ドイツ人女性が提唱した仮説
今から10年ほど前――ブッシュ大統領の米国がイラク攻撃を始めたころだったから、2003年4月のころである。
芥川賞作家で元共同通信記者だった辺見庸氏が母校の早稲田大学の客員教授になり、マスメディア論を1年間講義したことがあった。そのころ、たまたま縁があり、仕事として授業を毎回傍聴する機会があったのだが、近年まれに見る戦争の始まりと、加熱するメデイア(活字・映像を問わない)を背景に、マスメディアというものが、人々の意識にどのような影響を及ぼすかといった観点から、毎回興味深い授業がなされていた。
授業開始前には、政治活動をしている学生グループが壇上で演説をぶつなど、いかにも活気があった。講義する辺見氏も、そうした若者の元気さをむしろ歓迎するようなところがあった。
同氏は、メディアは人々の意識を収奪したり、付け加えたりする作用があることなどをしばしば強調し、あるときは、ドイツの女性学者が1965年と72年の西ドイツ総選挙をもとに発表し、80年にドイツ語で出版した『沈黙の螺旋理論』を学生たちに紹介したことがあった。この書物は日本でも1988年にブレーン出版という小さな出版社から日本語版が上梓されている。
この仮説を提唱したのは、エリザベート・ノエル・ノイマンという女性で、旧西ドイツ・マインツのグーテンベルク大学の新聞研究所で20年あまり教鞭をとりつつ、西ドイツで最大級の世論調査機関の設立者・主宰者として半世紀以上にわたって実務に指揮をふるった人物という。
「沈黙の螺旋理論」を一言で説明すると、人間には孤立を恐れる本能的な性質が備わっており、常に何が多数派の意見であるかを見極めようとする習性があるため、多数意見に同調しやすい傾向があるとするものだ。逆にいえば、本音では少数派の意見を抱いていたとしても、周りが多数派の意見であることを感じると、自分の意見を言わなくなる傾向が生まれる。その結果、「沈黙」がだんだんと螺旋状に広がっていくというものだ。
世論形成過程における1つの状態を説明したものであり、辺見氏はこれをファシズム形成における1つの定石のように語っていた。確かに言われてみれば、このようなことは、歴史の過程でしばしば観察されることである。
たとえば米国のイラク攻撃については、2001年9月11日に起きたニューヨークの同時多発テロの衝撃的な映像などにより、「報復」を支持する世論が澎湃とわき起こり、アフガニスタン空爆、さらには大量破壊兵器を隠し持っていると主張する米国の意向により、米英はイラク軍事攻撃に突入した。日本政府もそれに流される形で、自衛隊をサマワに派遣する決定を行った。
後年、大量破壊兵器は見つからなかったことは周知の通りであり、この「理由なき戦争」の結果、イラク市民の死者は判明しただけでも11万人を超えている。
孤立を恐れない声が世界を変える
あの9・11直後の徹底的な報復を求める米国世論の中で、反対を唱える声は全くないわけではなかったが、議会的にも圧倒的少数派にすぎなかった。下院議員のバーバラー・リーという女性議員だけが報復に反対した。その数は420対1だった。これなども、典型的な「沈黙の螺旋」構造の結果に見える。
ノエル・ノイマンの『沈黙の螺旋理論』では、孤立の恐怖を恐れない人間が世論変革の立役者となることや、声なき多数派は結局のところ沈黙の螺旋を打ち破ることはできないことなどを指摘している。
その意味では、孤立を恐れず、信念をもって、自分の意見を述べることがいかに大事かということだ。またそれこそが、ファシズムを防止するための最大の方策であり、かつての日本の過ちを繰り返さないための急所ともいえる。
まして、現代はインターネット社会である。「個人」で自身の考えをいかようにでも発信できる時代となった。
先日も安倍首相がアルゼンチンに出かけて行って、オリンピック招致のための演説を行った結果、招致活動が成功し、日本のテレビ画面はそれを歓迎する論調で一色になり、オリンピックを喜ばない者はまるで「非国民」であるかのような扱われ方をするようになった。これもその時点における多数派と少数派のバランスが、螺旋構造を生むということを意味している。
ネット上などでは、安倍首相が行った福島原発の汚染水を「完全にブロックしている」というプレゼンテーションを批判するコメントがあふれ出し、当初、オリンピック歓迎一色だった論調は、微妙に変化しているかのように見える。
結局のところ、どのような時代になろうとも、声を発する1人の存在がけっして無意味ではないことを、この仮説は証明しているように思えてならない。