【コラム】ドキュメンタリーの鬼才が見つめる「人間の愛」――ワン・ビン監督最新作・映画『収容病棟』

ライター
倉木健人

〝ワン・ビンの距離〟の奇跡

 ワン・ビンは、世界で今もっとも注目されているドキュメンタリー映画の作り手の1人である。9時間を超える『鉄西区』(2003年)をはじめ、その作品は軒並み、各国の映画祭で高い評価を受けてきた。
 最近では、貧村に暮らす姉妹を撮った『三姉妹~雲南の子』(2012年)も、ヴェネチア国際映画祭オリゾンティ部門グランプリ、リスボン国際ドキュメンタリー映画祭グランプリなど、いくつもの国際的な栄誉に浴している。2014年4月には、パリのポンピドゥー・センターで1ヵ月にわたり、彼の作品の回顧上映展が開催された。
 劇映画ではなくドキュメンタリー映画を撮ることについて彼自身は、選択肢があったわけではなく、潤沢な資金がないから後者しかなかったと語っている。とはいえ、被写体がカメラや撮影者の存在を見えていないかのように寄り添う〝ワン・ビンの距離〟と形容されるカメラワークは、世界中の誰も真似できない魔法なのだ。
 そのワン・ビンの最新作が、この6月末から日本でも封切られる『収容病棟』(2013年)だ。

© Wang Bing and Y. Production

© Wang Bing and Y. Production

 撮影された場所は、中国の雲南省昭通市にある精神病院。
 2013年1月から4月半ばまでの約3ヵ月半、ワン・ビンはもう1人のカメラマンと2人だけで、ほぼ毎日撮影をした。病院内での食事や宿泊は許可されなかったので近くに宿泊し、昼の休憩を除いて、朝早くから深夜まで病院内で過ごしたという。
 中庭を囲み何層もの口の字型になった回廊。そこに並ぶ病室の扉。生活に密着するために、ワン・ビンはあえて女性病棟は遠慮し、男性病棟だけを撮った。
 テレビのある部屋に集まる者。鉄格子のはまった廊下で中庭を所在なげに見つめている者。「頭がクラクラする」と言ってベッドから起きることを拒む者。全裸で廊下を駆けていく者。ひとり言を言い続ける者。スクリーンは、いきなり精神病院の内側になる。
 どう考えても、そこにカメラを持った人間が入ってくれば、それは異質な侵入者として好奇や警戒の対象になるだろうし、人々の視線や挙動に緊張を与えるはずだ。
 ところが、これこそが〝ワン・ビンの距離〟の奇跡で、彼のカメラはまるでそこに存在しないかのように、収容されている者たちの姿を撮る。つまり、スクリーンを見ている私たち観客もまた、まさに冒頭からそのまま精神病院の日常に中に入り込むのである。

「見がたき1本の矢」を抜く

 237分(前編122分/後編115分)という長丁場。自分のベッドの枕元や廊下の真ん中で放尿する者、虚ろな目で意味不明の言葉を口にしている者を目撃して、私たちは当初、そこに繰り広げられている日常の〝異常さ〟に戸惑うことになる。それはつまり、社会のマジョリティーである私たち観客の安住している世界とのズレである。
 ワン・ビンは、政治的なメッセージも含め、何ら予定された意図も持たずに、この撮影を始めたと語っている。そこに何があるか、何が写るのかは、ワン・ビン自身もわからずに臨んでいるのだ。
 けれども時間が蓄積され、彼らの日々が少しずつ見えてくるにしたがって、私たちは気がつくと当初の違和感ではなく、何か別の感覚で彼らの隣にいる自分を発見することになる。そこは強烈なし尿の臭いや予測のつかない混乱があるはずなのに、いつのまにか何か愛しささえ覚えながら彼らの寝起きを見守っているのである。
 それを可能にしているのが、ワン・ビンの不思議な人格なのだ。誰しもの心に突き刺さっているであろう〝差異へのこだわり〟という見がたき1本の矢が、あるいはワン・ビンには刺さっていないかのように思える。
 ワン・ビンのまなざしを借りてスクリーンの中の精神病棟に長逗留しているうちに、一瞬の福音かもしれないが、私たち自身の中から、その矢が抜けているのである。では、矢が抜けた刹那に見えてくるものは何なのか。

© Wang Bing and Y. Production

© Wang Bing and Y. Production

 この映画の原題は『瘋愛』。ワン・ビンは

「精神が狂った人同士の愛という意味で、私が考えました」(公式パンフレット)

と語っている。
 映画の最後のテロップでは、ここに収容されている者は必ずしも精神疾患だけではなく、政治的な陳情をしたこと、宗教に耽溺していると見なされたこと、1人っ子政策に違反したことなど、さまざまな〝異常な振る舞い〟を理由とされ、家族や公権力によって収容されたことが明かされている。
 ワン・ビン自身も

「日本でのタイトル『収容病棟』は、実は『瘋愛』にする前に、私も考えていたタイトルなので、とても良いと思います」(同上)

と述べている。
 その隔離された病棟で私たちが目撃するのは、「食べること」「排泄すること」「眠ること」「愛すること」なのである。
 具体的には映画を観てもらいたいが、収容されている者たちは、人間のほとんど生理的で根源的な衝動として、人は他者を求め、誰かを愛さずにはいられない存在であることをまざまざと見せてくれる。

 『監獄の誕生』を著した哲学者のフーコーは、身体の細部まで高い生産性を保つ訓練を受け、規律を守り、秩序に順応した人間というのは、つまり規律権力に徹底的に飼い慣らされた人間であることを喝破している。
 ワン・ビンのカメラと一緒に精神病院の内側に入って、当初、眉をひそめた社会的マジョリティーである私たちは、じつは単に〝規律権力に徹底的に飼い慣らされた人間〟に過ぎないのではないか。
 鉄格子の向こう側で人間本来の姿を自由に謳歌している彼らと、少しでも異質な者を排除し隔離する社会で徹底的に飼い慣らされている者たちと、はたしてどちらが「正常」なのか。
 ワン・ビンの素直なまなざしは、鉄格子で囲われているのは誰なのかを、静かに問いかけてくるのである。

『収容病棟』(原題:『瘋愛』)
6月28日(土)、シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開

第70回ヴェネツィア国際映画祭特別招待作品
第35回ナント三大陸映画祭銀の気球賞受賞

 2013年ヴェネチア国際映画祭で、特別招待作品としてワールドプレミアされ、映画の地平を大胆に切り拓いたと衝撃を与えた『収容病棟』。記念碑的ドキュメンタリー『鉄西区』(1999-2003)を発表以来、世界に驚きを与え続けている映画作家ワン・ビンの最新ドキュメンタリーである。今回、ワン・ビン監督が撮影したのは、中国南西部雲南省にある、社会から隔離された精神病院。フレデリック・ワイズマンの『チチカット・フォーリーズ』、想田和弘監督の『精神』など精神病院を題材にした名作ドキュメンタリーに連なる新たな傑作だ。


監督:王兵(ワン・ビン)
製作:Y.プロダクション、ムヴィオラ
2013年|香港、フランス、日本|前編 122分/後編 115分(全237分)
配給:ムヴィオラ
『収容病棟』公式サイト


くらき・けんと●1963年生まれ。編集プロダクションで主に舞台・映画関係の記事づくりにたずさわる。幾多の世界的映画監督にインタビューを重ねてきた経験があり、「WEB第三文明」で映画評を不定期に掲載予定。趣味は旅行と料理。