世界桂冠詩人の「言葉の力」
――1月1日に発生した能登半島地震は、甚大な被害をもたらしています。自衛隊や海上保安庁、警察、消防などに加え、災害派遣医療チームDMAT、各種の人道支援NGO、宗教団体などが、救援活動に動いています。
青山樹人 被災された方々に心からお見舞いを申し上げます。創価学会も発災後ただちに原田会長を本部長とする災害対策本部を設置しました。
大地震のような大規模災害現場では、市区町村などの自治体や消防・警察なども被災の当事者になり、マンパワー的にもできることが限られてしまいます。また、とくに発災の初動では地元の住民でなければ掌握できないことも多々あります。
大規模災害時にいくつかの宗教団体が有効に機能するのは、地域にある寺院や会館などの拠点を中心に、日ごろから信徒のコミュニティが形成されていること。全国に教団のネットワークがあって、他地域からの救援物資や人員の供給が可能なことなどが挙げられるでしょう。「いのち」に対して敏感であるということも大きいと思います。
あの阪神淡路大震災や東日本大震災はじめ、熊本地震や北海道胆振東部地震など近年の大地震でも、宗教は重要な役割を果たしています。地元の神社や寺などが避難所として多くの命を守ったところもありました。全国規模の大教団は、いち早く救援の手を差し伸べています。
阪神淡路大震災では創価学会でも即座に大阪湾から船で救援物資を運ぶなどし、男子部などを中心に「バイク隊」で被災地の各所に届けました。主要な会館が救援基地あるいは避難所として多くの人の命を守り、医師や看護師のグループが避難所での治療やケアに当たりました。こうした活躍ぶりは海外でも報道されたほどです。
東日本大震災では、広範な地域が通信手段さえ断たれました。しかし、創価学会では岩手・宮城・福島・茨城など各県の中心会館でも、さらには沿岸部の地元組織でも、独自の判断ですぐに救援活動に動いています。被災者である会員自身が自発的に救援活動にあたっているのです。また、北海道や青森、秋田、山形、新潟などの近隣各県でも、即座に救援物資を集積させ、運搬手段や人員を確保して動きました。
なぜこうしたことができたのか。会員たちは、日ごろの学会活動の賜物だったことと、なにより「池田先生ならどうするだろうか」と考えて自然に体が動いたと証言しています。「人を励ます」ということが身に付いていて、いざという時に誰に指示されるでもなく行動していたというのです。
学会員にはあらゆる職種のプロたちがいます。ある人がユーモアを交えて、いざというときに全国規模でほぼ自己完結型で機能する組織は、自衛隊と創価学会くらいじゃないかと言っていましたが、あながち誇張でもない気がします。しかも創価学会は、全国津々浦々に〝顔と顔の見える〟ネットワークがあります。
創価班や牙城会、白蓮グループなどは、日ごろから数百人、数千人単位の行事や会館の運営にあたっています。そういう訓練を受けた普通の市井の人々が、OBやOGも含めれば全国津々浦々に何十万人といる。これは日本社会にとって、かけがえのない財産です。
学会員の方々はあまり意識していないかもしれませんが、創価学会の組織は社会における「人間の安全保障」にとっても大きな役割を果たしているのです。
――言われてみれば本当にそうですね。
青山 また、地域社会でも学会員の活躍は顕著です。全国各地で100人以上の学会員に直接取材を重ねた東京大学大学院の開沼博准教授も、『聖教新聞』(2023年12月16日)で、
〈驚いたのは多くの学会員が、地域の担い手になっているということです。町内会をはじめ地域で人手不足が顕著な中、いわば〝割に合わない〟労苦を買って出て、地域を支えている陰に、これほど多くの学会員がいるとは予想していませんでした。地域を良くしていく責任を、信仰の目的の根本に置いているのが分かりました〉
と述べていました。
学会員はどこに転居しても、きちんと統監によって掌握してもらえます。見知らぬ土地に行っても必ず同志とつながっていける。孤独になるということがない。高齢世帯や単身世帯が増加し、孤立化が大きな問題になっている今の社会で、こんなセーフティネットは他にないと思います。
