書評『傅益瑶作品集 一茶と芭蕉』――水墨画で描く一茶と芭蕉の世界

ライター
本房 歩

「恋心」の一茶、「風流」の芭蕉

 著者の傅益瑶は、1947年の中国・南京市生まれ。1979年に来日し、平山郁夫や塩出英雄らに師事しながら、日本に拠点を置いて水墨画家として活躍してきた。
 代表作の1つである、仏教がインドから日本に伝わるまでの歴史を描いた〈仏教東漸図〉は、比叡山延暦寺の国宝殿に常設されている。著者は長年にわたって芸術を通して、日中の文化交流・相互理解を促進してきた。

 本作品集には、江戸時代に活躍した小林一茶と松尾芭蕉の俳句を題材にして描いた情景画が計67点掲載され、1点ずつに著者の言葉が添えられている。

 全2章の構成で、「1章 一茶」では、〈痩せ蛙負けるな一茶これにあり〉〈名月をとってくれろと泣く子哉〉といった馴染みのある句をはじめ、初期から晩年までさまざまな時代に詠まれた一茶の作品42点が掲載されている。
 続く「2章 芭蕉」では俳諧紀行文『おくのほそ道』から25点が掲載されており、〈夏草や兵どもが夢の跡〉〈閑さや岩にしみ入蝉の声〉など、芭蕉を代表する名句が並ぶ。

〝世界一短い文学〟とも呼ばれる日本発の俳句の世界を、中国伝統の水墨画で描き上げた本書。日中の伝統文化に深く精通する著者だからこそ、成し遂げられた文化的功績と言えるだろう。
 著者は一茶と芭蕉のそれぞれのゆかりの地に足を運び、丹念に取材を重ねるなかで、両者の特徴を次のように洞察する。

 一茶の句を貫くものが「恋心」であるなら、芭蕉の句に通底するのは「風流」です。そして、それらはともに日本人の美意識を構成する大切な要素ではないでしょうか。(「はじめに」)

 近代中国画壇を代表する水墨画家・傅抱石(ふ・ほうせき)を父に持つ著者は、幼少の頃から、歴史や古典文学の素養を重んじる文人教育を施されてきた。豊かな教養に裏打ちされた著者の視点は、本書においても随所に見られる。

 中国の文人思想において、竹は極めて重要な意味を持っています。天高くまっすぐ伸びていく竹の中身は常に空洞のままです。文人たちは、そこから誠実な人格と、欲を持たない謙虚な精神という、理想の君子像を見いだしたのです。
 そんな竹のある庭に打ちつける初時雨を、一茶はどのように受け止めたのでしょうか。私には、江戸での生活の中で徐々に生えた〝魂のカビ〟を洗い落とし、清新な気持ちで再出発を切る準備を静かに整えているように思えるのです。(〈見なじまぬ竹の夕やはつ時雨〉)

終わらない青春を生きる

 今年(2024年)、喜寿を迎えた著者だが、いまも精力的に活動を続けている。本書に収録されている一茶の作品群は2023年に完成させたばかりなのだという。
 著者の活動を支えるものとは何か。樹齢を重ねた老木が咲かせる満開の桜を詠んだ一茶の句〈桜さくらと唄われし老木哉〉に添えられた文章にその一端がうかがえる。

 生きることは、絶え間なく死に近づいていくことでもあります。その一生のうちに味わう喜びと苦しみが、自らの生を彩り豊かなものへと変えていくのです。(中略)毎年、春になると咲いては散ってを繰り返す桜。自然の恵みと試練を受けながら、年輪を重ねた桜の老木が咲かせた大きく美しい花に、一茶は強く胸を打たれました。
 青春とは決して若さのことではありません。生命力こそが青春の原動力です。生命力に溢れる人は、終わらない青春を生きられるのです。(〈桜さくらと唄われし老木哉〉)

〈桜さくらと唄われし老木哉〉

 若さを短絡的に青春と結び付けてしまっては、時間の経過とともにただ失われてしまうだけである。そうではなく、人生のなかで経験する喜びや苦しみを、すべて自身の生命を豊かにする糧へと変えていく姿勢こそが、「終わらない青春」を生きる秘訣なのだ。
 著者の美に対する認識もまた、苦しみとは切っても切れない関係にあり、それは一茶の精神とも響き合っている。

 日本では吉祥の象徴として穏やかな松が多く描かれてきましたが、中国では厳しい環境にある松が伝統的に描かれてきました。古来、中国の文人たちは逆境に負けない松の木に、自らの尊厳と苦衷を託してきたのです。
 儒学や老荘思想にも親しんでいた一茶もまた、幾度もの困難を勝ち超えた松の美しさと、不屈の精神性を、自身の生き方に重ね合わせたのです。(中略)松は色彩豊かな花を咲かせることはありません。しかし、その存在自体が、悠久の歴史によって磨き抜かれた美そのものであります。(〈古松や又あらためていく霞〉)

