第48回 正修止観章⑧
[3]「2. 広く解す」⑥
(7)灌頂による十六の問答①
さらに、その後、灌頂の「私料簡」(個人的に問答考察すること)の段があり、十六個の問答がある。順に紹介する。
①第一の問答:十種の対象界の十について
法(存在者)は塵や砂のように数が多いのに、対象界はどうして十種と確定しているのかという質問が立てられる。これに対して、『華厳経』の「一つの大地がさまざまな芽を生じることができるようなものである」(※1)という比喩を引用して、十という数はちょうど詳細でも簡略でもなく、内容をはっきり理解し易くさせるために十種というだけであると述べている。
②第二の問答:十種の対象界の通(共通性)と別(個別性)
十種の対象界の共通性と個別性についての質問が立てられる。これに対して、生まれて身を受ける始まりは、誰でも身があり、さまざまな経典が観察について説明する場合、観察の対象として色(いろ・形あるもの)から始めることが多いので、五陰を十種の対象界の初めとするだけであると述べている。
さらに、十種の対象界をすべて共通に陰と呼ぶことについては、陰の対象界は陰を根本としており、煩悩・業相とは陰の原因であり、病患は陰の病であり、魔は陰の支配者であり、禅は善の陰であり、見・慢とは陰の原因であり、二乗・菩薩とは、他の八種の対象界とは異なる陰であると述べている。
次に、共通に煩悩と呼ぶのは、見・慢はともに煩悩であり、陰入・病は煩悩の結果であり、業は煩悩の原因であり、禅は欲界の無動業(動揺を超えた業。無動行、不動業ともいい、色界・無色界に生じる禅定を修すること)であり、その業は煩悩の作用である。魔は欲界を統(す)べており、煩悩の支配者にほかならない。二乗・菩薩は前の対象界とは異なる煩悩に収められると示される。
次に、共通に病患と呼ぶのは、陰界入は病の根源であり、煩悩・見・慢等は煩悩という病である。業も病である。魔は病を生じさせることができる。火災・水災・風災の三災は外の過患(かげん)であり、喘息・喜楽は内の過患である。禅に喜・楽のある(喜と楽は高次の禅になるにしたがって捨てられるべきものである)のは、病患にほかならない。二乗・菩薩は空に執らわれる病であり、空に執らわれる病もやはり空であると示される。
次に、共通に業と呼ぶのは、陰入は業の結果、煩悩・見・慢は業の根源、病は業の果報、魔は魔の業、禅は欲界の無動業、二乗・菩薩は無漏の業であると示される。
次に、共通に魔と呼ぶのは、陰入は陰魔、煩悩・見・慢は煩悩魔、病は死魔、魔は天子魔である。その他のものはすべて行陰の魔に収められると示される。
次に、共通に禅定と呼ぶのは、禅は当然、その対象界であり、陰入・煩悩・見・慢・業などはすべて十大地のなかの心作用(善心、悪心、無記心のいかなる場合にも心とともに働く心作用で、受・想・思・触・欲・慧・念・作意・勝解・三摩地の十種をいう)である定(三摩地)に収められる。魔は未到地定(未至定ともいい、初禅を得るための準備的な禅定)の果報であり、やはり定に収められる。二乗・菩薩は清浄な禅に収められる。さらに、三定(上定・中定・下定)によってこれらを収め、具体的には、上定は菩薩・二乗を収め、中定と下定の二つの定は八種の対象界を収めると示される。
次に、共通に見と呼ぶのは、陰入は我見・衆生見である。煩悩は身見(我見と我所見)・辺見・邪見・見取見・戒禁取見の五見を備えている。病は寿者見・命者見である。業・禅などは作者見でもあり、戒取見でもある。魔は使作者見・使受者見・使起者見などに収められる。さらに、生死は辺見に収められ、慢は我見に収められ、二乗と蔵教の菩薩、通教の菩薩、別教の教道の菩薩の方便の菩薩などはすべて曲見に収められる。ここに出る多くの見は、『大品般若経』巻第一、習応品に、「一切の我は常に不可得なり。衆生・寿者・命者・生者・養育・衆数・人者・作者・使作者・起者・使起者・受者・使受者・知者・見者は、是れ一切皆な不可得なり」(大正8、221下15~18)に基づくものである。この文に対する『大智度論』巻第一の注釈には、「五衆の中に於いて、我・我所心起こるが故に、名づけて我と為す。五衆は和合の中に生ずるが故に、名づけて衆生と為す。命根は成就するが故に、名づけて寿者・命者と為す。……手足は能く所作有るを、名づけて作者と為す。力能く他を役するが故に、使作者と名づく。……他をして後世の罪福の業を起こさしむるが故に、使起者と名づく。……他をして苦楽を受けしむるを、是れ使受者と名づく」(大正25、319中29~下9)とある(「五衆」は五陰のこと)のが参考になる。
