『人間革命』執筆開始の時代背景
池田大作先生が、小説『人間革命』執筆の意向を公式に発表したのは、1964年(昭和39年)4月1日のことだった。
この日、恩師・戸田城聖先生(第2代会長)の七回忌法要が営まれた。席上、あいさつに立った池田先生は、恩師の出獄から逝去までの生涯を綴った小説『人間革命』を「法悟空」のペンネームで執筆し、恩師の業績や指導などを書き残したいと決意を披歴した。
第1回の東京オリンピックが開催されたのは、その半年後である。創価学会本部がある東京・信濃町に近い国立競技場で、開会式がおこなわれたのが10月10日。
このとき、池田先生はチェコスロバキア(当時)の首都プラハにいた。海外メンバーの激励のため、第3代会長就任から3度目のヨーロッパ訪問だった。
10月2日に羽田を飛び立ち、香港、イランを経由して、6日にはイタリアに入っていた。9日にはパリ支部のメンバーと懇談し、10日にプラハに到着した。これが先生にとって最初の社会主義国訪問となった。
計10カ国を歴訪して帰国したのは10月19日である。1週間後の10月27日に開催された第54回本部幹部会の席上、創価学会の世帯数が500万世帯を突破(505万6千世帯)したことが報告された。
11月8日には、オリンピックの興奮が冷めやらぬ国立競技場を舞台に、三笠宮崇仁親王殿下、閣僚、各国大公使ら来賓1千人を迎え、出演者・観客の総勢10万人の「東京文化祭」が開催されている。
「新風を吹き込むであろう」
こうした上げ潮の勢いの11月17日、両国の日大講堂で公明党結成大会がおこなわれた。
池田先生は結成大会には出席せず、短い祝電だけを送った。
この結成大会の様子を会場で傍聴した政治学者の池田清・大阪市立大学教授は、『公明新聞』に率直な一文を寄せている。
昭和39年11月17日は、日本政党史上で長く記念すべき日になるだろう。というのは、この日、初めて日本で最初の宗教政党が誕生したからである。
(中略)
今日の日本の政治は、生き生きとした未来へのイメージを見失って、まったく平板化している。それは政界が人的にも思想的にも老朽化しているからである。公明党の出現は、この古く、よどんだ政界に新風を吹き込むであろう。(『公明新聞』1964年11月20日付/数字は算用数字に改めた)
厳密には、宗教団体が母体となって政党を結成したのは公明党が最初ではない。戦後まもない時期にいくつかの教団が政党を結成し、なかには国政選挙で議員を輩出したところもあった。だが、それらは瞬く間に雲散霧消した。
また、公明党も綱領で「大衆政党」を標榜している。宗教団体を基盤とはしているが、特定の教団のための政治をめざすものではない。
とはいえ、この政治学者の目には、日本の人口の数パーセントを占めるに至った創価学会が、すでに参議院と地方議会で1千人を超す議員を誕生させ、民衆のエネルギーと新しい思想の風を、〝よどんだ政界〟に送り込まんとしていることへの明るい希望が映っていたのであろう。
米軍施政下の沖縄で起稿する
この結党大会から10日余りを経た12月1日の夕刻、池田先生は沖縄の那覇空港に降り立った。当時の沖縄はまだ米軍の施政下である。沖縄に行くにはパスポートが必要な時代だった。
恩師・戸田先生の月命日にあたる翌2日。池田先生は那覇市内の創価学会沖縄本部の2階にある和室で、朝から座卓に向かっていた。机上には原稿用紙が置かれている。
誰にも告げてはいなかったが、先生はこの沖縄の地で小説『人間革命』を起稿することを胸に秘めていた。
「人間革命」と題を記し、「第一章 黎明一」と続ける。それから長い時間、思案をしていたが、やがて万年筆を持つ手が一気に動いた。
戦争ほど、残酷なものはない。
戦争ほど、悲惨なものはない。
だが、その戦争はまだ、つづいていた。
