書評『ブラボーわが人生4』――心のなかに師匠を抱いて

ライター
本房 歩

信心とは〝永遠の青春の心〟

 1987年の10月。池田大作・創価学会第3代会長(当時は名誉会長)が、法華経を漢訳した鳩摩羅什(くまらじゅう)の話をしたことがある(第二東京支部長会)。
 池田会長は日蓮の御書(遺文)に綴られた次のような説話を紹介した。
 シルクロードの亀茲国に生まれた鳩摩羅什は、西域における大乗の論師として著名だった須利耶蘇摩三蔵(しゅりやそまさんぞう)から法華経を授けられる。須利耶蘇摩三蔵は、「この法華経は、東北の国に縁が深い」と羅什に語った。鳩摩羅什は、この師の言葉を持して法華経を東方の漢土へ渡した――。
 羅什にとって、師・須利耶蘇摩との出会いは、その生涯を決定づけるものとなった。けれども、そこからが試練の連続だった。小国が乱立して覇を競う乱世であったがゆえに、羅什のような天下に知られた「智者」を手中にすることは、各国各地の権力者にとっても重大事だった。
 羅什は捕らわれの身も同然となり、めざす長安の都まであと一歩というところまできて足止めされる。還俗を強いられた上、本来なら人生で最も仕事ができる30代後半から50代にかけて、捕囚はじつに16年間にも及んだ。
 池田会長は次のように語った。

 人生には運命の試練が必ずある。順調のみの人生のなかに、真の勝利は生まれないし、成功もない。逆境を、また運命の試練をどう乗り越えて、大成していくかである。(『池田大作全集』第69巻)

 そして、羅什はついに国師として長安に迎えられ、人生の最晩年の7年間に法華経など多くの大乗経典の漢訳を完成させる。少年時代に生命に刻んだ師の言葉を、四十余年の歳月をかけて見事に実現させ、誓いを果たした。
 池田会長はその羅什の姿を「人生の最終章における勝利の大逆転劇と私は見たい」と称えた。
 そして、この日のスピーチの最後を次のように結ぶ。

信心とは、永遠に若き〝青春の心〟でなくてはならない。(同)

「希望はどこにあるんや」

 さて、『聖教新聞』の大好評企画として続く「ブラボーわが人生」が、このほど4冊目の単行本となった。
 全国各地で長年、創価学会の信仰を貫いてきた80代、90代、100歳を超える人々が語る、信仰と人生。お国訛りもそのままに、取材記者へのツッコミもユーモラスな軽口も再現する。満面の笑顔の写真。まるで取材現場に居合わせているような臨場感が、読む人を引き込んでいく。
 このたびの「第4巻」に収録されたのは18人。どの人も戦中・戦後を必死で生き抜いてきた。16歳で原爆の閃光を浴びた女性。満州からの逃避行のさなかで幼子2人を亡くした母。夫や兄弟の戦死。
 ようやく平和な時代が訪れても、それこそ「宿業」は逃れようがない。食べることすらままならない貧困。子供の重い病気。夫との死別。
 1人1人の人生の来し方には、新聞の限られた紙幅ではとても語りつくせない、あるいは活字にできないようなことも含めて、幾多の言い知れぬ悲しみや苦悩、悔しさがあったことだろう。

 飲んべえの父ちゃん(夫)、早く死んでよお。子ども四人いたから、うんと働いたど。堤防の工事あってな。十年ぐれえ、もっこ担いだ。右の肩にコブができたな。(福島県の98歳)

 希望はどこにあるんやと。私も体にあざが広がるし、歯茎から血が出るし、髪も抜けて、寄りかからな座ってられへん。そして八月六日が来るたびに奈落へ落ちる。娘が「お母ちゃん、なんで泣いてるん?」。被爆したとは言えなかった。子どもへの差別を恐れたから。(京都府の93歳)

「元気で頑張るんだよ」

 もはや生きることさえ虚しいような日々のなかで、創価学会に巡りあった。それは世間からの嘲笑などものともせずに、誠実の二文字で通いつめ、真剣に仏法を語ってくれた人たちがいたからだ。その真心と確信に触れ、信仰を始める。
 ある人は、学会員から聖教新聞を渡された。学会員は自分の首をペチンと叩いて言った。「もし信心して幸せになれへんかったら、この首あんたにあげるわ」。
 ある人は、学会員からこう言われた。「この信心を素直にやって、三年、五年、七年の坂を上がってみーよー。必ず幸せになるけん」。
 創価学会に入ったことで、今度は親戚から猛反対され、近所からは中傷された。それでも歯を食いしばって信仰に励んだ。きのうまで必死に救いを求めていた身が、気づけば苦しんでいる人に手を差しのべる側に変わっていた。
 とはいえ、真心で仏法を語りに行っても素直に聞いてはもらえず、水をかけられ、塩をまかれる。それでも猛然と信仰を貫き、弘教に歩き回れたのは、どの人も信仰の力をわが身で実感できていたからだ。
 こうした会員たちの心を誰よりも知っていてくれたのが、池田会長だった。
 まだ青年室長だった若き日の池田会長が指揮を執り、1カ月で1万1111世帯の弘教を達成した1956年の大阪。