〈古松や又あらためていく霞〉

 傅抱石はかつて著者に「歴史とは美そのものである」と語ったという。著者の作品、とりわけ墨一色で描かれた山水に顕著に見られる気韻は、こうした深遠な歴史観が根底にあるからこそ立ち上がってくるのだろう。

生命の真価を求めた旅

 俳聖・松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅に出たのは、その晩年のことである。江戸での安泰な暮らしに耐えられず、俳諧のさらなる高みを目指して、芭蕉は未知の土地へと旅に出たのだった。
 著者は芭蕉が旅に出た目的を、『荘子』のなかで引用される「死生亦大矣」という孔子の言葉を用いてこう語っている。

 芭蕉の旅の目的とは何か。
 それは「死生亦大矣(死生また大なり)」を知るためです。すなわち、人生の一大事である生死の実相を解き明かし、生命の真価を知るために、芭蕉は旅立つのです。(〈草の戸も住替る代ぞひなの家〉)

 生きて帰ってこられるかどうかも分からない。しかし、危険を冒してでも、この旅に出て、人生の価値を知らなくてはいけない。(中略)天地に満ちる〝泪〟とは、「死生亦大矣」を知るという己の使命を果たさんとする芭蕉に寄せられた万物からの喝采なのです。(〈行春や鳥啼魚の目は泪〉)

 じつは芭蕉が旅に出た年は、西行500回忌と重なる。「おくのほそ道」の旅路は、崇拝する西行の魂にも通じる生命探求の道でもあったのだ。

残ったのは武力ではなく文化

 芭蕉が危険を覚悟で未知の世界に飛び込むのは、ほかの誰よりも生の実感を求めていたからなのだろう。とりわけ、著者が見つめる芭蕉には、常に現実を肯定する姿勢があるように見受けられる。

 芭蕉が物事を「あわれ」と見るのは、現実を肯定するためです。諸行無常であるからこそ、人や風景との一期一会は美しく、尊いのです。(〈あらたうと青葉若葉の日の光〉)

 この姿勢に基づいた解釈が最も強く表れているのが、かつて奥州藤原氏が三代にわたって栄えた平泉の地で、芭蕉が詠んだ〈夏草や兵どもが夢の跡〉〈五月雨の降のこしてや光堂〉の2句をそれぞれ描いた作品である。

『おくのほそ道』を紐解くと、夏草に覆われた平泉の古戦場を目の当たりにした芭蕉が、杜甫の有名な「国破れて山河あり」の古句を想起しながら、戦の儚さを思って、長いあいだ涙を流していることが分かる。
 ところが、著者・傅益瑶はそこからさらに一歩踏み込んで、芭蕉の真情に迫る。

 歴史はすべてを平等に包み込みます。その膨大な時の洗礼を受けた先に残るのは、本質それだけです。
 人間の本質とは何か。生命は一体、何を求めているのか。
 私は、人間とは本質的に〝光〟を求めて生きる存在だと思っています。(中略)芭蕉は決して「夢の跡」を人間の欲と憎悪が渦巻く地獄とは見ていません。むしろ、この歴史を通して、人々を〝生命の本質への悟り〟に導こうとしているのです。人類の未来、歴史の行く末には、必ず大きな光明が待っていることを訴えているのです。(〈夏草や兵どもが夢の跡〉)

〈夏草や兵どもが夢の跡〉

 かつて地獄の様相を呈したこの地だからこそ、人類に希望を与えられる場所になることができる――。著者のこの強い現実肯定の思いは、続く中尊寺において、芭蕉が掴んだ確信とも重なる。

 続いて芭蕉は同じく平泉にある中尊寺を訪れます。
 あらゆるものを洗い流し、真実を顕現する歴史の前にあって、変わらずに残っているもの。それが光堂(金色堂)だったのです。争いの果てに残ったのは、武力でも権威でもなく、文化であり、仏の慈悲でした。
 雨上がりの参道の奥でひときわ輝く光堂を目にした時、深い感動が芭蕉の全身を貫きました。(〈五月雨の降のこしてや光堂〉)

 苦しみをも生の充実へと捉え直す一茶の生き方、「死生亦大矣(死生また大なり)」を知ろうとした芭蕉の足跡と同様に、どんな状況でも人間に対する希望を失わない著者の眼差しもまた、ますます混迷を深める世界において輝きを増していくに違いない。
 本書を手に取って、著者と二人の俳人の時空を超えた対話、そして生気宿る水墨画作品を、じっくりと堪能してほしい。

『傅益瑶作品集 一茶と芭蕉』
傅益瑶(ふ・えきよう)著

定価:3,300円(税込)
2024年10月31日発売
鳳書院(電子版は第三文明社刊

→公式ページ
→Amazonで購入

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