領土問題や歴史認識で展望を描けない日本外交。社会不安から一部若者によるヘイトスピーチも広がる。対立と分断を乗り越えていく共生の思想を松本氏に聞いた。
お互いの共通点を探る
私は2006年に『日・中・韓のナショナリズム 東アジア共同体への道』(第三文明社刊)を執筆しました。同書の冒頭で私は、「世界経済のグローバル化は国家間の対立解消には向かわず、自国の権益を守ろうとするがゆえに、かえって内向き志向を強めてナショナリズムが険しさを増していく」とナショナリズムのもつ危険性を指摘しました。
そして、その偏狭なナショナリズムを乗り越えていくためには、お互いのナショナル・アイデンティティ(民族の主体性)を外へと開き、共生の思想に基づくアジア・アイデンティティを模索すべきだとも提言しました。
当時は小泉元首相が「聖域なき構造改革」を旗印に規制緩和を進める一方、国内改革で生じた〝ひずみ〟を、ナショナル・アイデンティティの再構築で乗り切ろうとしていました。すなわち、靖国神社参拝問題などで中国や韓国と衝突して「外敵」をつくり、強い指導者像を演出することで国内の経済格差や不満を外にそらそうとしたのです。
執筆から約7年がたちましたが、今でも日本の政治が偏狭なナショナリズムを乗り越える指導力を発揮できていないことは非常に残念です。むしろ同じ状態を繰り返しているともいえるでしょう。尖閣諸島や竹島問題などで中国や韓国と対立し、政府はいまだに対話の糸口さえつかめていません。
また一部の野党指導者は、東日本大震災以降、仕事や家庭を失った人々の不安につけ入るように、過激な政治主張を展開して中・韓両国との対立をあおり、有権者の歓心を買おうとしている始末です。いわばポピュリズム(大衆迎合主義)の悪癖が、社会全体を色濃く染めている時代なのです。
しかし、どれほど外敵と対立を深めても日本が内外に抱える諸問題を解決する方法にはなりません。難問山積する状況だからこそ、視線を外へと向けて、お互いの文化的共通点を探りながら、東アジア全体に共生の思想に基づくアジア・アイデンティティを確立していくべきなのです。
お互いの文化を基軸とした「姉妹都市交流」を
国家間のみでお互いの関係性をとらえていく時代は終わりました。これからは地域(地方)を単位としたアジアの文化的交流を目指していくべきです。お互いの文化的共通性や歴史的つながりを基軸とした交流をはかり、国と国の対立に翻弄されない強固な結びつきを市民社会レベルでつくり上げていくべきです。
具体的には市町村単位の「姉妹都市交流」を大きく広げていくことです。これまでのように、政治家同士のつながりや経済・産業立地を理由とした姉妹都市交流ではなく、自分たちの歴史的・文化的原点を土台とした交流を深めていくべきなのです。
たとえば、出世や暮らしが思わしくないことを「うだつが上がらない」といいますが、この「うだつ」とは本来、家の建築設備のことを意味しています。屋根の上にいくつか設置することで大雨を分散し、建物の損壊を防いでいたのです。日本では、防災用にもなります。
この「うだつ」は名古屋以西の関西圏に特徴的なもので、雨量の多い地域で使われてきました。歴史的には室町時代までさかのぼるといわれており、発祥は中国の浙江省紹興市あたりと考えられています。文豪・魯迅を生んだところです。実際、同地を訪れてみると、今も街のそこかしこに、伝統的な四合院づくりの屋根の上に「うだつ」がいくつもつくられています。
しかし室町時代の人々は、別に幕府の命令によって「うだつ」を上げていたわけではありません。交易を通じてその方法を自然に知り、自分たちの土地柄に必要だったからこそ、自らの暮らしのなかに取り入れていったのです。いわば庶民の暮らしに根ざした文化伝播といえるでしょう。
日本のなかにはこのような生活に根ざしたアジアの文化や歴史的ルーツがたくさんあるのです。1つひとつ地域の歴史を丁寧に掘り起こしていければ、中国や韓国をはじめとする東アジア諸国の地域と市町村単位との友好を深めていくことが可能になります。
2025年には中国のGDPがアメリカを追い抜き、世界経済に占める割合が15%に達すると予想されています。日本は今、経済成長戦略を描き、官民ともに懸命な努力を重ねていますが、それでもかつてのような高度経済成長期の再来は望めないでしょう。人口が少なくなるばかりでなく、経済や安全保障が重層的に絡み合っているからです。一国のみの生存が難しい時代だからこそ、東アジア諸国との共生によって日本の活路を開くべきなのです。
青年の力で「アジア共生会議」の開催を
私はアジア全体の平和と安定のために「東アジア共同体」の創設を願っています。そのためには日・中・韓それぞれが、お互いの政治的立場の違いを乗り越え、協力し合える共通の未来を見つけていくべきだと考えています。環境汚染や食糧問題など、それぞれの国が抱えている共通のテーマを語り合い解決を探る場を設ければ、お互いの距離感も縮まり、連携する機会も生まれてくるはずです。
喫緊の課題としては、「水の安全」について話し合うべきだと思います。人口が増大すれば安全な飲料水が必要になってきます。また農業はもちろん、経済発展のためにもきれいな水が不可欠です。たとえば、半導体など最先端テクノロジーには「超純水」と呼ばれるきれいな大量の水を必要とします。ところが、急成長を続ける中国経済では、経済発展にともなう黄河断流、水源枯渇の危機がたびたび報じられています。
日本においても福島第一原発事故による汚染水の問題が深刻な状況を迎えています。タンクから漏れ出した汚染水が海洋に流れ、海流に乗って東アジア全体を汚染するのではないかといった強い不安感が、中国や韓国の政府と民衆をとらえています。それゆえ、水の安全を切り口に語らいの場を設ければ、日本が中・韓両国との関係改善に取り組むよい機会になるはずです。
しかし語らいの場を設けるといっても、日本政府が中心になったのでは、中国や韓国の人との理解はただちに得られないでしょう。これまでの外交摩擦の経緯や、民主党政権下での震災対応の不手際から、中・韓両国政府の信頼を得られていないためです。やはり平和や文化を基調とする市民や学術団体が中心となるべきだと思います。
さまざまな民間組織が「アジア共生会議」とでもいった国際シンポジウムを主催し、日・中・韓の学識経験者や運動家をパネリストとして招聘し、自由な語らいや提言を行う場をつくるべきです。もちろん、議題によっては3ヵ国の政治家をふくめてもよいでしょう。目前の共通する課題を東アジア全体で、それも地域主体で取り組んでいけば、そこから必ず友好の機運も盛り上がってくるはずです。
創価学会は日蓮思想に立脚する仏教団体です。仏教は揺るぎない共生の論理を内包しています。東アジアは世界のなかでも唯一、宗教戦争を起こしていない文明圏です。儒教、道教、仏教、神道、ヒンドゥ教など多様な思想・宗教を調和させながら共存してきました。近年ではキリスト教やイスラム教も東アジアに流入してきていますが、深刻な宗教間対立は起こっていません。つまり東アジアには多文化共生の土壌があり、仏教はその土壌を耕す知恵の宝庫でもあるのです。
すでに192ヵ国・地域に広がり、その多様性を証明している創価学会、なかでも若き青年のみなさんが、東アジアの安定と世界の平和のために、日・中・韓3ヵ国の友好の機運を大きくリードすることを願ってやみません。
<月刊誌『第三文明』2013年11月号より転載>