本の楽園 第181回 愛国者と差別

作家
村上政彦

 アジアの物語作家を自任して20年になる。しかし実際に作品を世に問い始めたのは、この5年ほどのことだ。40代なかばから50代の終わりにかけて、「満洲沼」にはまってしまった。
 いや、そんな土地があるのではない。日本が植民地化した「満州帝国」のおもしろさに憑かれて、手当たり次第に資料を集めて読み漁り、何とか長篇小説を書こうとして、ずぶずぶ沼に沈んでいったのだ。
 最初は、朝鮮半島を舞台にして、日本が朝鮮半島を植民地化した歴史を書く予定だった。それで某出版社の経費で関連資料を集めて、韓国へ取材旅行もした。現地では、出版社を営む人物、大手新聞の記者、政治家、文学者など、さまざまな人と会って話した。
 帰国して、小説に着手したら、国家という存在が気になりはじめた。眼にする国家論を読み砕き、5年ほどしてようやく自分なりに、国家とは何か? が分かるようになった。そうしているうちに、国産みの快楽が味わいたくなって、満州に手を伸ばした。
 ここから300枚ぐらいの小説を書き終えるのに、4、5年かかった。親しい目利きに読んでもらって、助言を受け、改稿しようとしているうちに、台湾が気になりはじめた。これは朝鮮半島の植民地史を書くための資料集めの産物で、なかに台湾の文献があったのだ。
 台湾の内陸部で震災があって、頭に大怪我をした小学生が、亡くなるときに「君が代」を歌った――それが昭和18年だったか、外地の台湾でも、内地の本土でも国定教科書として使用された。もちろん国語(日本語)の教科書として。
 そこで台湾へ取材に行った。教科書に書かれていたことが、事実らしいと分かって、某出版社からノンフィクションの新書を出した。そして、某文芸誌に植民地時代に日本語を学んだ日本語族と呼ばれる老人たちの小説を書いた――。
 前置きはこれぐらいにしておこう。つまり、僕は朝鮮半島、台湾を取材し、満州帝国を小説にした。ただ、この作品は、「満洲沼」から抜け出すために、いったん棚上げにしてある。もう少しアジアの物語を書いてから、執筆を再開したいとおもっている。
 いま在日の男性を主人公にした小説のゲラ(著者校)に手を入れている。夏までには出版できるだろう。そのあとに書くのも、アジアの物語で、これは韓国と日本を舞台にしている。
 きょう紹介するのは、その資料のひとつ『ネットと愛国』だ。著者の安田浩一はフリーのジャーナリストで、この本で取り上げられたのは「在特会」という市民団体だ。正式な名称は「在日特権を許さない市民の会」である。
 代表者は桜井誠。一見、どこにでもいそうな若者だが、マイクを持つと豹変する。在日の人々に、書くのもはばかられる言葉を浴びせかける。いや、連射する。もともとはDoronpaというハンドルネームを使って、2ちゃんねるなどのネット掲示板で韓国、北朝鮮を批判していた。
 それが論客としてTV番組に出演するようになって知名度をあげた。2007年、おもにネットで活動していた桜井誠(これもハンドルネーム)は、「在特会」を立ち上げた。集まった会員500人は、ほぼネットを経由してつながっている。「在特会」は、ネット時代のムーブメントといえる。
 ネットの磁力で集まった人々がストリートへ出た。デモ行進をする彼らの目的地は、朝鮮学校やコリアンタウンだ。大きなメガホンを使って、自称・行動する保守として、在日の人々に与えられている特権によって、日本人が被害をこうむっている、と批判する。
 もう一度いうが、書くに書けない憎悪に満ちた言葉を使って、「在特会」は在日の人々を攻撃する。それを口にしているのが、ひとりになれば、礼儀正しく、おとなしい若者だったり、それなりに社会的な地位のある大人だったりするのだ。
 桜井は、演説がうまい。童顔の、真面目そうな若者が、蝶ネクタイとサスペンダーをつけ、緩急自在に言葉をあやつり、デモに参加した会員たちを熱狂させる。彼は、ある右翼思想家の影響を受け、このような演説スタイルをつくりあげたようだ。
 会員たちは、交代でマイクを持ち、在日の人々を攻撃する。その言葉はおどろおどろしい毒をふくんでいる。いや、毒そのものだ。のちにヘイトスピーチと称され、法律で禁じられるやり方だった。
 安田は、「在特会」が特権としている在日の人々の権利をひとつずつ検証し、特権ではないことを論証してゆく。これは「在特会」自身がわかっていたのではないか。それなのに、彼らは在日の人々への憎悪をかくさない。

「私は知りたかっただけだ。それはけっして理解でも同情でもなく、ただ、在特会に吸い寄せられる者の姿を知りたかったのだ」

 著者のこの告白は、ジャーナリストの本能のようなものだろう。そして、彼が見たのは――

「正面から愛国を論じたところで見向きもされない。そこにはやはり、さまざまなタブーという仕掛けがあったからこそ、ナショナリズムに火がついた。
 たとえば外国人は日本から出て行けという言論もそうでしょう。今世紀に入ってから非正規労働者の割合が急増した。正社員の座をめぐる過酷な椅子取りゲームが始まったわけです。椅子が余っている時代であれば外国人のことなど気にならないし、寛容でいることもできました。しかし椅子の数が少なくなれば、まず、椅子に座るべきは日本人からだろうといった声が出てくる。それがいつしか外国人は出て行けという罵声にも変わる。“外国人に優しくすべき”“外国人は大事にすべき”といった常識論を乗り越えてしまえば、あとは排外主義の競い合いですよ。これはナショナリストが指導したものではなく、もちろん愛国的な視点から生まれるものでもありません」(注・ジャーナリスト渋井哲也)
 つまり、生き残るための叫びが、必然的にナショナルな要素と結びついたというわけだ」

「在特会」で活動する人のモチベーションは、実にさまざまだ。共通するのは、被害者意識と反エリート意識である。
 社会で「うまくいかない人々」が、心のうちにかかえたルサンチマンを、他者(在日)を叩くことによって発散し、カタルシスを得、ときには日本人であることのアイデンティティーの証とする(「在特会」には在日の身内を持つ者もいる)。

「在特会とは何者かと聞かれることが多い。そのたびに私は、こう答える。
 あなたの隣人ですよ――。
 人の良いオッチャンや、優しそうなオバハンや、礼儀正しい若者の心のなかに潜む小さな憎悪が、在特会をつくりあげ、そして育てている。街頭で叫んでいる連中は、その上澄みにすぎない。彼ら彼女らの足元には複雑に絡み合う憎悪の地下茎が広がっているのだ」

 安田は、「私のなかの在特会的なもの」という言い方もしている。
 差別の快楽――そこから他者を生物学的に排除するところまでは、おそらく紙一重であるとおもわれる。

オススメの本:
『ネットと愛国』(安田浩一著/講談社+α文庫)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「量子のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に、『台湾聖母』(コールサック社)、『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。