書評『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』――単純で複雑なその疑問の本質に迫る

ライター
小林芳雄

読書離れはいつからはじまったのか

 新進気鋭の文芸評論家が日本人の読書離れの原因を探求した、今話題の一書である。
 読書が大好きで大学院では万葉集を学んでいた著者は、本を読み続けるためにはお金が必要だと思い企業に就職した。社会人1年目のせわしないを送っていたある日、全く本が読めていないことに気づく。時間がないというわけではない。スマホを眺めたり、ゲームをする時間はある。それなのに本は読めない。なぜ働くと本が読めなくなるのか。
 著者自身が抱いたこの疑問を徹底的に掘り下げたのが本書である。近代日本の読書と労働の歴史をたどり、各時代のベストセラーをひも解きながら、その答えを見いだしていく。

 なぜ読書離れが起こるなかで、自己啓発書は読まれたのだろうか。というか、読書離れと自己啓発書の伸びはまるで反比例のグラフを描くわけだが、なぜそのような状態になるのだろうか。(本書177ページ)

 明治維新以降、日本の読書人口は増加していた。第2次大戦後もまた経済成長と人口増加にともない本は売れていた。いまから振りかえってみれば、そうした時代の労働環境はそうとうに厳しい。拘束時間も長く仕事も過酷なものが多かった。しかし日本人は本を読み続けていた。
 読書離れが指摘されはじめたのは1970年代だが、日本人が本格的に本を読まなくなったのは1990年代以降である。とくに2000年代に入ってから明らかに読書人口は減少していった。そのなかでベストセラーの上位を占めるようになったのは自己啓発書である。

現代の自己啓発書の特徴=ノイズを切り捨てる

 自己啓発書の特徴は、自己のコントローラブルな行動の変革を促すことにある。つまり他人や社会といったアンコントローラブルなものは捨て置き、自分の行動というコントローラブルなものの変革に注力することによって、自分の人生を変革する。それが自己啓発書のロジックである。(本書180ページ)

 明治時代のベストセラー『西国立志伝』などのように、過去にも日本には自己啓発書といわれるものはあった。しかし現代の自己啓発書の内容はこれまでのものと一線を画している。
 過去の自己啓発書は主に人間の内面に焦点を当てていた。それに対し現代の自己啓発書は物事を操作可能で単純な「コントローラブルなもの」と、操作不可能で複雑な「アンコントローラブルなもの」に切り分け、後者を「ノイズ=雑音」として徹底的に除去し、行動の仕方を教える点にあるという。
 脳科学や心理学の名を借りて発想の転換を促す似非科学本、自分の部屋をキレイにすれば幸福度が増すとする片付け本、不要なものを捨てれば人生が幸福になる『断捨離』ブームなどはその代表である。
 このような考え方が流行した背景には、日本人の労働観の変化があるという。元号が昭和から平成に変わった1990年代は、世界的に「新・自由主義」といわれる経済至上主義が世界的に流行した時代でもある。社会や政治の在り方を考えるよりも、時代の波を上手く乗りこなし、労働市場で自分の価値を上げることが求められるようになる。
 こうした時代と相性がいいのが、自分自身を整理整頓し分析し、コントロールできないものをノイズとして除去するという、自己啓発書で説かれる内容だ。
 それに対して文芸書や人文書は感情や歴史、他者といったコントロール不可能なノイズについて語るものなので、働く際に邪魔になるものとして遠ざけられる。
 2000年代以降、スマートフォンが普及し、誰でも簡単にインターネットが利用できる状況になったことも大きな要因だ。現在必要なノイズの含まれない「情報」を素早く効率的に手に入れることが追求され、本で得られるノイズの付着した「知識」はますます遠ざけられるようになる。こうした社会ではスマホを見る時間はあっても読書をする心の余裕は生まれにくいのだろう。

他者や歴史を排除する社会は幸せなのか

 働きながら、働くこと以外の文脈を取り入れる余裕がある。それこそが健全な社会だと私は思う。
 働いていても、働く以外の文脈というノイズが、聴こえる社会。
 それこそが、「働いていても本が読める」社会なのである。(本書236~237ページ)

「好きなことを見つけて働き、仕事で自己実現する」をという考え方が登場し、副業がブームとなるとこうした風潮はより強まった。操作できるものにのみ目を向け、全てを単純化し、全身全霊をかけて多くの人が自発的に競争に参加している。しかし人間や社会は複雑なので、こうした考え方は無理があり、慢性的な疲れが生じてしまう。「働いていると本が読めない社会」は「疲労社会」でもある、と著者は指摘している。
 そうした日本社会を豊かな社会へと転換するために、私たちは意識を転換する必要がある。それを著者は「半身で働く」と表現する。これは「仕事の手を抜く」ということではなく、これまでノイズとして切り捨ててきたものに再び目を向け、時代や文化の異なる他者の視点から自身を見つめ直し、さまざまな可能性を開く生き方を意味しているのではないだろうか。そうした生き方は悩みも多いかもしれないが、健全な人間性を蘇らせるために避けては通れない道であろう。「働いていても本が読める」社会の実現は、多様性に満ちた豊かで幸福な日本社会を築くための第一歩なのである。

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(三宅香帆著/集英社新書/2024年4月22日刊)

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こばやし・よしお●1975年生まれ、東京都出身。機関紙作成、ポータルサイト等での勤務を経て、現在はライター。趣味はスポーツ観戦。