今日、創価学会の「精神の正史」と位置付けられている小説『人間革命』は、戦争の残酷さと悲惨さを告発する一文から始まった。
池田先生はその起稿の地として、あえて地上戦によって県民の4人に1人が亡くなり、戦後も米軍施政下に置かれていた沖縄を選んだのだった。
続く小説の冒頭の場面は、まだ第二次世界大戦が続いていた1945年7月3日の午後7時。思想犯として逮捕・投獄されていた戸田先生が、収容されていた豊多摩刑務所を保釈出所する場面から綴られた。
高齢の身でともに逮捕された初代会長・牧口常三郎先生は、1944年11月18日に獄中で息を引き取っていた。
生きて獄を出た戸田先生も、ひどい栄養失調でやせ細っていた。
大河の一滴となった「獄中の悟達」
読者は、このやせ細った一人の男が、広宣流布に立ち上がり、七十五万世帯を超える人びとに正法を流布し、民衆の勝利の、偉大なる歴史を開いたことを思うと、強い感動を覚えた。(『新・人間革命』第10巻「言論城」)
大発展した創価学会しか知らない新しいメンバーは、先輩幹部から草創期の話を聞いてはいても、あまり実感はなかった。
だが、『人間革命』は、創価の大河の流れが、まさに、たった一人から始まっていることを痛感させた。そこに、筆者の山本伸一の意図もあった。(同)
牧口先生と戸田先生は、法華経ゆえに、日蓮仏法の正義を貫くがゆえに、日本の軍国主義によって逮捕・投獄された。
1944年3月、獄中で法華経の通読を繰り返していた戸田先生は、開経の無量義経に出てくる34の「非ず」を思索し抜いた末に、「仏とは生命なり」との悟達を得る。
そして、さらに法華経の真意を分かりたいと唱題に唱題を重ねていた44年11月――まさに師である牧口先生が殉教された頃――、「我、地涌の菩薩なり」との大確信の境地に立った。
あえて言えば、「仏とは生命なり」の悟達は、生命論として仏法が現代に蘇った瞬間であろう。そのうえに立った「我、地涌の菩薩なり」の悟達は、獄中闘争という難を通して、戸田先生が全人格的に、永遠の宇宙生命とも言うべきものとの融合を自覚した瞬間であった。
その自覚に立った戸田城聖という人間が獄を出た場面から『人間革命』は書き起こされている。
この1人の人間の胸中における偉大な革命の炎が、次の1人へ、また次の1人へと広がり、今日の世界192カ国・地域の創価の連帯となったのである。
「地涌の菩薩」の使命の自覚は、自己という存在に根源的な意味を与え、真実のヒューマニズムへの覚醒を促し、人生の最高の価値の創造をもたらす源泉にほかならない。また、それは、利己のみに囚われた「小我」の生命を利他へと転じ、全人類、全民衆をもつつみこむ「大我」の生命を確立する原動力でもある。(『人間革命』第12巻「あとがき」)
『人間革命』とそれに続く『新・人間革命』は、戸田先生の獄中の悟達を原点として、そこから世界広宣流布の潮流がいかにして広がっていったか、その歴史を書きとどめたものだ。
世界宗教に不可欠な〝閉じた正典〟
多くの場合、宗教における最重要の教えは、一般信徒がアクセスできない。キリスト教でさえ、15世紀にグーテンベルクの印刷機が発明されるまでは、聖職者しか聖書を読むことができなかった。
池田先生は、あえて大河小説という万人に開かれたテキストとして、創価学会の「精神の正史」を綴り残した。
作家の佐藤優氏は「世界宗教」の条件として、正典化(キャノニゼーション)されていることを挙げている。
それは、もはや未来において書き加えられることのない〝閉じた正典〟であることと、万人に開かれ、万人がランダムアクセスし得る分量の正典でなければならない。
もちろん、日蓮仏法を信奉する創価学会においては、日蓮大聖人の御書全集が教義の根幹となることは言うまでもない。