全国規模の宗教団体でも、じつは地域に根を張った「ヨコ線」型の組織が整備されているのは創価学会くらいなのです。ほとんどの教団は、布教した側とされた側の個別の人間関係を中心とした「タテ線」型です。「ヨコ線」を一部取り入れている教団もありますが、学会のように100%にはなっていません。
仏教系の大学である大正大学の宗教学部が、東日本大震災の直後から、福島県浜通りにおいて各宗教団体がどのような活動をしたか、数年にわたるフィールド調査をしました。創価学会を調査した寺田喜朗教授は、全国各地への避難を余儀なくされた原発避難者の会員の掌握と激励に、学会の統監システムが非常に功を奏したと述べておられます。
そして、「心の財だけは絶対に壊されません。いかなる苦難も、永遠に幸福になるための試練であります」「断じて負けるな! 勇気を持て! 希望を持て!」という池田先生のメッセージを、会員たちがあらゆる方法を工夫して1人ひとりの学会員に届け、励ましに徹していったこと。原発事故で運送業者らが輸送を忌避するなかでも学会員たちが救援物資を運んで行ったこと。地道な家庭訪問などの励ましが、被災した住民たちにとってどれほど有効であったかに言及しています。
ゼミの学生らとともに、地域の座談会などにも丹念に足を運んだ寺田教授は、論文集『東日本大震災後の宗教とコミュニティ』のなかで、
〈創価学会の支援活動のもっとも大きな特質は、経済的・物質的な支援以上に、被災者へ積極的に生きる意味を提供し続けている点にあると考えている〉
〈「蔵の財より心の財」「心の財だけは絶対に壊れない」「負けるな、勇気を持て、希望を持て」「あきらめない限り、希望はある」「宿命を使命に」「一番苦しんだ人ほど、一番、偉大な使命が」「乗り越えた人が皆を救える」等、不条理な現実を受け止め、苦難・困難を試練と捉え直し、「人生に勝利する」ことを鼓舞するコミュニティとして創価学会は機能している〉
と綴っていました。
――創価学会は具体的な救援活動としても大きな役割を果たしたと同時に、苦境に立たされた人々に対し、その困難の意味を変え、人生に勝ちゆく励ましのコミュニティとして機能してきたわけですね。
青山 寺田教授は『第三文明』(2022年11月号)でも、次のように語っています。
〈創価学会の皆さんは、東日本大震災において、悲嘆に暮れ限界状態に陥った被災者に「生きる意味」を示し、再び歩み出せるよう寄り添い続けました。(中略)特に、池田大作名誉会長の「心の財だけは絶対に壊されない」とのメッセージを届けようと奮闘する姿は、「信仰は人間をどのように強くするのか」を考えるよい機会となりました〉
日本では、宗教は弱い人がすがるものというような偏見があります。しかし、本物の信仰というものは、人間を強くする。創価学会がこれほど発展したのは、学会が人々をより強く、より善く、より賢明にしゆく宗教だったからだと思います。
――今回の能登半島地震に際しても、聖教新聞電子版には、東日本大震災の折の池田名誉会長のメッセージが再録されていました。被災された人々にとって、大きな勇気と希望となったのではないでしょうか。
青山 東日本大震災の折、私自身も被災地を訪ね、何十人もの学会員に聞き取りをしました。どの人も異口同音に「心の財だけは絶対に壊されません」という池田先生の言葉で、絶対に再起してみせようと決意したと述べておられました。
私は、創価学会がこれほどわずかな年月で世界宗教となった大きな要因に、池田先生が「世界桂冠詩人」であったことがあると思っています。
もちろん大前提として、発展した根本は信仰に力があったからです。そして学会には無敵の「教学」があった。しかし、その御本尊への確信、実践の教学を身に付ける大切さを、幾百千万の会員に伝え、自覚させたのは三代の会長です。
思えば、初代会長の牧口先生は地理学者であり教育者でした。学者らしい「実験証明」という視点で宗教の正邪を論じ、現実の人生と社会を重視する日蓮仏法の特質を「価値創造」というかたちで明らかにされました。
