何かをしようとしても、なんか怠い、気分が乗らない――かといって、重い病をわずらっているわけでもない。いま、そんな人は多いのではないだろうか。
僕は小説を書くことでたつきを得ている。ベストセラー作家ではないので、小説だけで暮らしは立たない。小説を書く営みを核にして、その周りに広がる細々した仕事をするのだ。このコラムも、そのうちのひとつだ。
文章を書くのは、楽しい、とはいえない。どちらかといえば、苦行寄りである。いつも仕事をするときには、新聞を読んだり、日記を書いたり、なんらかの準備運動をして、弾みをつけないと、とりかかれない。
しかし〆切があって、急いでいるときは、まず、仕事部屋へ重い足を運ぶ。気合を入れて、机の前に坐る。覚悟を決めて、パソコンの電源をオンにする。そして、えいやーっと一行目を書く。すると、だんだんエンジンが回転を始める。
仕事って、たいていそんなものでしょう?
でも、それができなくなった物書きは、干上がってしまう。『元気じゃないけど、悪くない』の著者は、そうなってしまった。
フリーランスのライターをしている著者・青山ゆみこは、50歳を目前にして、家族の飼い猫・シャーに死なれた。深い喪失感にひしがれて、なにをしているか分からない日がつづいた。
「猫を喪った悲しみは猫でしか埋まらない(犬もしかり)」と聞いて、思い切って新しい猫を迎え、しゃきっとしたいと、食生活の改善とジム通いを始めた。
いちばん大きな変化は、断酒をしたことだった。それまでの生活は酒を中心に回っていた。30年つづいたその習慣をやめた。「のんだくれゆみこ」が、「ノンアルコールゆみこ」になった。
最初は、「禁酒ハイ」になって、なにか大事を成し遂げている気分の昂揚があった。ところがある日、「頭蓋骨の内側がぱあっと明るく光り輝いているような感覚に襲われた」。高速で思考が回り出し、どうやっても止まらない。
とうとう、「高いビルから飛び降りて自分を身体丸ごと止めてしまえば、もうこれ以上考えずにすむのかも」という地点にゆきついた。著者は、主治医だった精神科の医師に助けを求める。
医師は、彼女が軽い躁状態だったと診断し、眠剤などの薬を処方してくれた。けれど、心の状態は悪くなって、パニック障害であることが判明。別の薬をもらって帰った。けれど、けれど、今度はめまいがやってきた。
あちこちの病院へ行くが、めまいの原因が分からない。なにをするにも、ふわふわした浮遊感がある。何人もの医師から、「だいぶ疲れているようなので、少し休んだほうがいいかも」といわれて、暮らしを工夫することにした。
自分にとって「悪くない」ものを小さく小さく増やしていく……同時に、わたしには全力で取り組んでいたことがある。それは「しない」ことだった
まず、家事をしない。仕事量を制限する。そして、何事も、「いちばん近くにいる家族に助けてもらう。/家族以外の信頼する人に助けてもらう」――そうすることで、しんどさが少しずつなくなっていった。
著者は、当時を振り返って、「慢性的な過労でよろよろになっていた」という。それさえ気づけないほど、彼女はフル回転していたのだ。しかし、主治医と相談して、書くことからもしばらく遠ざかった。
そのとき著者を救ったのは、読むことだった。『秘密の花園』という物語が、しみた。
できないことばかりのわたしだけれど、こうして物語を、本を読むことはできる。読むことは以前よりもリアルにわたしを助けてくれる
著者は、
「自分に良さそう」な本を一冊ずつ選び、ほっておくと「不安な自分」で埋め尽くされそうになる頭のなかに、誰かの言葉を、物語を流し込んでいった
そして、著者は小さな部屋を借りて、自分の居場所をつくった。知人に呼びかけて、オープンダイアローグという治療を試してみた。そうしているうち、ふと思いついて耳鼻科を訪れ、精密検査を受けて、ついに、めまいの原因が分かった。耳石器の衰えだった。
著者は、だんだん自分をとりもどしてゆく。
わたしって健康的なのだろうか。よくわからない。わからなさを保留にできるそんな自分は、とりあえず悪くないんじゃないかな
自分と向き合う書くことも再開できた。その成果が本書だ。
無傷ではないし、今後は古傷が疼くことがあるのかもしれない。全快しゃきしゃきの元気いっぱいでもない。でも「回復」とは異なるカタチで、わたしは自分の人生を新たに立上げて生きている。そういうの、全く悪くない。むしろ、悪くないと思うのだ
病気じゃないらしいけど、なんだかなー、とおもっている人は、励まされるだろう。僕は、いまは半病人の時代だとおもう。
半分・病気、半分・元気――でも、みなさん、それでも明るく生きてゆきましょう!
お勧めの本:
『元気じゃないけど、悪くない』(青山ゆみこ著/ミシマ社)