第75回 正修止観章㉟
[3]「2. 広く解す」㉝
(9)十乗観法を明かす㉒
⑥破法遍(3)
(4)従仮入空の破法遍②
②三仮(因成仮・相続仮・相待仮)
これまで述べてきた仮の一々に、因成仮・相続仮・相待仮の三仮があると説かれる。
又た、一一の仮の中に於いて、復た三仮有り。謂わく、因成仮(いんじょうけ)・相続仮(そうぞくけ)・相待仮(そうだいけ)なり。法塵は意根に対して生ず。一念の心の起こるは、即ち因成仮なり。前念・後念の次第して断ぜざるは、即ち相続仮なり。余の無心に待して、此の心有りと知るは、即ち相待仮なり……開善(かいぜん)の云わく、「二仮を因兼(いんけん)し、或いは亦た之れを過ぐ」と。第三の仮は起こる時、上の両仮に因ることを明かす。故に「因兼」と言う。上の仮は未だ除かざるに、後の仮は復た起こる。故に「之れを過ぐ」と言う。此れは心に就いて、三仮を明かすなり。(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅱ)、667-668頁)
ここには、因成仮・相続仮・相待仮の三仮が説かれている。『摩訶止観』の三仮の説明は、心、色(いろ形あるもの)、依報の三つの立場に分けている。上に引用した説明は、心に焦点をあわせた説明である。
この説明によれば、一念の心が生起するのは因成仮であり、前念と後念が順番に生じて断絶しないのは相続仮であり、他の無心に相対して、この心があると知るのは相待仮であるとされる(※1)。引用文のなかに、開善寺智蔵(ちぞう)の引用文があるが、これは、「因成仮・相続仮の二仮によって相待仮を兼ね、相待仮はあるいはまた因成仮・相続仮の二仮を超過する」という意味であろう。
三仮については、『維摩経玄疏』巻第二に説かれる「従仮入空観」の説明のなかでも言及されている(※2)。そこには、「一に所観の仮を明かすとは、二種の仮有りて、一切法を摂す。一には愛仮、二には見仮なり。愛とは、即ち是れ愛論なり。見とは、即ち是れ見論なり。此の二種は皆な是れ戯論(けろん)にして、慧眼(えげん)を破し、真実を見るを障(さ)う。愛論は見る所の境に随って、即ち愛著を生じ、是れ魔の業と為す。見論は見る所の境に随って、即ち分別を生じ、是れ外道の業と為す」(大正38、525下28~526上4)と述べられている。
従仮入空観の観察の対象には、愛仮と見仮の二種の仮がある。この二仮という術語は、智顗の文献が初出であると思われる。引用文にあるように、愛仮は愛論で、見仮は見論と同一視されている。愛論は愛著に基づく誤った言論のことであり、魔の業といわれ、見論は誤った見解に基づく言論であり、外道の業といわれる。いずれも『中論』巻第三、観法品の青目の注の箇所に、「戯論に二種有り。一には愛論、二には見論なり。是の中に此の二つの戯論無し。二つの戲論は無きが故に、憶想分別無く、別異の相無く、是れ実相と名づく」(大正30、25中9-11)と出る。これによれば、愛論とは愛の戯論であり、見論とは見の戯論である。
では、なぜ智顗は、この愛論、見論を愛仮、見仮とそれぞれ呼び換えたのであろうか。その理由は、それらが因成仮・相続仮・相待仮の三仮という特色を持っているからであると説明される。この三仮は、『法華玄義』巻第十上に、「二に仮名宗にして、『成論』の三仮を指す」(大正33、801中13~14)とあるように、『成実論』を出典としているように記されている。一般的にも『成実論』巻第十一、仮名相品を出典としてあげられることが多い。
しかし、仮名相品を見ると、この品の内容は仮名有と実法(その代表は色・受・想・行・識の五陰である)を対比していることである。その仮名相品のなかに、「因は異なり法は成ずるを、仮名有と名づく」(大正32、328上6~7)、「又た仮名有は、相待するが故に成ず。此彼(しひ)・軽重・長短・大小・師徒・父子、及び貴賤等の如し。実法に待して成ずる所無し」(同前、328下11~13)とあり、因成仮、相待仮に関連・類似する表現が見られるが、因成仮・相続仮・相待仮が出ているわけではない。したがって、三仮は、正確にいうと、仮名相品に基づいて、後の中国僧によって概念化されたものであるはずである。『摩訶止観』に開善寺智蔵の引用文があることは、その点で興味深い。智蔵は、梁の三大法師の一人で、成実学者といわれるからである(※3)。
次に、色に焦点をあわせた三仮については、過去世の行為によって、父母に託して生まれ、この身が存在することができるのは因成仮であり、母胎から相続して老人に至るまでは相続仮であり、身を身でないものに相対させることは相待仮であると説明されている。