二代の戸田先生は教育者であると同時に出版人でした。戦後の創価学会がいち早く『日蓮大聖人御書全集』を刊行し、あるいは学会が聖教新聞や大白蓮華といった機関紙誌を発刊して、民衆を宗教の主人公に変えていけたのは、出版人としての戸田先生の慧眼だったと思います。
そして、三代の池田先生は戸田先生のもとで薫陶を受けた編集者であり、創価一貫教育を作り上げた教育者であり、しかも「世界桂冠詩人」だったわけです。
詩人の言葉というのは、国境や民族を越え、信仰の有無さえ越えて、あらゆる人の胸に届いていきます。日本にいるとピンとこないかもしれませんが、世界の多くの国では、詩人は芸術の頂点として仰ぎ見られています。詩を書き、詩を朗じることができるのが、一級の文化人の証なのです。重要な式典でも最後に詩を朗読することが多々あります。
――そういえばバイデン大統領の就任式典でも、22歳の詩人アマンダ・ゴーマンさんが詩を朗読しました。パーキンソン病を患っていた元プロボクサーのモハメッド・アリ氏がハーバード大学で講演した際、学生から「即興の詩を」とリクエストされて「Me,We」と披露したエピソードもありましたね。
青山 池田先生の〝詩の力〟〝言葉の力〟があったからこそ、先生の時代に創価学会は国内外の民衆のあいだで大発展したのだと思います。世界の詩人たちがどれほど先生を高く評価してきたか。そのことがいかに大きな意味を持つのか、日本社会は知らなすぎると思います。
インドの詩人であるセトゥ・クマナン氏は創価学会員ではありませんが、池田先生の詩を読んで先生を「師匠」と決め、私財をなげうって、先生の名を冠したインド創価女子大学をインド・チェンナイの地に2000年に開学しています。
クマナン氏は、著名な詩人であったアブドル・カラム大統領(当時)を官邸に訪ね、先生の「母」の詩を紹介したそうです。カラム大統領は「これこそが詩のあるべき姿だ」と、「母」を3度、詠唱し、「人々に幸福をもたらす、本当の詩人がここにいる」と語ったのです。
アラブ首長国連邦の高名な詩人であり著名なコーラン研究者でもあるシハブ・ガネム博士も、池田先生の詩に心から敬意を寄せる一人です。私も以前、博士にお目にかかったことがありますが、博士の先生への敬意の深さに驚きました。コーランを知り尽くしている詩人だからこそ、池田先生の詩に対しても、われわれとは見えているものが違うのだと感じました。
博士の尽力のもと、アラブ首長国連邦では2012年から毎年、湾岸SGI主催の「詩人の集い」が開催されています。
――「詩」を通したときに、池田先生の思想、創価の理念というものは、宗教の差異すら軽々と越えていけるのですね。
偏狭な宗派主義に陥ってはならない
青山 他国の文化の価値さえ認めようとしない日蓮正宗の独善から訣別して30年余り。池田先生のリーダーシップによって創価学会は世界宗教へと発展を遂げてきました。それは単に多くの国に会員が広がったという意味だけではありません。
世界宗教とは、なによりもナショナリズムを超克した宗教です。各国の創価学会員は、「その国の善き市民たれ」という先生の指導のもと、いずれの地にあっても社会に貢献しています。同時に「世界市民」の自覚に立って、人類全体の幸福を願っていける。
核兵器禁止条約の制定に向けた世論喚起への功績で2017年にノーベル平和賞を受賞したICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)は、設立当初からSGI(創価学会インタナショナル)を国際パートナーとしてきました。設立メンバーの一人であったティルマン・ラフ氏は聖教新聞(2017年12月16日)のインタビューで、
〈ICANを立ち上げた時、SGIと協力したいと考えたのは自然なことでした。多様な人々によるグローバルな連帯と貢献――ICANが目指していたものを、SGIは体現していたからです。〉
と語っています。
国連やその関係機関が創価学会に大きな信頼を寄せてきたのも、学会が人類益の視点で行動する世界市民の連帯だからでしょう。