むろん、今後の研究成果によって未発見の御書がさらに収録される可能性は残るが、一応はこれも〝閉じた正典〟として編纂され各国語に翻訳されている。
そのうえで、池田先生があえて文学という形式で創価学会の師弟の歴史を綴り残したことで、これまでと同様、未来の人々もまた、信仰の有無、宗教の違いさえ関係なく、創価の師弟の精神に触れることが可能となった。
たとえば、さる9月の国連「未来サミット」の折にSGI青年部代表と懇談した元国連事務次長のアンワルル・チョウドリ博士は、
「池田会長は40年もの長きにわたって、常に国連を支援し続けた、ただ一人の世界的指導者でした」(「創価学会公式サイト」2024年9月23日)
と述懐し、さらに、
「私も〝池田会長の弟子〟として、皆さまのためにさまざまな提案をさせていただきたい」(『聖教新聞』2024年11月24日)
と語っている。
起稿と脱稿の地
いくたびかの休載を越え、国内外を駆け巡る激務のなかで全12巻の連載が完結したのは1992年11月24日。
年が明けた1993年の2月11日、恩師・戸田先生の誕生日に、池田先生は訪問先のブラジルで「あとがき」を綴った。
恩師の真実を伝える伝記を書き残すことは、私の青春時代からの誓いであった。先生の偉業を世界に宣揚することは、弟子としての、私の使命であると心に決めていたからである。また、死身弘法を貫かれた先生のご精神を伝えずしては、未来への仏法の継承もあり得ないからだ。さらに、先生のご生涯は、そのまま一個の人間の偉大なる人間革命の軌跡であり、それを書き残すことによって、万人に人間革命の道を開くことが可能になると確信していたからである。(『人間革命』第12巻「あとがき」)
創価桜の大道を行く私の胸のなかに、先生は今も生き続けている。とともに、同志の心のなかにも、先生が永遠に生き続けることを念じてやまない。(同)
パスポートが必要だった土地で起稿された『人間革命』は、地球の裏側のブラジルで完結した。その起稿と脱稿の土地という点だけを見ても、『人間革命』は〝世界文学〟の色彩をまとっている。
この年の8月6日、あえて原子爆弾投下の日を選んで、先生は新たに全30巻31冊となる『新・人間革命』の執筆を開始したのだった。
三代会長が開いた世界宗教への道(全5回):
第1回 日蓮仏法の精神を受け継ぐ
第2回 嵐のなかで世界への対話を開始
第3回 第1次宗門事件の謀略
第4回 法主が主導した第2次宗門事件
第5回 世界宗教へと飛翔する創価学会
特集 世界はなぜ「池田大作」を評価するのか:
第1回 逝去と創価学会の今後
第2回 世界宗教の要件を整える
第3回 民主主義に果たした役割
第4回 「言葉の力」と開かれた精神
第5回 ヨーロッパ社会からの信頼
第6回 核廃絶へ世界世論の形成
第7回 「創価一貫教育」の実現
第8回 世界市民を育む美術館
第9回 音楽芸術への比類なき貢献
「池田大作」を知るための書籍・20タイトル:
20タイトル(上) まずは会長自身の著作から
20タイトル(下) 対談集・評伝・そのほか
「青山樹人」関連記事:
池田先生の苦闘時代――嵐の日々と、師弟の「戸田大学」
G7広島サミットへの提言――池田大作SGI会長が発表
世界宗教化する創価学会(上)――〝魂の独立〟から30年
世界宗教化する創価学会(下)――「体制内改革」のできる宗教
SGI結成から45周年――「世界市民の連帯」の原点
「周―池田」会見45周年(上)――文献的に確定した会見の意義
アジアに広がる創価の哲学(上)――発展著しいインド創価学会
共感広がる池田・エスキベル共同声明
学会と宗門、25年の「勝敗」――〝破門〟が創価学会を世界宗教化させた
カストロが軍服を脱いだ日――米国との国交回復までの20年