書評『アレクサンドロスの決断』、『革命の若き空』(同時収録)

ライター
本房 歩

収録された2編の小説

 本書は、古代ギリシャの王アレクサンドロス(アレクサンドロス3世)と、18世紀フランスの最高峰の詩人と称えられるアンドレ・シェニエという実在の歴史的人物を、それぞれ主人公とした2編の小説を収録したものである。

 作者は、池田大作。言うまでもなく池田は創価学会第3代会長、創価学会インタナショナル会長として、世界的な在家仏教の民衆運動を率いた宗教者であるが、他方で「世界桂冠詩人」などの称号を持ち、『人間革命』『新・人間革命』など膨大な文芸作品と言論を残した文学者としても知られている。

『アレクサンドロスの決断』は、1986年7月から87年3月まで、当時の創価学会高等部の機関紙『高校新報』に連載された。また『革命の若き空』は1988年11月から89年8月まで、同紙に連載された。
 集英社から単行本化されたのち、『池田大作全集』第50巻に収録されたが、いずれも今日では版が絶えている。
 そこで、あらたに全集を底本として第三文明社からこのほど新装再刊された。

友が持参したのは薬なのか毒なのか

 一般的に「アレキサンダー大王」と称されることもある古代ギリシャのアルゲアス朝マケドニア王国の王・アレクサンドロス3世(紀元前356-紀元前323)。父王ピリッポス2世が招請したアリストテレスを教師とし、のちに古代エジプトのプトレマイオス朝を開くプトレマイオスらを学友として育った。

 紀元前336年に父王が暗殺されると、20歳の若さで王位を継ぎ、まずアケメネス朝ペルシャに侵攻し、父王がめざしていた東征を開始する。アリストテレスのもとで学友だった者たちが、若き王の重臣となった。
 アレクサンドロス3世はたぐいまれな知性と戦術で領土を拡張しただけでなく、異民族の統治、今日で言うところのグローバルな通貨経済の浸透にも手腕を発揮した。

 最終的に、ギリシャからエジプト、ペルシャ、北インドにまでおよぶ大帝国を建設し、これによってギリシャ文明が東方文明と融合するヘレニズムが生まれた。アレクサンドロス3世によってギリシャ神話の信仰が北インドにまでもたらされたことで、仏教信仰に仏像が誕生したことはよく知られている。広大な版図の各地にはアレキサンドリアという都市が建設された。
 33歳で没するまでのわずかな在位期間に、彼は世界のありようを大きく変えたのである。

 紀元前334年に東征を開始した翌年、現在のトルコ中南部の地中海に面した都市タルソスに入ったところで、アレクサンドロス3世は原因不明の病に倒れた。
 小説は、ここから始まる。侍医団は、もはや回復の見込みがないものとあきらめ、自分に責任が及ばないよう積極的に治療に取り組もうとしない。
 そこに、調合した薬を持って到着したのが、侍医のフィリッポスだった。フィリッポスもまた学友として幼いころからアレクサンドロスと親しんできた1人である。
 フィリッポスは王が風土の異なるオリエントの地を東征するにあたって、先んじてオリエント各地の薬草を研究して、万一に備えていたのだった。

 ところが、フィリッポスが到着する直前、副将からの火急の密書がアレクサンドロスの手もとに届けられていた。そこには、侍医フィリッポスが敵であるペルシャと内通しており、薬と偽って毒を持って王を訪れるはずなので、決してそれを飲んではならないと記されていた。

 はたして密書に記されていたとおり、フィリッポスが〝薬〟を持って自分のもとを訪れた。自分には王としての使命があるので、毒を飲んで命を落とすわけにはいかない。もし毒殺されることがあれば、自分は犬死した愚かな王として指弾されてしまう。
 しかし、親友であるフィリッポスを疑って薬を飲まなければ、友情よりも王のメンツを優先することになる。

 病床の自分に薬を届けてくれたフィリッポスに、アレクサンドロスは密書を見せた。
 刹那のあいだに目まぐるしく逡巡するアレクサンドロスの脳裏に、師アリストテレスの言葉がよみがえる。

友愛とは、信頼される以上に相手を信ずることにある

主人公は「18世紀で最も偉大な詩人」

 詩人アンドレ・シェニエ(1762-1794)は、フランス革命が勃発した当初の1789年、フランス王国の大使館書記としてロンドンに駐在していた。この年、シェニエはパリに戻っている。

 革命後のフランスは混乱を極めていた。
 とりわけ1793年6月には、ジャコバン派を支持する国民衛兵軍と武装した市民が国民公会を包囲し、それまで革命政府を動かしていたジロンド派を放逐する。
 このクーデターによってジャコバン派の急進的な山岳党の独裁体制が確立され「恐怖政治」がはじまった。
 同時に、フランス国内では保守的な60の県で反乱が起き、フランスは内戦の危機に瀕していた。さらにオーストリア、プロシア、イギリス、スペイン、サルジニアなどが、フランス国内の混乱に乗じて国境線を侵略しつつあった。