次に、共通に慢と呼ぶのは、陰入は我慢に収められ、煩悩は慢慢に収められ、病患は不如慢に収められ、業は憍慢に収められる。魔は大慢に収められ、禅は憍慢に収められ、見もやはり大慢に収められ、二乗・菩薩は増上慢に収められる。ここに出る多くの慢は、『南本涅槃経』巻第十、現病品に、「慢・慢慢・不如慢・増上慢・我慢・邪慢・憍慢」(大正12、670上14~15)と出る。ここには大慢が欠けているが、大慢を含む八慢の解釈については、『成実論』巻第十、憍慢品(大正32、314中6~315上19)が参考になる。
次に、共通に二乗と呼ぶのは、二乗に関わる四念処(身の不浄、受の苦、心の無常、法の無我を観察すること)・四諦の法は、二乗以外の他の九種の対象界を収めると示される。
最後に、共通に菩薩の対象界と呼ぶのは、菩薩に関わる四弘誓願によって、菩薩以外の他の九種の対象界を収めると示される。
③第三の問答:対象界の名の共通性と修行者の名の共通性
境法(対象界という存在)の名がみな共通している場合は、修行者もやはり共通しているのかという質問が立てられる。これに対して、『大般涅槃経』を引用して、まだ発心していないのに、菩薩と名づけることを述べ(※2)、前の九種の対象界の人もやはり共通に菩薩の人と呼ぶのであると述べている。共通して二乗である場合は、四種の声聞(決定声聞・増上慢声聞・退菩提心声聞・応化声聞)(※3)がある。増上慢の声聞は、声聞より下の八種の対象界の人を収めることができ、仏道の声聞(応化の声聞を指す)は菩薩の人を収めることができると示される。応化の声聞とは、仏・菩薩が衆生を救済するために仮りに声聞の姿を取ったものである。
④第四の問答:十種の対象界は無常か
十種の対象界は共通に無常であるかという質問が立てられる。これに対して、『宝性論』の「菩薩は無漏界に住するが、常住なものを無常と見なす顛倒がある」とある文(実際の出典は未詳)を引用して答えとしている。菩薩でさえ無常といえるのであるから、他の九つの対象界も当然、無常といえるというものである。
⑤第五の問答:十種の対象界は有漏であるか
十種の対象界は共通に有漏であるかという質問が立てられる。これに対して、有漏であることについては共通であるが、有漏のあり方については多少の相違があると答えている。『輔行』巻第五之一によれば、「通じて皆な是れ漏にして、有の義は同じからず。仏を降(くだ)りて已来、皆な名づけて漏と為す。有の義異なるとは、十境は別なるが故なり。陰より見・慢に至るまでは、界内の漏有り。二乗・菩薩は界外の漏有り。内外同じからざるが故に、異なり有りと云う」(大正46、286下10~13)と解釈している。二乗・菩薩には界外(三界外部)の漏があり、前の八種の対象界には界内(三界内部)の漏があるという相違を指摘したものである。
⑥第六の問答:十種の対象界は偏真であるか
十種の対象界は共通に偏真であるかという質問が立てられる。これに対して、偏であることについては共通であるが、真である点については多少の相違があると答えている。「偏真」は、円真に対する語である。円教の真理を円真というのに対して、蔵教・通教・別教の真理を偏真という。『輔行』巻第五之一によれば、「依りて未だ円に会せざるが故に、通じて是れ偏なり。真に差別有るが故に、真異と云う。二乗・菩薩に界外の真有り、余の八境に界内の真有り」(同前、286下19~21)と解釈している。二乗・菩薩には界外の真があり、前の八種の対象界には界内の真があるという相違を指摘したものである。(この項、つづく)
(注釈)
※1 原文は、『六十巻華厳経』巻第五、菩薩明難品、「猶お大地の一、能く種種の芽を生ずるに、地に性として別異無きが如し。諸仏の法も是の如し」(大正9、428上16~17)を参照。
※2 『南本涅槃経』巻第九、菩薩品には、「迦葉菩薩は仏に白して言わく、世尊よ、云何んが未だ菩提心を発せざる者は、菩提の因を得るや。仏は迦葉に告ぐらく、……当に知るべし、是の人は是れ大菩薩摩訶薩なり。是の義を以ての故に、是れ大涅槃の威神の力もて、能く未だ菩提心を発せざる者をして菩提の因を作らしむ」(大正12、658下22~659上2)とある。
※3 四種の声聞については、菩提留支訳『妙法蓮華経憂波提舎』巻下に、「声聞人は授記を得と言うは、声聞に四種有り。一には決定声聞、二には増上慢声聞、三には退菩提心声聞、四には応化声聞なり」(大正26、9上15~17)を参照。『輔行』巻第五之一には、「今、仏道と云うは、即ち是れ応化なり」(大正46、286中23~24)とある。
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