本の楽園 第196回 辻小説

作家
村上政彦

 紙面は藁半紙なのか、経年劣化で変色し、少しでも雑にあつかえば、ぼろぼろと崩れてしまいそうな趣だ。昭和18年に出版された社団法人日本文学報国会編『辻小説集』である。
 奥付を見ると、「初版発行 昭和十八年八月十八日」とある。部数は「一万部」。「定価一円四十銭」。227ページの薄い本。緒言を書いた久米正雄によると――

南海に於ける帝国海軍の輝かしい日々決戦の戦火と、凄まじい死闘の形相、一度国民に伝わるや、吾等は満眼の涙を払って、この前線将士の優先奮闘に感謝すると共に、皆を決してその尊き犠牲に対する報賞をなすべく立上がった

 冒頭から勇ましい言葉が並んでいるが、これは第2次大戦の末期に日本文学報国会に属する文学者たちが、原稿用紙一枚に戦意を昂揚させるエッセイや物語を書いて、文章でお国のために役立とうとする書物である。
 収録作品は207篇とあるから、それだけの文学者がこの企てに参加したことになる。小説を書いて37年になる僕が知らない作家も多いが、ビッグネームもいる。谷崎潤一郎、伊藤整、織田作之助、菊池寛、武者小路実篤、石川達三など、拾い読みをしていると、なんだか珍しい虫でも見つけたような気分になる。
 国家が国民を総動員して戦争をしているときだ。反戦を叫ぶのは勇気もいるし、実害も伴う。『辻小説集』を執筆した彼らを、平時に非難するのはやさしいが、では、有事のとき、自分はどのように行動するかと問われれば、そのときになってみないと分からない、としか答えられない。
 平時の覚悟を、有事でも維持するのは、なかなか難しい。
 だから、僕は彼らを安易に批判することは、ひかえる。その代わり、日本文学の読者なら誰もが知っているふたりの作家の文章を引いて、読者の吟味に供したい。

伝統の無産者 坂口安吾
 フランスは巴里の保存のために祖国の運命をかけたという。これは多分この大戦の伝説の一つであろうけれども、戦争近しという声をきくやルーヴル美術館の美術品を真っ先に隠匿した彼等は、伝統の遺産を受継ぐことは知っていたが、伝統は生む者が又彼等自身でもあることを知らなかった。
 ヨーロッパに比べれば我々の文化の伝統はかなり劣っている。源氏物語もある。法隆寺もある。世阿弥もいた、と云ってみても、国全体の文化は決して高くはなかった。
 然し、現今の如く知識の方法が確立して、能力次第で文化の摂取が無限に可能な時になると、伝統などというものは意味をなさぬ。我々は東京が廃墟と化してもより立派な帝都を作るに事欠かないし、法隆寺の瓦を大砲に代えることに敢えて多くは悲しまぬ。伝統の遺産を持たない代わりに、伝統を生むべき者が我等自身だからである

赤心 太宰治
 建保元年癸酉。三月六日、丁未天霽。この日、将軍家、御年二十二歳にして正二位に陞敍せられた事の知らせが京都からございまして、これすでに破格の栄誉、あまつさえその敍書に添えられ、かしこくも仙洞御所より、いよいよ忠君の誠を致すべし、との御親書さえ賜りました御気配で、南面にお出ましのまま、深更まで御寝なさらず、はるかに西の京の方の空を拝し、しきりに御落涙なさって居られました。
 白ク霹靂一時ニ落ツトモ、カクバカリカ心ニ強ク響クマイ。
と蒼ざめたお顔で、誰に言うともなく低く呻かれるようにおっしゃって、その夜、謹み慎みお作りになられたお歌こそ
 山ハサケ海ハアセナム世ナリトモ君ニフタ心ワガアラメヤモ 源実朝

 あなたは、この文章をどのように読みましたか?

参考文献:
『辻小説集』(社団法人日本文学報国会編)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「量子のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に、『台湾聖母』(コールサック社)、『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。