「閣議決定」の謎
7月1日(2014年)の「閣議決定」について、田原総一朗氏はこう述べている。
「公明党が強く反対をしたため、政府・自民党は大きく妥協。さまざまな条件をつけるなどして、当初の案を大幅に変更した。その結果なのだろう。できあがったものは、『個別的自衛権』で十分やれるのではないか、という内容なのだ」(田原総一朗公式ブログ 7月23日付)
「解釈改憲だとの批判もあるが、閣議決定を読む限りそれは当たらない」(「平和憲法の基本原則守った 個別法審議でも公明の踏ん張り期待 ジャーナリスト/田原総一朗」公明新聞7月26日付)
今回の閣議決定は、一見すると奇妙である。
メディアは閣議決定を〝集団的自衛権行使が一部容認された〟と主張し、自民党もそのように言って満足し、反対派も同じ認識で憤り、しかし一方の与党である公明党は〝従来の個別的自衛権の政府見解を何も越えていない〟と言い、田原氏ら多くの識者もそう言い始めている。
このことの意味をよく考えてみたい。
できるだけ簡単にまとめてみる。
まず「個別的自衛権」とは、自国に対する他国からの武力攻撃に対し、防衛のために武力を行使する権利だ。
これに対し「集団的自衛権」とは、ある国が武力攻撃を受けた場合、密接な関係にある他国が共同して防衛にあたる権利だ。
国連憲章は第51条で、「個別的」「集団的」いずれの自衛権も国連加盟国に認めている。
しかし、日本は憲法第9条で「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」を定めている。
一方で同じ日本国憲法は、前文で全世界の国民が平和のうちに生存する権利を有していると謳い、第13条では国民の生命、自由、幸福追求権も謳っている。
ここから日本政府は、「自衛のための武力行使」は日本国憲法のもとでも許されるとしてきた。
ただし、いくら自衛のためでも無制限に武力行使が認められるわけではなく、必要最小限の範囲に留めるべきだ。そこで政府は昭和47年(1972年)に自衛権に関する見解をまとめた。結論として、こう記されている。
「あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認される。(中略)わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない」(昭和47年「自衛権に関する政府見解」)※傍線は筆者
憲法第9条がある以上、「集団的自衛権」は許されない。容認されるのは「個別的自衛権」のみであり、しかもそれは「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態」があってのみという条件付きなのだ。
以来、これが日本政府のベースの見解とされてきた。
「自衛権行使」の必須条件
「戦後レジームからの脱却」を主張する安倍首相は、日本が〝ふつうの国〟になるために、「他国に加えられた武力攻撃」であっても日本に重大な影響がある場合は〝自衛〟の措置として武力行使ができないか、検討したいと言い始めた。
そこで5月20日から、自民党と公明党で与党協議が始まった。
その先は田原氏がブログに書いたように、公明党の抵抗で政府・自民党の当初の案は大きく変更を余儀なくされ、最終的に7月1日の「閣議決定」に決着するのである。
この「閣議決定」は、田原氏が首をかしげたとおり、やや謎めいたものになっている。
実際に全文を読んでみることをお勧めするが、とりあえずポイントを言うと、「3 憲法第9条の下で許容される自衛の措置」の(2)で、前述の昭和47年の政府見解を紹介し、
「この基本的な論理は、憲法第9条の下では今後とも維持されなければならない」(7月1日「閣議決定」)
と、〝自衛権が行使できるための要件〟は、これまでと変えてはいけないと明言している。 まず、ここが非常に重要だ。
その上で(3)では、
「我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った」(同)※傍線は筆者
と書かれている。
文面だけを読むと、たしかに自国への攻撃のみならず、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」も新たに含まれているので、メディアは一斉に〝集団的自衛権行使が容認された〟〝憲法解釈が変更された〟と報じ、公明党を除く与野党の議員の多くもそう主張しているわけだ。
ところが続く文章では傍線部のように「これにより我が国の存立が脅かされ、………国民を守るために他に適当な手段がないときに」と条件づけられている。昭和47年見解の傍線部から、さらにハードルを上げた条件だ。
つまり、単純に「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」があるだけではダメで、要は他国に対するその武力攻撃によって、
①昭和47年の政府見解で「個別的自衛権」の要件として定めたような、日本国の主権が根底から覆されるような明白な危険がある場合に限定され(新3要件の1)
②しかもそれは他国の防衛のためではなく「我が国の存立を全うし、国民を守るために他に手段がない」という〝自国の防衛〟の措置としてのみ許されるものであり(新3要件の2)
③この2つの「必要最小限度」を越える武力行使をするためには、あらためて憲法を改正するしかない。つまり解釈の変更など不可(新3要件の3)
という三重縛りの閣議決定になっているのである。
これまでニッポン学級では「お友達と絶対にケンカをしません」と誓い合っていた。(⇒憲法第9条)
