一冊の詩集に出会った。『道』と題された冒頭の詩を引いてみよう。
そこは緑したたる谷間
道はなかば草におおわれ
花をつけはじめた楢の木立ちをぬけて
学校帰りの子供たちが家路をたどる
穏やかで、健康な光景が見える。この詩は子供の視点から彼らの生活を書いている。『窓からの眺め』を引く。
いくつもの塔がほら 色とりどりの街の上に映え
いくすじもの細い流れが銀色の糸となってからみあい
山の月が鵞鳥の羽根毛のように
あそこもここも 大地を覆っている
子供たちの暮らしている美しい町が謳われている。
『芍薬畑にて』
白にピンク 芍薬が咲いている
ひとつひとつが香りの壺のよう そのなかで
小さな黄金虫が集まってお喋りしている
だって花は彼らの家なのだから
こちらは童話でも読んでいるようだ。20篇の詩が収められた詩集『世界』の印象を一変させるのは、結末に置かれたふたつの言葉だ。
ワルシャワ 一九四三年
これは、この詩集が出版された日をしるしている。ナチス・ドイツがポーランドに侵攻したのは1938年。詩が書かれた当時、ワルシャワではユダヤ人が拉致され、殺され、絶滅収容所に送られていた。
ポーランドの詩人たちは、詩の代わりに銃を手にして戦っていた。そのなかで、チェスワフ・ミウォシュは、この詩集『世界』を書いて地下出版した。彼はほかの詩人のように銃を取らなかった。あくまでも言葉で、詩で、戦った。
その戦いも、侵略者たちの蛮行をじかに告発するのではない。あるべき人間の世界を淡々と書いた。人は殺し合うべきではない。家は破壊の対象ではない。自然を慈しみながら、穏やかに生きるべきなのだ、と。
『世界』を評した四元康祐は述べている。
当時三十二歳のミウォシュは、ドイツ占領下のワルシャワで、ナチスに対する最後の(そして悲劇的な)蜂起に立ち上がったユダヤ人たちの叫び声を聞きながら、この詩集を書いたという。仲間たちが銃を手に「行為」へと赴くとき、自らに書くことだけを強いて
詩人には、詩人の戦い方がある。言葉と想像力を武器にして、悲惨な世界と異なったあるべき世界を構築する。これは逃避ではなく、まっとうな抵抗だ。ミウォシュは血濡れた現実を眼の前にして、そうではない、と静かにいった。
世界は美しい。人の生活は、祈りと愛に満ちたものである。
僕らは、ここに書かれた言葉を眼にし、舌の上にのせ、あらためて人と人が殺し合う愚かさを知る。そして、こういう戦い方もあるのだと詩人の覚悟に驚く。
オススメの本:
『世界 ポエマ・ナイヴネ』(チェスワフ・ミウォシュ著/つかだみちこ・石原耒訳/港の人)