贈りもの好きなギリシア人
著者・橋場弦氏は古代ギリシア史を専門とする研究者である。本書『賄賂と民主政 古代ギリシアの美徳と犯罪』は歴史学の観点から賄賂の起源と謎を探求した意欲作だ。2008年に山川出版社から刊行されたものを再録したもので、そもそも「賄賂」と「贈りもの」はどこが違うのか、「賄賂」はいつから犯罪と見なされるようになったのか、といった問題を徹底的に掘り下げていく。
本書をひも解きまず驚くのは、古代ギリシアでは「贈りもの」と「賄賂」を表す一般的な言葉が同じ「ドーラ」(dora)であるという点だ。「賄賂」は「贈りもの」の一種として考えられていた。
こうした贈与互酬の慣行のなかに生きていたギリシア人にとって、贈与は単なる財・サービスの移動をもたらすのみならず、それを取り交わす当事者の間に濃厚な人間関係を成立させ、あるいは補強し更新した。贈与は人と人とを結びつける重要な要因であり、逆にそれを拒否することは、人間関係の断絶を意味した。(本書34~35ページ)
贈与互酬というと難しく感じるが、簡単にいえば、相互に贈りものをすることだ。現在の日本でも、お中元やお歳暮、若者の間ではバレンタイン・チョコレートやクリスマスプレゼントの交換が行われている。古代ギリシアではこうした贈りものが盛んに行われていた。
さらに、エリートの間では国内だけでなく国外の要人とも贈りものを交換する伝統があり、その交流は子孫の代にまで及ぶだけでなく、古代東地中海世界では富を循環させる重要な役割をも担っていたという。当時の宗教でも、神々との交流は供儀という贈りものを通じて行われると考えられていた。
ではなぜ、贈りものを送ることは美徳とされ、ふさわしい返礼をしないことは悪徳と見なされていた古代ギリシアの社会で、「賄賂は犯罪である」という考え方が生まれたのであろうか。
転機としてのペルシア戦争
ポリス共同体、あるいはギリシア人の連合体という公共の立場から、賄賂をはっきりと断罪しようとする姿勢があらわれるのは、ペルシア戦争という未曽有の戦いにギリシア人が直面し、ある種の賄賂が公共性にとって破壊的な結果をもたらしうることに気づいたときであった。(本書53ページ)
大きな転機は、紀元前5世紀に起こったアケメネス朝ペルシアとの戦争である。当時のペルシアは、西は小アジア沿岸から東はインドに広がる領土を有し、中央集権的な徴税システムを築き上げた大帝国であった。ギリシアと比較して桁違いの財力を誇っていた。このような状況下でギリシア人が最も危惧したのが、自国の将兵や有力者がペルシアから買収戦略を仕掛けられることであった。贈りものが持つ力をよく知っていた彼らは、敵国から自国の有力者に対する贈りものを賄賂と認識するようになり、厳しく処罰するようになる。
ペルシアとの戦争に一応の勝利をした後、ギリシアの諸都市は再攻に備えてデロス同盟を結成する。その盟主となったアテナイは対外的に存在感を強めると同時に、国内では民主政を樹立した。こうした状況のなかで、賄賂を巡る社会規範はさらに発展し多様化をみせることになる。
賄賂の危険性に目を向けたギリシア人の叡知
民主政が民主政でありつづけるためには、賄賂との格闘をやめるわけにはいかなかったのである。その格闘のなかで育てていった意識と社会規範こそ、民主政の発展史において古代ギリシア人が達成した一つの成果であるといえるだろう。(本書149ページ)
本書で取り上げられている賄賂の事例は、法廷の買収など一部の事例を除き、同盟国の租税をごまかしたり、アテナイ市民権の不正取得するためなど、その多くが外国人に関するものである。そこには当時の人々の危機意識が強くあらわれている。
だが現代の日本社会で見られるような、公共事業の不正参入などの事例はほとんど登場しない。その理由はアテナイの民主政にある。公職に就く人は選挙権をもった人びとからくじ引きで選ばれ、任期も極めて短かった。自国の政治家を買収することは経済効率が悪かったのである。
それにも関わらず、古代ギリシア人が賄賂に厳しく対処したのは、賄賂が民主政の基盤そのものを掘り崩す危険があったからである。
アテナイの民主政の特徴は、貧富の差に関わらず両親がアテナイの市民であれば、成人男子に市民権と選挙権が付与した点にある(女性と奴隷は除外されていた)。賄賂が横行するなら、政治という公共圏で平等に議論し形成された共同体の合意が、富の力によって容易に捻じ曲げられてしまう。それは選挙民の平等を原則とする民主政の基盤を崩しかねないと考え、賄賂を厳しく処断するようになったのである。
さらに特筆すべき点は、古代ギリシア人が賄賂は否定したものの、贈与互酬までは否定しなかった点である。社会に対して贈りものをした人間には名誉をもって報いる制度を作り、贈与互酬の伝統を民主政のなかに取り込み、問題の解決を計った。
現代の社会は、古代ギリシアと比較すると、市場経済と工業技術、社会分業は大きく拡大した。それにともない試験で選抜された官僚と国民の信任を受けた政治家が国家運営あたるようになり、直接民主主義から間接民主主義へと民主政のあり方も推移した。賄賂もさま変わりし、国内の有力者が利益を得るため、政治家や官僚を買収するために送られるようになる。
しかし、民主政にとっての賄賂の危険性はいまだに変わっていない。賄賂によって政治が歪められていたことを知った国民の失望は計り知れない。こうした不祥事が続くならば、政治家に対して不信を抱くだけではなく、選挙民の平等に基づく民主政ですら信じられなくなってしまう。公共圏の機能は低下し、やがては国民の信任を受けた政治家の存在理由すら危うくなる。だからこそ、政治資金の透明性が求められるのだ。
昨今、日本社会では「政治と金」の問題が社会を騒がせているが、感情的な対応に終始していては、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という結果になりかねない。
民主政の存続のためには賄賂と格闘せざるをえない――約2500年前、古代ギリシア人が到達した叡知に学ぶことこそ、日本の民主政をより良く変えていくためには必要だろう。
『賄賂と民主政 古代ギリシアの美徳と犯罪』
(橋場弦著/講談社学術文庫/2024年7月9日刊)
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