世界宗教としてのもう一つの要素は、異なる文化や宗教を互いに尊敬し合い、人類のために協力できる懐の深さだと思います。
2008年にスペイン語版の『御書全集』が発刊された際、池田先生は「序文」を寄せ、次のように記されています。
〈それぞれの異なった教義の中には、人間の幸福を実現するための何らかの洞察と真実が含まれている。現代の宗教間の対話において、それぞれの違いは違いとして認め合いつつ、各宗教の洞察と真実を学びあっていけば、人間の幸福のための宗教として、互いに錬磨していくことができるに違いない。〉
こうした池田先生の指導のもと、学会はFOB(信仰基盤団体)として世界のさまざまな宗教宗派や信徒団体と協調し、人道や人権、教育、環境など、人類益のための諸活動を展開してきました。そうしたあり方が他宗教からも信頼され、核兵器禁止条約が採択された直後の2017年11月には、ローマ教皇庁がバチカンで開催した「核兵器のない世界と統合的軍縮への展望」国際会議で、SGIは協力団体を務めています。
――宗教の教義や実践の独自性を大切にするということと、異なる宗教とも敬意をもって協力し合うということは、まったく次元の違う話であり、しかも両立できる話ですね。
青山 両立させていくことが大事だと思います。一般論として、どんな宗教も、ともすれば「原理主義」「教条主義」に傾く誘惑があります。そうした態度は往々にして、なにか筋が通っていて純粋で立派そうに見えるからです。なにより「権威主義」と親和性が高い。頑なに原理原則を振りかざして強硬論を唱える声には、心酔する人も一定数出てくるでしょう。
権威的な宗教は概して、世間や一般信徒があまり知らない難解そうな用語、時代がかった言い回しを好んで多用し、いかにも特別な権威や〝秘儀〟があるかのように演出するものです。
かつて日蓮正宗が一緒だった時代は、宗門がそうした負の側面を抱えていました。先生は一貫して、そのような「権威主義」「教条主義」に騙されないように学会員を守ってくださった。宗門の魔性と戦うことで、学会員は「人間のための宗教」へと、大きく精神性を成熟させてきたと思います。
その宗門と訣別して30年余。ひと世代を経て、今の創価学会にはかつての宗門のような権威主義的な邪悪な存在がありません。だからこそ注意しなければならないのは、そうした「権威主義」「教条主義」が、油断すれば今度は自分たちのなかに、いつ忍び込んできてもおかしくないということです。
社会に開いていくということは、もちろん社会に媚びたり迎合したりすることとは意味が違います。しかし一方で、一般社会から見て奇異に感じるような独善的・閉鎖的な価値観では、信頼を失うでしょう。
また、世界宗教として発展していくうえで、他国から見て共感を得られないような古い〝日本式〟を引きずっていないか、常に顧みることも大事だと思います。宗教の本義と、特定の社会や時代の慣習とは切り離して考えないといけないからです。
池田先生と会見した世界の識者たちが口々に語っているのは、先生にはそうした偏頗(へんぱ)なものが微塵もないということです。むしろ逆に、相手のこと、相手の持つ文化や宗教のことを、敬意をもって謙虚に学ぼうとされてきた。先生は、
〈人間は、対話の中でこそ、真の人間に成長する。対話とは、相手から学ぶことである。そこには相手への尊敬がある。だから語り合う言葉が生まれる。相手から学べば、自分も豊かになる。だから豊かな対話には喜びがある。幸福がある。平和がある〉
〈末法においては、法華経の真髄である「南無妙法蓮華経」のすばらしさを語り、広げていく行動は、全部、「折伏」です〉
〈折伏とは「真実」を語ることです。勇気をもって言い切っていくことです。「正義」の旗を高く掲げることです。だれもが大切にすべき普遍的な価値・正義を確立し、実現していくための戦いです。ゆえに、偏狭な宗派主義などでは決してない。また、そうなってはならない〉(『池田大作先生の指導選集[中]』)
と明言されています。
