「硬性憲法」としての日本国憲法
日本国憲法第96条では、憲法改正の要件が定められています。衆参両院で3分の2以上の国会議員が賛成しなければ、憲法改正のために必要な国民投票を発議することはできません。自民党は野党時代の昨年(2012年)4月、憲法改正草案を発表しました。草案によると、衆参両院で過半数の賛成を得られれば国民投票を発議できるとされています。
政治の根本原理である憲法は、そう簡単にコロコロ変えるべきではないという前提でつくられました。3分の2以上の国会議員から賛成を得るためには、超党派的な合意を幅広く得なければなりません。あらかじめ簡単に変えられないようにつくられているため、日本国憲法は「硬性憲法」(※1)と呼ばれています。
過半数の国会議員の賛成によって首相を指名し、国会で予算や法律を通す。単純な多数決によって政治を動かす。これが通常の統治のやり方です。一方、憲法規範については、3分の2以上の国会議員から賛成を得なければなりません。憲法規範は一党派に限らず、かなり広がりをもつ多数派の合意によって変えていく。私たちは通常の統治に関わる権力と、憲法という規範をつくる権力を明らかに使い分けているのです。
(※1)硬性憲法=通常の法律よりも厳しい改正手続きを必要とする憲法。簡単に変えられる憲法は「軟性憲法」と呼ぶ。
なぜ韓国では9回も憲法改正されたのか
どこの先進国でも、憲法改正の手続には一般法よりも厳しい要件が求められます。アメリカでは上下両院で3分の2以上の議員の賛成を得なければ、憲法改正を発議できません。さらに、アメリカ全土の州議会で4分の3以上の承認を得なければならないのです。アメリカでは、日本よりもはるかに憲法改正のハードルは高い。
ドイツでは、連邦議会と連邦参議院で3分の2以上の賛成を得なければなりません。フランスでは上下両院で過半数の賛成を得たうえで憲法改正を発議し、さらに両院合同会議で5分の3以上の賛成が必要です。過半数の国会議員の賛成によって憲法を簡単に変えられる国は、先進国では例がありません。
韓国の国会は一院制で、3分の2以上の国会議員の賛成によって憲法改正を発議できます。韓国はこれまで何度も軍事クーデターが起き、政治体制そのものが繰り返し転覆してきた歴史があります。第2次世界大戦後に絞っても、合計9回も憲法を改正しています。何度も憲法改正をした国の例として、韓国が取り上げられることが多いですが、頻繁な憲法改正が民主政治の成熟を示すわけではありません。むしろ民主政治が不安定だからこそ、憲法をたびたび変えてきたわけです。
李承晩や朴正煕らの軍事独裁政権時代には憲法を変えてきましたが、87年に民主化して以降、金泳三や金大中らの時代に韓国は1度も憲法を変えていません。憲法とは政治的常識の表現であって、民主政治が成熟すればむやみに改正する必要はなくなるのです。
過半数による決定は、ときに判断を誤ります。多数決で決めたからといって、正しい結論を得られるとは限りません。これは民主主義につきまとう問題であり、長い間悩んできた問題です。だからこそ、大事な問題であればあるほど慎重に決める。これが人間の知性の表れです。そのときの勢いだけでたまたま過半数を取ったグループが、基本的なルールを安易に変えてしまうようなやり方は、人間の知的でない部分が発露する道を開くおそれがあります。その意味で、自民党の改憲草案は「知の否定」であり「反知性主義の発露」ではないでしょうか。
「飛ぶボール」問題と憲法96条改正の共通点
最近、プロ野球界でひそかに「よく飛ぶボール」に仕様を変更されていたことが大問題になりました。飛ばないボールはバッターにとって不利であるため、ボールの種類を変えてヒットやホームランが量産されるようにしたわけです。
「バッター=自民党」「ピッチャー=改憲に反対する勢力」と仮定してみてください。ピッチャーよりもバッターの人数のほうが多いため、バッターによる多数決によって「よく飛ぶボール」に変更してしまう。いわば、これが自民党が望む憲法改正なのです。
