本の楽園 第199回 辺境のラッパーたち

作家
村上政彦

 20世紀の後半になって、アメリカでヒップホップというストリート文化が誕生した。「DJ、ラップ・ミュージック、グラフィティ・アート、ブレイクダンス」をいう。黒人奴隷たちの労働歌や霊歌がジャズへ進化したように、ヒップホップも貧しい黒人たちのあいだから始まった。
 伝説によると、クール・ハークが、1973年8月11日に妹の誕生パーティーで、ターンテーブルを使って、レコードをリミックスし、ブレイクビーツを響かせたのが起源らしい。
 もともとジャズと同じようにマイノリティによる、なけなしの自己表現だった。貧しいもの、持たざるもの、社会のなかで阻害されているものたちの表現は、工夫に満ちていて、身ひとつあれば誰もができる。ヒップホップは、いまや世界で広く、共有される文化となった。

 小説家の僕からしてみると、言葉を使うラップがいちばん身近だ。ただし、ステージでやったことはない。少年のころは、ロックバンドのボーカルだったり、フォークデュオを組んだりしていて、人前で音楽をやっていたから、もっと若ければラップもありだったかもしれない。
 ラップは誕生の在り方からして、反抗の匂いがする。貧しい黒人たちが集まって、どうだとばかりにターンテーブルを回し、貶められた彼らの境遇を巧みなリリックで訴える。かなりまえからこれは新しい抵抗詩だとおもっていた。

 すると、『辺境のラッパーたち』という表題の本と出合った。買うしかない。読むしかない。そして、とても刺激的でおもしろかった。
 取り上げられるのは、パレスチナ、ウクライナ、チベット、イラン、キューバ、サハ、モンゴルなど、文字通りの、辺境のラッパーたちである。ロシア、中国、インドなど、大国のラッパーたちも登場するが、みな反体制派だから、マイノリティであることに変わりはない。
 けっこう大部の本なので、パレスチナのラッパーに注目したい。いまも続いているイスラエル・パレスチナ紛争のさなか、瓦礫を背にして少年のラッパーが歌っている。

パレスチナは占領されてる何十年も
ここは僕らのホームだった何百年も
この土地は世代を超え
僕の家族みんなの記憶

 映像はSNSを通じて世界で視聴されている。少年は2008年生まれのMCアブドゥル。9歳でラップを始めた。「パレスチナ」というこの曲は、2021年に投稿されたものだが、いままた注目を集めている。
 パレスチナのラップの先駆者は、イスラエルのアラブ人地区に住む若者3人が結成したDAMだ。彼らは2000年にパレスチナでインティファーダが広がったのをきっかけにして、イスラエルの政府を批判するアラビア語ラップを歌うようになる。

誰がテロリストだ? 俺がテロリスト? 自分の国に住んでるだけだぜ
誰がテロリストだ? お前がテロリストだ。俺は自分の国に住んでるだけだぜ

 DAMの活動に後押しされて、2002年にガザで初めてラップ・グループPRが結成された。彼らは人気を集めたが、メンバーは世界に散らばってゆき、ガザに残っているオリジナルメンバーはアイマンだけになった。
 彼は故郷に残ることが自身のラップを強くすると考えたようだ。ラップの学校をつくったり、ガザと西岸のラッパーを集めてコンテストを開いたり、精力的に活動してガザのヒップホップ界隈を盛り上げている。
 ガザだけでなく、アラブ諸国のラッパーたちは、エミネムなど英語のラップの模倣から始まるのだが、やがてアラビア語ラップにゆきつく。そして、地元のアラビア語方言を基調にして、伝統音楽を欧米のヒップホップと融合させる試みも行う。
 あくまでも基調には、彼ら自身の文化がある。それがオリジナリティになるのだ。
 辺境のラッパーたちは、それぞれが同じような試みをしている。グローバリゼーションという名の米国化に抗いつつ、それを受け入れ、固有の伝統や文化を失わない――これが、現在のラップの立ち位置なのだ。
 あー、なんと、刺激的なことだろうか。僕の小説もそうありたい。

おすすめの本:
『辺境のラッパーたち 立ち上がる「声」の民族誌』(島村一平著/青土社)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「量子のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に、『台湾聖母』(コールサック社)、『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。