選択肢の一つとして認知されるようになる。
今が公明党の躍進のチャンスだと、佐藤氏は述べている。
公明党も結党50年となり、日本で3番目に歴史の古い政党になる。本来、学会の支持がなくとも国民の支持を得て当選できるだけの仕事も十二分に果たしてきたはずだ。きわめて清潔な党であることは、国民もよく知っている。しかも現実に与党の一角を占めているのだ。
その政党が、佐藤氏が言うように〝うさんくささ〟を拭いきれていないのだとしたら、公明党は謙虚に省みる必要がある。氏が言うように、自分たちの依って立つ哲学と平和思想の原点を、もっと明瞭に語るべき時代が来ているのではないか。
価格 821円/朝日新聞出版/2014年10月10日発刊
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