「もっとホームランが増えたほうがいい」という理由から、バッターによる多数決だけでボールの種類をコロコロ変えてしまう。そうなれば、野球というゲームの秩序が崩壊してしまいます。
ピッチャーもバッターも観戦者も、野球のあり方をみんなで議論する。華々しい打ち合いがあれば野球がおもしろくなるのか。それとも、あまりたくさんホームランが出すぎると試合が大味になってつまらなくなるのか。議論を積み重ねれば、ピッチャーにもバッターにも見る側にも、おのずと合意が生まれるはずです。
逆に言うと、合意ができないうちに急いで基本的ルールを変えるべきではありません。3分の2以上の意見が一致したときに、初めてルール改正の具体的手続きに入っていく。これが憲法96条がもつ意義なのです。
自分とは違う立場の人間についても、視野の広さと複眼的思考によってとらえていく。これが人間の知性です。知性を放り出して立場が違う人間の意見を無視し、基本的ルールに手をつける。こうした行為は人間として浅ましいし、極めて自分勝手なのです。
国民に課せられる「意思表示の重み」
安倍晋三首相は「現行憲法は国民の手によってつくられたものではない」「憲法を国民の手に取り戻すべきだ」と憲法96条改正を正当化しています。国会の3分の1の勢力をもって、国民自身に憲法改正を考える機会を与えないのはおかしいというわけです。
しかし、ここで国民投票の「重み」について考える必要があります。私たちが民法を学ぶ際には、最初のところで「意思表示の重み」について習います。ひとたび意思表示したならば、特別な事情がない限り、取り消したり撤回することはできない。この「意思表示の重み」は個人の契約のみならず、社会契約にもいえる話です。憲法制定とは社会契約であり、国民がひとたび意思表示すればあとから取り消すのは容易ではありません。
国民投票によって表明された民意は、大変な正統性をもちます。だからこそ、国民投票の取り扱いには気をつけなければいけないのです。国会議員が憲法という社会契約について性急に意思表示を迫るべきではないのです。国会が何回も憲法改正を発議し、そのつど国民投票をするのは、一見国民主導のように見えて、実は国民の意思形成を妨げる危険性もあります。性急にすすめられると、じっくりと考えて議論をしたり、結論を出していくのが難しくなりますし、国民にとっても負担が大きくなります。
今後、衆議院を解散しない限り、3年間は国政選挙がありません。課題が山積するなかで、憲法の優先順位は低い。まず取り組むべきは、公明党の主張するように税制改革や社会保障の問題、経済の問題や原発・エネルギー問題(※2)です。
公明党は基本的人権の尊重、国民主権、恒久平和主義を「人類普遍の原理」と位置づけ、そのうえで環境権や地方自治のあり方などにつき、現行憲法に条文を加える「加憲」が望ましいという考え方です。憲法96条については「より厳格な改正手続を備えた〝硬性憲法〟の性格を維持すべき」と主張しています。これが常識的な憲法論だと思います。
安定政権によって日本の政治・経済を立て直すことこそ、国民の要望です。国民は憲法改正を願って自民党を支持しているわけではありません。安定政権を維持したうえで、自民党の暴走を防ぎ、国民の常識を反映する政策を遂行する公明党の役割は極めて大きいのです。
(※2)公明党は2013年6月27日、「当面する重要政治課題」を発表。おおまかにまとめると、①税制改革と社会保障、②原発ゼロ社会の構築、③TPP(環太平洋連携協定)交渉、④領土問題を平和的に解決、⑤選挙制度改革、⑥加憲。 リンク:当面する重要政治課題(2013/6/28付 公明ウェブサイト)
<月刊誌『第三文明』2013年9月号より転載>
関連記事:新しい「生きるモデル」の構築を急げ!