英語を学ぶ際に、まず心がけるべきことについて、渡辺武達教授に聞いた。
英語教育と思想性
近年、多くの企業の昇進条件にTOEICなどの語学力試験が課されるようになりました。グローバルに展開する企業のなかには、英語を社内公用語とするところも出てくるなど、英語習得に対する日本人の意欲は高まる一方です。しかし、英語を学び、自らの生活にどう生かしていくのかという思想性が、十分に議論されていないことは非常に残念です。
語学の目的は、コミュニケーション能力を磨き、豊かな人間関係を築くことにあります。企業組織を例にあげれば、欧米・南米・東アジア・中近東・アフリカなど異なる文化圏に属する人々と言葉を交わし、彼らと協力して組織をリードし、業績を向上させて、よりよい社会の実現に貢献することにあります。つまり語学の習得は、どこまでもよりよいグローバル社会を実現していくための補助手段にすぎないのです。
よりよい社会とは、1人1人の能力が、それぞれの努力によって限界まで花開く社会のことです。言語は人間の内面性を開くのと同時に、社会の可能性をも開いていくことが可能です。
戦後日本の英語教育は、「社会環境教育」としての側面を見落としてきました。世界で通用する英語を母語にもつイギリスやアメリカは偉大な文明をもった国々として、彼らの考えることを無批判に受け入れてきてしまいました。別の言い方をすれば、道具にすぎない英語に振り回され、アジア圏やイスラム文化圏との異文化コミュニケーションの大切さを忘れていたともいえるでしょう。だからこそ「R」と「L」の発音の違いなど、細かな部分にばかりこだわり、いつまでも英語に対する苦手意識を拭い去ることができなかったのだと思います。
語学スクールなどでは「発音がおかしければ外国人とビジネスはできませんよ!」と盛んに宣伝していますが、それは誤りです。たとえば、アメリカのレストランで「Rice(お米)」を注文して「lice(虱・しらみ)」が出されるようなことはありません。飲食店で虱を提供することなどあり得ないためです。
結局、語学学習で最も大切なのは明確な目的意識をもつことです。自分は何のために英語を学ぶのか、どの程度の語学力を身につければよいのか、身につけた語学力によっていかなるコミュニケーションを図っていくのかなどが明らかになれば、おのずから今しなければならない努力がわかってきます。これこそが英語習得のいちばんの近道なのです。
「ジャパリッシュ」で豊かな人間関係を
今後は世界経済の重心が、アメリカや欧州から中国やインドなどのアジア諸国へといっそうシフトしていくことでしょう。とりわけ日本にとっては、韓国・北朝鮮・中国・ロシア・台湾などとの友好親善や相互理解が何よりも重要になります。事実上の共通言語である英語を入り口に、彼らの文化を理解していくことができれば、外国人との心の絆を結び、自分自身の可能性を開いていくこともできます。それは国際社会と日本との信頼関係や、日本が抱える外交問題解決の糸口にもつながるはずです。
日々教壇に立っていて、よく学生たちから尋ねられることですが、文化や語学を学ぶことは単に知識や単語を覚えることのみを意味しません。たとえばTPPの正式名称が「環太平洋戦略的経済連携協定」だと知っていたり、流暢な英語で「Trance-Pacific Strategic Economic Partnership」と発音できたとしても、TPPに対する自分の意見を明確に語ることができなければ、文化を理解したことにはならないのです。
あるテーマを与えられたときに、目の前の課題が自分や自分の属する社会にいかなる影響を及ぼし、価値観の異なる相手とどう共通点を見いだし折り合いを付けていくか、新たな価値を生み出すコミュニケーション能力がなければ、友好も相互理解も得られないのです。
私たちは今こそジャパリッシュ(日本式英語)を身につけるべきです。ジャパリッシュとは、自分の世界観や態度を確立した日本人の語学力のことです。iPS細胞の開発でノーベル賞を受賞された京都大学の山中伸弥教授の話す英語は、お世辞にも流暢なものだとは言えません。英語教員や英語放送のアナウンサーになるのは恐らく不可能だとも思います。しかし山中教授には、語学力の不足を補って余りあるほどの巧みなコミュニケーション能力があり、世界の研究者と共同研究をしていくだけの専門性もあり、たくさんの仲間をつくっていくユーモアや人間的魅力にあふれているのです。
多少発音がつたなくとも、文法が間違っていても、語るべき内容があれば相手は必ずこちらの言葉に耳を傾けてくれます。どこまでも日本人らしいジャパリッシュで、自分の身の丈にあったコミュニケーションを図っていけばよいのです。
「共尊」の思想で相互理解と国際平和を
私は大学で、英語で授業を行うクラスを受け持っています。教え子たちは、アフガニスタン、ネパール、中国など実にさまざまな国からやって来ます。日々彼らに接していると、それぞれの文化的な違いはあっても、次第に国境の壁が薄くなり、世界市民的な共通の価値観を創造すべき段階がすでに到来しているのではないかと感じています。
国連難民高等弁務官事務所の元代表で、国際政治学者としても活躍を続ける緒方貞子さんは、自分と異なる価値観を抱く「異人」は、偉大な文化を背景とする「偉人」でもあるのだと語りました。世界の国々を見渡すと、実に多種多様な価値観をもった人々が存在することがよくわかります。たとえばアラブ圏のごく一部では、女性が教育を受ける必要はないと考えています。女性を蔑視しているためではなく、厳しい環境にある村落共同体においては、重労働を強いられる仕事を男性が受け持ち、女性は家庭を守ることでその役割を果たすべきだと考えているためです。
もちろん、男女が本質的に平等であることは普遍的な価値であり、現代世界の大部分が共有する精神性でもあります。しかし異なる文化体系や宗教思想に思いをはせることなく、一方的に切り捨てていくだけでは、相互理解はいつまでも進まず対立や紛争が深まるばかりです。人類が共存の関係を築くためにも、共に相手を敬う「共尊」の思想を出発点とし、お互いの共通点を見いだす語らいを深めていくべきです。
その意味で創価大学の教育展望にはすばらしいものがあると感じています。短期的な損得を度外視してたくさんの留学生を受け入れ、それが日本社会全体に対する信頼感の醸成にもつながっている。たとえば中国政府の第1回国費留学生を受け入れたのは今から38年も前の1975年です。当時は若者だった留学生たちも、今ではそれぞれの立場で重要な仕事をし、日中友好に大きな役割を果たしていると聞いています。根っこに「共尊」の関係があるからこそ、相手との深い信頼関係をつくることができるのだと思います。
相互理解にもとづく世界平和を目指し、グローバルに安定した社会をつくるという意味では、英語ほどふさわしい言語はありません。ぜひ若い皆さんが英語を学び、実り多き人生を送ってほしいと願っています。
<月刊誌『第三文明』2013年12月号より転載>
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