 ジャコバン派の指導者であったロベスピエールは公安委員会を支配し、恐怖政治が加速していく。
 1793年1月にはルイ16世が処刑されていたが、10月に入ると王妃であったマリー・アントワネットやジロンド派の幹部らが次々に処刑された。10月からの3カ月だけで政治犯として177人が処刑されている。

 フランスに戻ったシェニエは、こうした革命後の党派内抗争に厳しい視線を送り、とりわけ急進的な運動に対しては舌鋒鋭い批判の言論を新聞に記した。
 それはジャコバン派の台頭と同時に、シェニエに政治犯のレッテルを貼ることになり、彼は逃亡生活を余儀なくされる。

 シェニエがついに逮捕されることになる1794年3月7日夜、彼は盟友であるド・パンジュと会っていた。
 本作では、民衆を煽動するロベスピエールを批判するド・パンジュの言葉が次のように綴られている。

民衆は、結局、自らの欲することを成し遂げるだろう。民衆を、世論を、傲慢にも煽動によって自分の思うがままに従えているように見えても、それは幻想にすぎない。民衆は、自らの意思に従うだろう。彼らは、民衆の味方として振る舞っている。そう見せている。しかし、彼らが、本当に民衆を代弁しているのか? この激しい党派争い――それが必ずそうであるように、個人的な争いに発展してしまったが――その手段に、民衆が利用されているとしか僕には思われないのだ

 だが、この直後に追手が急襲し、シェニエは逮捕されてサン・ラザール牢獄に投獄される。
 シェニエは国家転覆を謀る論文を書いたという罪状で死刑を宣告され、1794年7月25日に断頭台に消えた。32歳の若さであった。
 皮肉にも、国民公会内でロベスピエールに対する包囲網が強まり、「テルミドール9日の政変」でロベスピエール逮捕が可決されたのは処刑から2日後の7月27日だった。
 ロベスピエールは市民に反乱を呼びかけるが、翌28日に断頭台にかけられた。

 あと2日、シェニエの処刑が遅れていれば、彼は死を免れていただろう。
 生前のアンドレ・シェニエは無名の詩人だった。だが、死後25年を経てシェニエの詩集が発刊されると、それはヴィクトル・ユゴーらロマン派の文学者たちに大きな影響を与えていく。
 シェニエの名は「18世紀最高峰の詩人」として輝き、オペラ歌劇「アンドレア・シェニエ」のモデルとなっている。

2作に込められた著者の思い

 池田は21歳で少年雑誌の編集長になっていたこともあり、創価学会の会長になって以降も、一貫して幼少年期の子どもたちに向けた文芸作品を数多く手がけてきた。本書がそうであるように、その際、池田が特定の宗教的な価値観やドグマを徹底して排してきたことは重要である。

『アレクサンドロスの決断』で、アレクサンドロスが密告の内容に惑わされることなくフィリッポスの薬を飲んで健康を回復した話は、1世紀のプルタコスが著述した『プルターク英雄伝』に史実として記録されている。
 作者である池田は、青春時代に『プルターク英雄伝』を読んで、この友情の物語に感銘を深くしていた。
 本作では、高校生のためにアレクサンドロスとフィリッポスを少年時代からの親友という設定にし、「友情」とは何かという問題をアリストテレスの倫理学を踏まえて描いている。

 また『革命の若き空』は冒頭に記したように1988年から89年にかけて連載された。これは1989年7月がフランス革命・人権宣言200年にあたっていたことを踏まえ、大詩人の生涯を日本の高校生に伝えようとしたものだろう。
 かつて世界的に学生運動が盛んになった1960年代、日本でも学生たちが政治的変革を要求する運動が激烈さをきわめたが、それらが残したのは暴力と犠牲であり、その挫折感の虚無は各国で長く若者を覆っていた。
 池田は、やはりアンドレ・シェニエの史実を援用し、「正義」「信念」を貫く生き方と同時に、大衆を煽動する急進的な変革のはらむ危うさを若い世代に考えてもらおうとしたのだと思う。

 発表から36年以上を経て装いも新たに刊行された2編の小説。今の十代が親しみやすいように、装丁と装画はあえてアニメ風にしたという。
 欧米ではZ世代を中心に〝紙の本〟の人気が高まっている。本書が1人でも多くの若い読者に届くことをねがう。

『アレクサンドロスの決断』(同時収録『革命の若き空』)
池田大作 著

定価:1,320円(税込)
2025年1月20日発売
第三文明社

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