「こぶし腰浮かせ」と「傘かしげ」の捏造
公共広告機構(現・ACジャパン)のマナー啓発広告に取り上げられたこともある「江戸しぐさ」は、2014年度から小学校の道徳教材「私たちの道徳」に取り入れられました。文部科学省認定の教材にも出てくる江戸しぐさとは、どんなものなのでしょう。
江戸しぐさの淵源は、1980年代に芝三光(しばみつあきら)という人物が考えついた江戸っ子の言動や行動パターンです。芝の晩年に弟子入りしたノンフィクション作家・越川禮子氏は、江戸しぐさを整理してマニュアル化しました。
江戸しぐさとして語られる代表的なものは、「傘かしげ」(人とすれ違うときに傘を傾け、雨や雪がかからないようにする)や「こぶし腰浮かせ」(人のために長イスを空け、席を譲る)です。
和傘と洋傘の構造の違いを知っていれば、「傘かしげ」のおかしさにすぐ気づきます。和傘にはスプリングがついていませんから、洋傘のように一気に全開で固定されるのではなく、すぼめた状態に調整しやすいのです。
すぼめた状態にしやすいのですから、狭い路地で人がすれ違うにしても、傘を横に傾ける必要なんてありません。さらに言えば、江戸時代の家は土間が路地に面する構造です。雨の日に狭い路地で傘を不用意に傾ければ、人さまの家の土間に水をぶちまけることになります。そんな「傘かしげ」が、推奨されるべきマナーであるはずがありません。
「こぶし腰浮かせ」も完全なウソです。現代人は横長の座席がついた乗り物を日常的に使いますが、江戸時代には電車や乗り合いバスのような構造の乗り物は存在しませんでした。腰をかけられる長イスがついた乗り物がないのですから、立っている人が近くにいたとしても席の詰めようがないのです。
渡し船には、座席に見えるものがついた例もあります。ただしそれは、下に荷物を置いて整理するために使う小さな台です。渡し船には荷物だけでなく馬も一緒に乗せ、ついでに人間も運ぶわけですから、貨物の邪魔になる座席なんて造りません。
考えてもみてください。渡し船とは、川の岸から岸へ渡るためのものです。途中で駅やバス停のような場所はありませんし、乗客が新たに船に乗りこんでくることなんてありません。何人も横に並んで座れる渡し船は存在せず、「こぶし腰浮かせ」による席の詰めようがないのです。
関東大震災を予知した江戸っ子
江戸しぐさには「時泥棒は十両の罪」(遅刻や長居によって人の時間を無駄に奪うべきではない)という言い方もあります。江戸時代では、夜間と昼間では一時(いっとき)の長さが違いますし、季節によって時間の数え方は複雑に異なりました。
「その複雑な時刻制度を使いこなすくらい、江戸時代の人は時間に厳格だった」と江戸しぐさのマニュアルは言うわけですが、実際は逆です。人々が時間にルーズだったため、時刻制度が複雑でも誰も不自由を感じませんでした。精密な機械時計は世の中に普及していませんでしたし、細かい分刻みの時間なんて確かめようがなかったわけです。
江戸しぐさには、「ロクを磨く」「六感しぐさ」というオカルトの要素もあります。前出の越川禮子氏は「関東大震災の朝、多くの江戸っ子が地震を予知して東京を離れた」と主張しているのです。
江戸時代には仏教でいう「六識」が認識論の基礎にありますから、そもそも「第六感」という数え方が間違っています。視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚に続く六番目の認識とは、超感覚としての第六感ではなく意識そのものです。仏教の認識論は六識に加えて末那識、阿頼耶識と続きますから、越川氏が言うような超能力を差し挟む余地はありません。
江戸しぐさには「三脱の教え」(職業・年齢・学歴で人を差別しない平等思想)もあります。越川氏は「江戸時代には、初対面の人に年齢・身分・職業を聞くのは失礼とされていた」と言うわけですが、武士や商人、農民だとひと目でわかるような服装や髪形にしていなければ生活できないのが、江戸の身分社会でした。失礼も何も、相手の身分など言わずもがなでわかったわけです。
このようにウソでウソを塗り固めて作られた江戸しぐさが、なぜマナー啓発広告や道徳教材に使われ、多くの人々に受け入れられているのでしょう。文化や社会が異なれば、生活の基本が変わるのは当たり前です。ところが人々は「自分たちにとって当たり前のことが、昔の人にとっても当たり前だった」と、どこかで思いこんでいるのでしよう。
江戸時代の常識と私たちの常識は、大きくかけ離れています。現代人にとって実用的なことが、江戸時代の人にとっても等しく実用的であるはずがありません。江戸しぐさを信奉する越川氏は、こともあろうに「幕末・明治期に江戸っ子狩りが行われた」というフィクションまで説いています。
越川氏はベトナムのソンミ村虐殺(※注1)、アメリカ先住民のウーンデッド・二ー虐殺(※注2)引き合いに出し、江戸しぐさを知る江戸っ子が皆殺しにされたと言います。そのせいで史料や伝聞が途絶え、特定の個人しか江戸しぐさを知らないと言うのです。一つのウソを守るために、さらなるとんでもないウソをつく。このような歴史の捏造を認めるわけにはいきません。
(※注1)ソンミ村虐殺…ベトナム戦争中の1968年、米軍がソンミ村で非武装の住民504人を殺害した事件。
(※注2)ウーンデッド・二ー虐殺…1890年、米国サウスダコタ州で約300人のスー族が殺されていた事件。
「非実在江戸っ子」を信じる人々
現代人のマナーとして「傘かしげ」や「こぶし腰浮かせ」のようなことを教えるのであれば、問題はありません。しかしそれが「江戸しぐさ」であるという時点で、江戸時代への理解を阻害する欺隔になります。これは江戸の文化・伝統に対するタチの悪い冒濱です。
私は「江戸しぐさはUFO墜落よりもありえない」と言っています。私たちは、他の星に文明があるのかないのか知りません。宇宙は人間にとって未知の領域ですから、いつの日か宇宙船が地球に墜落してくることが、100%ありえないとは言えないわけです。
江戸時代についてはどうでしょう。私たちよりほんの数世代前の江戸時代については、たくさんの記録や書き物が残っています。ところが江戸しぐさの信奉者は、それらの史料に基づかないウソを江戸の文化・伝統として伝承しようとしているのです。空飛ぶ円盤の墜落よりも、江戸しぐさのほうがもっとありえない。本当に荒唐無稽な話です。〝非実在江戸っ子〟〝脳内江戸っ子〟と、実在の江戸っ子を混同してはいけません。
道徳教育を学んだ小学生が、江戸しぐさのウソについて知ればどうなるでしょうか。ウソを前提にしなければ成り立たないものを道徳教材に取り入れれば、マナーが向上するどころか、学校教育への信頼そのものが崩壊してしまうでしよう。
下村博文・文部科学大臣は、江戸しぐさの信奉者(高橋史朗・明星大学教授)を勉強会に招いて講義を受けたことがあります(2013年7月)。その下村大臣のもとで道徳教材に江戸しぐさが新たに導入されたのですから、大臣はよほど自信をもっているのでしょう。江戸しぐさの誤りに、下村大臣や文部官僚は早く気づいてほしいものです。
公教育の現場で道徳教育をするならば、捏造された江戸しぐさではなく、たとえば西洋式の本格的なマナーであったり、茶道や華道を教えればいいのです。
<月刊誌『第三文明』2014年12月号より転載>
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