 池田先生に初めてお会いしたのは、その頃やねえ。図(はか)らずも、朝六時半からの勤行会に参加させていただいたんです。
 全部ご存じやったんかなあ。勤行の前にね、池田先生が私に頭を下げはったんよ。
「ご苦労かけますけれども、よろしくお願いします」
 一生ついてこうって思いました。(兵庫県の96歳)

 父親の顔すら知らずに育ち、兄を戦争で失い、川の水で体を洗って朝4時から行商に歩いていた沖縄の女性。創価学会に入ったことで、今度は村八分にされ石や瓶を投げつけられたという。

 池田先生と那覇でお会いしたのは、昭和四十七年(七二年)だったと思います。
 先生は私の手を取ってくれて「元気で頑張るんだよ」。先生の目を見たら、自分の父親が来てくれたような気がして、池田先生は私のお父さんだねーと思って、涙がぽろぽろ。(沖縄県の100歳)

 握手しながら彼女が「はい、頑張ります。負けません」と答えると、会長は握り返してくれた。
 茅葺だった家はコンクリートの家に変わり、かつて村八分にされた集落で、今も地域の人々と悠々自適に仲良く暮らす。

 ああやっぱり、この信心はすごいんだね。御書の通りさー。「しばらくの苦こそ候とも、ついにはたの(楽)しかるべし」。私は勝った。絶対負けてない。勝ったんだよー。(同)

心のなかに師匠がいる人生

 米国の調査研究機関Pew Research Centerが2024年6月に発表した調査結果によると、日本を含む東アジアは、世界でも最も宗教心の薄い地域だという。人々はスピリチュアルなものには惹かれながら、具体的に信仰を実践する「宗教」には総じて忌避感を示しがちだ。
 そんな日本で、創価学会が大きく発展し、しかも日本に留まらず世界192カ国・地域にまで広がっていったのはなぜか。

 人生には引き潮と満ち潮があるでしょ。引き潮の時に題目をどれだけ積むかで、福運が決まると思うのよ。歯を食いしばりましたねえ。よし、子どもに題目を残そう。学会活動の福運が全部、子どもにいきますように――。その気持ちで、ずっと戦いました。(埼玉県の94歳)

 明けても暮れても題目だった。題目の力で生かしてもらってた。私が住んでた四丁目のみんなに、「私はバカで貧乏だけど、創価学会は最高です」って歩いたの。確信いっぱいだった。
 そうするうちに、不思議と体が良くなって、ちゃんと働けるようになったわけ。土地買って、家建てたら、みんな回覧板を回すように信心したよ。(茨城県の103歳)

 2023年11月15日。池田第3代会長が逝去した。「ブラボーわが人生」を担当する聖教新聞社会部の取材記者は、連載に登場した人々に連絡をしたという。どの人からも感傷的な反応はなく、むしろいよいよ新しいスタートを切る気概に燃えていた。
 あの人も、この人も、師匠である池田会長を心のなかに抱き、生死を越えて、創価学会創立100周年の2030年に向けて、池田会長と共にさらに前へ進もうとしている。
 戦争に青春を奪われ、この世の地獄を見せられ、戦後も宿命に泣き、凍えるように立ちすくんでいた人々。そこに「必ず幸せになれます」という確信の言葉を届けたのが、創価学会だった。
 そして、庶民の苦労と苦悩を誰よりも理解し、「一番苦労した人こそ一番幸せになる権利があるのだ」と、命を削るように会員を励まし続けたのが池田会長だった。
 好評に応えて単行本化が続いている本書だが、500年、1000年経った時、ここに綴られた名もなき人々の声は、圧倒的な迫力をもって歴史の証言者となるに違いない。「池田大作」と巡りあった人々が、どのような覚悟と希望を抱いて同時代を生きたか。この『ブラボーわが人生』は、さながら現代の万葉集のようである。

『ブラボーわが人生 4』公式サイト

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