いちばん最初に読んだ漫画は、むかし暮らしていた長屋の、ご近所さんの二階にあった漫画雑誌だったとおもう。まだ小学校にあがるまえだが、なぜか、短篇漫画のストーリーをいくつか憶えている。
僕は、けして物覚えのいいほうではないので、よほど深い印象があったのだろう。けれど、内容は教訓的な説話風のもので、強い衝撃を受けたわけではないから、どうして覚えているのかわからない。
やわらかい明かりの電灯の下、大人たちが難しい話をしていて、子供の僕は階段の上り口に近い薄暗い隅のほうで、その家の主が貸してくれた漫画雑誌をひっそり読んでいた。それがその家へ行く愉しみだった。
自分で漫画を買うようになったのは、小学生になってからだ。当時、『少年マガジン』『少年ジャンプ』『少年サンデー』『少年キング』『少年チャンピオン』と、週刊の漫画雑誌があって、月刊では、『ぼくら』『冒険王』があった。僕は、すべてを買って読んでいた。
高学年になって、『ガロ』を知った。この雑誌は僕の御用達の本屋には、置いてあったり、なかったりして、なかなか手に入れるのが難しかった。内容は、それまで僕が読んでいた少年誌と違って、かなり大人な世界が描かれていた。だから、恐る恐る手を伸ばし、ページを開いた。
つげ義春、白戸三平といった『ガロ』系の漫画家の作品を読んだ覚えがある。どれもマガジンやジャンプの作品と違って、絵柄が暗く、ストーリーも難しかった。「友情、努力、勝利」のジャンプのコンセプトとは、対極にあったような気がする。
やがて僕の関心は文学に移って、だんだん漫画から遠のくのだが、現在までつかず離れずの関係は続いている。評判になっているおもしろそうな漫画は読む。そのひとつが、panpanya(パンパンヤ)の作品だ。
いま手元にある『枕魚』(マクラウオ)の帯には、「どこかで見た/どこにもない風景。」というコピーがついている。町の風景は、リアルで細密に描きこんでいる。どこか、つげ義春や宮谷一彦の絵に似ている。それで僕は親近感を持ったのだ。
ところが、彼らの漫画と決定的に違うのは、主人公の絵だ。ゆるキャラ風なのだ。もちろん人間なのだが、一筆書きのような簡素な主人公が薄い線で描かれている。主人公は、若い娘らしい。中性的な描き方がしてあるのは、わざとだろう。
リアルで細密に描かれた堅牢な風景のなかに、男とも女ともつかない、ゆるキャラ風の主人公が迷いこみ、さまよっている。それがpanpanyaの作品の標準的なすがただ。これは『少年ジャンプ』と『ガロ』系を融合したような漫画だ。
タイトルになっている『枕魚』を見てみよう。
朝、起きた主人公が、「最近朝、肩が痛くて……」というと、テーブルについている犬(らしき生き物)が、「枕があってないんじゃないですか?」という。そこでふたりは布団屋へおもむく。あれこれ選んでいて紹介されたのは、オーダーメイドの枕である。
絵はいきなり新幹線に変わり、着いたところは鹿児島県枕崎市。「枕魚」の看板が掲げられている店へ入ると、大きな水槽があって、枕魚が泳いでいる。不思議な店主が現われて、その魚は、「本物のマクラウオで、売り物のマクラウオは布製だ」と述べ、枕の歴史を語り始める。
それによれば、むかし枕といえば、海で獲れるマクラウオが使われていた。寝心地のよさから贅沢品とされて、貴族や大名が好んだが、生の魚なので一晩で腐る。だから、布製の枕ができたのだという(ほんまかいな)。
主人公は、店主の好意で生のマクラウオを試すが、極めて寝心地がいい。布製のものでもオーダーメイドだと10万円はする。高額で手が出ないとおもったら、既製品なら6000円で買える。それでも主人公には安くないが、思い切って買った。
帰り道、観光をしようと海へ出ると、マクラウオが打ちあげられていた。主人公と犬(らしき生き物)は、それを拾って家へ帰り、一晩だけ本物のマクラウオで寝てみた。
そんな漫画なのだが、ストーリーで説明すると、なんだそりゃ、となるだろう。しかし、漫画で読むと、おもしろいのだ。これは漫画でしか体験できないおもしろさだ。
憶えておいて損はありません。Panpanya。ぜひ。
お勧めの本:
『枕魚』(panpanya著/白泉社)