ただし、誰にも命を守る権利はあるわけだから、皆で話し合って「自分の命が危なくなるような場合」にかぎって正当防衛は許されると決めた。(⇒昭和47年政府見解)
今回、武闘派のアベ君が「大事なお友達がいじめられていたら、助けに行くべきだ」と言い出した。(⇒5月の首相会見)
話し合いが始まったがアベ君に同調する仲間は圧倒的に多い。(⇒与党協議)
そこで、ヤマグチ君はアベ君の仲間と話し合って、こんなふうにした。(⇒閣議決定)
「お友達がいじめられている場合、助けに行くのもいいでしょう。ただしそれは、お友達がいじめられていることによって、自分の命がまちがいなく危なくなる場合のみで、しかも手を出せるのは自分の身を守るためだけです」
アベ君と仲間たち「わーい。僕らの意見が通った」
冷静なクラスメート「うん? 何も変わってないよね?」(⇒イマ、ココだ)
「閣議決定」を武器として戦え
閣議決定に向けた与党協議の経過で、新聞は集団的自衛権行使容認の賛成派も反対派も共に〝公明党が押し切られている〟という報道で国民世論を誘導した。そういう予断をもって協議の推移を見ていたのだろう。
だが、どうやら公明党はしたたかだった。山口代表、北側副代表、漆原国対委員長、大口国対委員長代理らは揃って法律家だ。公明党は押し切られるどころか、自民党に先行して内閣法制局と内々に細部を詰め、一字一句までペンを入れて、実質は従来の政府見解を一歩も出ることなく、しかも安倍首相が満足する「閣議決定」を用意した。
公式には6月30日に閣議決定の文案を受け取った内閣法制局が、翌7月1日に「意見なし」と返答しているのは、既にそれ以前に法制局が当事者となって完璧に内容を詰めてきたからだ。
さらに公明党が念入りに内堀まで埋めたのが、7月14日と15日の衆参予算委員会だった。
質問に立った同党の北側一雄副代表や西田実仁参議院幹事長は、横畠内閣法制局長官、さらに安倍首相から、重要な答弁を引き出すことに成功している。
横畠長官は閣議決定について、
①いわゆる集団的自衛権の行使を認めるものではない
②憲法の基本原則である平和主義をいささかも変更するものではない
③昭和47年の政府見解の基本論理を維持したもの
――と明言し、仮に今回の閣議決定を超える武力の行使を認める場合は、あらたに「憲法改正が必要」(7月14日 衆議院予算委員会)だと述べた。
「いわゆる集団的自衛権」とは「集団的自衛権全般」(同)のことである。
集団的自衛権の全部を認めるものではなく、憲法9条の原則を変更せず、しかも昭和47年政府見解の論理を維持したものであるとは、〝集団的自衛権と個別的自衛権の重なるラインで、従来からそこは個別的自衛権の範囲として日本政府が認めてきた範囲〟を越えないという意味だ。
「6月末くらいからずっと法制局と公明党は、このラインを探してました。で、このラインを自民党の政治家に気づかれないように文章上つくることに腐心して、それができてるんですよ」(首都大学東京准教授 木村草太:ビデオニュース・ドットコム「国会質問で見えてきた集団的自衛権論争の核心部分」)
時の政権が恣意的に判断できるのではないかという点についても、長官は「単なる主観的な判断や推測等ではなく、客観的かつ合理的に疑いなく認められるもの」(7月14日 衆議院予算委員会)でなければならないと答弁し、首相もこれと同じ答弁(7月15日 参議院予算委員会)をした。首相の主観的な判断で決めてはいけないことを、安倍首相本人と法制局長官が国会答弁で明言したのだ。
また「海外派兵が許されるとの批判があるが」と問われた安倍首相は、
「かつての湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは、これからも決してない」(7月14日 衆議院予算委員会)
と答弁。
「今後わが国が行う支援活動については、現に戦闘行為を行っている現場では実施しない」「支援活動を実施している場所が現に戦闘を行っている現場となる場合には、直ちに休止し、中断する」(7月15日 参議院予算委員会)
とも明言したのである。
さて、大事なのは、むしろここからなのだ。
集団的自衛権行使容認に反対するメディアや論者は、今回の閣議決定について〝無理やり従来の政府見解と整合性をとっているように見せかけて、集団的自衛権行使を容認したもの〟と批判している。公明党支持者の一部にも、同党を非難する声がある。
だが、そう読んでしまうことは結局、〝従来できなかったことに踏み込めるようになった〟という空気を既成事実化させるだけで、それこそ賛成派勢力の思うつぼだろう。
むしろ、あえて逆に〝無理やり集団的自衛権一部行使を容認したかのように見せているが、従来の政府見解を一歩も出ていないもの〟と読むべきではないのか。
来年の統一地方選が終われば、具体的な法案審議へ、安倍首相と自民党は思い切りアクセルを踏んでくる可能性が高い。
だからこそ反対派のメディアも国民も、〝閣議決定は従来の政府見解を一歩も出ていない〟という公明党と法制局の主張を支持し、これを世論の共通認識へと拡大し、「自分たちが作った閣議決定を守れ」(木村草太氏)と訴えて、暴走しようとする空気を封じ込めるほうが賢明ではないのか。
法案審議に入る2015年こそが主戦場だ。
公明党が自民党の了解を取り付けた閣議決定の精巧な文言、与党である彼らが引き出した首相自身や法制局長官の国会答弁を、安倍首相を自縄自縛させる武器として最大限に利用して戦うべきだと思う。
「集団的自衛権と公明党を問う(2014年)」(全3回):
集団的自衛権と公明党を問う(1) 「閣議決定」での勝者は誰か?
集団的自衛権と公明党を問う(2) 反対派は賢明な戦略に立て
集団的自衛権と公明党を問う(3) 自公連立の意味