――折伏とは本来、単に相手を〝論破〟したりすることではなく、敬意をもって向き合い、相手から学び、そのうえで勇敢に真実を語っていくことなんですね。
青山 日蓮大聖人は御書の随所で、あえて人に正法を語っていく折伏行を「不軽菩薩の実践」だとおっしゃっています。相手を軽んじず尊敬する礼拝行なのです。『立正安国論』も、大前提として相手への敬意と信頼に貫かれています。
昨秋に発刊された『創価学会教学要綱』の最後の節は「創価学会の折伏思想」です。そこでは大聖人が「四箇の格言」(「念仏無間」「禅天魔」「真言亡国」「律国賊」)の諸宗批判をされた時代背景に言及しつつ、
〈創価学会も草創期にあって、大聖人の諸宗批判の精神を継承して、弘教の場などで四箇の格言を用いてきた。それは、四箇の格言に取り上げられた諸宗に対する標語が、現実逃避(念仏)、主観主義(禅)、神秘主義(真言)、形式主義(律)など、人間の陥りやすい誤った傾向を象徴的に指摘したものとして、一定の説得力を持つと考えたからであった。
この点について、池田先生は、「四箇の格言を、大聖人が唱えられたものだからと言って、人々の心を無視し、時代の変化を無視して、ただ繰り返して唱えても、かえって大聖人の御心に背くことになりかねない。それではドグマ(教条)になってしまう。宗教の魔性は、そういうところに現れてくるからです。大事なのは人間であり、心です。四箇の格言は、民衆を惑わす魔性とは断固として戦うという、大聖人の確固たる信念の現れです」と指摘している。〉
とあります。
ノーベル平和賞を受賞したアルゼンチンの人権の闘士アドルフォ・ペレス=エスキベル博士は、アルゼンチンSGIの青年にこう語ったそうです。
〈皆さん方、それぞれの活動範囲で、池田先生が教えてくださる精神性と英知の価値観と信念を実践していかなければなりません。そうすれば、自身が直面する現実と社会をも変えることができます。そのためには、「行動」が欠かせません〉(対談集『人権の世紀へのメッセージ』)
社会に自在に開いていく時代だからこそ、師弟の精神を根本とし、師匠である池田先生の精神性と英知をきちんと理解し、継承していく必要があるのです。
――宗教や文化を越えて、世界のリーダーたちがなぜ池田先生を敬愛するのか、一端が感じられたような気がします。「世界青年学会」が開幕した今、青年世代の新しい知恵に学び、また全員が青年の清新な生命で、池田先生の開かれた精神、開かれた対話に続いていきたいと思います。
特集 世界はなぜ「池田大作」を評価するのか:
第1回 逝去と創価学会の今後
第2回 世界宗教の要件を整える
第3回 民主主義に果たした役割
第4回 「言葉の力」と開かれた精神
第5回 ヨーロッパ社会からの信頼
第6回 核廃絶へ世界世論の形成
第7回 「創価一貫教育」の実現
第8回 世界市民を育む美術館
「池田大作」を知るための書籍・20タイトル:
20タイトル(上) まずは会長自身の著作から
20タイトル(下) 対談集・評伝・そのほか
三代会長が開いた世界宗教への道(全5回):
第1回 日蓮仏法の精神を受け継ぐ
第2回 嵐のなかで世界への対話を開始
第3回 第1次宗門事件の謀略
第4回 法主が主導した第2次宗門事件
第5回 世界宗教へと飛翔する創価学会
「フランスのセクト対策とは」:
フランスのセクト対策とは(上)――創価学会をめぐる「報告書」
フランスのセクト対策とは(中)――首相通達で廃止されたリスト
フランスのセクト対策とは(下)――ヨーロッパでの創価学会の評価
関連記事:
仏『ル・モンド』の月刊誌がフランスの創価学会のルポを掲載――その意義と背景
公明党と「政教分離」――〝憲法違反〟と考えている人へ
「政治と宗教」危うい言説――立憲主義とは何か
「政教分離」の正しい理解なくしては、人権社会の成熟もない(弁護士 竹内重年)
今こそ問われる 政教分離の本来のあり方(京都大学名誉教授 大石眞)
宗教への偏狭な制約は、憲法の趣旨に合致せず(政治評論家 森田実)
旧統一教会問題を考える(上)――ミスリードしてはならない
旧統一教会問題を考える(下)――党利党略に利用する人々