次に、依報に焦点をあわせた三仮については、色・香・味・触の四種の極微(四微)によって柱を作る場合、これが因成仮であり、時節は変わっても相続して断絶しないことが相続仮であり、この柱は柱でないものに相対して、長短・大小などがあることが相待仮であると説明されている。そして、以上の説明は、三蔵の経(小乗)のなかの随事の三仮であるとされる。
これに対して、大乗の随理の三仮については、因成仮・相続仮・相待仮がすべて空で、実体として捉えることができないというものである。『維摩経』巻中、入不二法門品の「色は即ち是れ空にして、色の滅して空なるに非ず。色性は自ら空なり」(大正14、551上19~20)を引用している。
③三有、三仮施設など
三仮と類似したいくつかの概念について説明している。まず『大智度論』に明かす相待有・仮名有・法有の三種の有を取りあげている(※4)。相待有とは、長は短によってあり、短もまた長によるといったものである。仮名有とは、酪(牛乳を少し発酵させたヨーグルトのようなもの)が色・香・味・触の四つの極微が因縁和合するので、かりに酪と名づけられるようなものである。有であるけれども、因縁の有と同じではなく、無であるけれども、兎の角や亀の毛が無であるのとも相違するとされ、ただ因縁が和合するのであり、かりに酪と名づけるものであるとされる。法有とは、色・香・味・触の四つの極微が和合したものをいう。
次に、『大智度論』に明かされる法仮施設・受仮施設・名仮施設の三仮施設を取りあげている(※5)。この三種施設と三仮を融合させるならば、法仮施設は因成仮のようなものであり、受仮施設は相続仮のようなものであり、名仮施設は相待仮のようなものであると説かれている。
次に、『大智度論』には、是れ法波羅聶提(ほうはらしょうだい)・受波羅聶提・名波羅聶提の三種が説かれていると述べている(※6)。波羅聶提は、prajñaptiの音写語で、仮施設と漢訳されるので、法仮施設・受仮施設・名仮施設の三仮施設の意義と同じであるとされる。
次に、『菩薩瓔珞本業経』にも三仮の文があるとされる。出典を調べると、『菩薩瓔珞本業経』巻下、因果品、「諸法は縁成の仮法なり。我無く法有り。相待して一切の相は虚なり。相続して一と名づけ、空不可得なり。因より生じ集起す」(大正24、1019下7~8)を指している。「縁成」、「相待」、「相続」という表現が見られる。
その他、引用は省略するが、『大品般若経』、『大般涅槃経』、『維摩経』にも三仮と類似した思想が出ていることを指摘している。
いずれにしろ、この 三仮の名は、大乗・小乗に共通して用いられるものであり、小乗、大乗がともに生死の法を名づけて、見とし、仮とすることを指摘している。その意味は、三蔵教の四門に四見を生じ、一々の見に三仮・六十二見・百八の煩悩などがあるのと同じように、通教の四門、別教の四門、円教の四門にも四見を生じ、一々の見に三仮・六十二見・百八の煩悩などがあることを述べている。
最後に、如来の教門は、人に論争を超えた法を示すのであり、その教えを消化すれば甘露となり、消化しなければ毒薬となると述べている(※7)。(この項、つづく)
(注釈)
※1 簡潔に説明すると、因成仮は、一切の有為法が因縁によって成立したものであることをいう。相続仮は、有為法が前後相続して存在することをいう。相待仮は、大小、長短のように、二つのものが相対して存在することをいう。
※2 『維摩経玄疏』における三仮については、拙稿「『維摩経玄疏』巻第二における三観と天台思想」(『東アジア仏教学術論集』12,2024.2, pp. 95-117)102-103頁を参照。
※3 興味深いことに、智蔵よりも早い時代の僧宗(438-496)の『大般涅槃経集解』巻第四十七の注に、「其の体は無常なるを以ての故に、是れ相続仮なり。其れに自性無きを以ての故に、一時の因成仮有るなり。相待して称を得るが故に、相待仮有り」(大正37、523中7~9)とあり、すでに三仮の名称が出ている。
※4 『大智度論』巻第十二(大正25、147下5~26)を参照。
※5 『大智度論』巻第四十一(同前、357下1~3)を参照。
※6 『大智度論』巻第四十一(同前、358中21~下5)を参照。
※7 『南本涅槃経』巻第八、如来性品に基づく(大正12、650上3~9)を参照。
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