危うく微妙で不思議な男女の人間関係を描く
大道珠貴(だいどう・たまき)著/第128回芥川賞受賞作(2002年下半期)
しょぼい初老の男と冴えない30代女性の不思議な関係
「小説」というくらいだから必ずしも大そうな話である必要はない。ただ少なくとも心揺さぶられる感覚や多少のカタルシスはほしいと思うのだが、ところが芥川賞にはそうしたものは必ずしも必要なく、むしろ書き手の上手さのほうが重要なのだろう。
第128回芥川賞の受賞作は、大道珠貴の『しょっぱいドライブ』だった。『文學界』に掲載された91枚の作品。
肉体的にも人格的にも頼りなく魅力もない、ただお金だけは持っているしょぼい六十代の九十九(つくも)さんと、地方劇団のスターに憧れながらもまともに相手をされない、これまた冴えない三十代の「わたし」の微妙な関係を実に丹念に描いている。
九十九さんは、妻を同じ町の漁師に寝取られても怒るでもなく淡々と生活し、「わたし」を含め「わたし」の家族の無心にも笑顔で応え返済の要求もしない。そこにはまるで自我や意思というものが感じられない。この九十九さんとの同居を検討している「わたし」が、そこに求めているのは愛情や性などではなく、起きて飯を食って寝るという生活の確保なのだろうが、そうした生き方を選ぶことへの踏ん切りもつかない中途半端な時間の中で「わたし」は漂っている。一方、九十九さんは、過保護なほどに「わたし」を支えようとしているが、愛情があるのかないのか、性がほしいのかほしくないのか、靄がかかったように不明瞭で、それが逆に一種の不気味さを醸し出している。
見事なのは最後のシーンだ。ついに二人で暮らし始めた新居に役場の人間がスズメバチ駆除のためにやってくるのだが、惰眠をむさぼる「わたし」が二人の生活を覗かれないように、あるいは干渉されないように、ふすまの隙間から外でのやり取りを覗き見る描写は、鮮やかだった。世間から隔絶したその空間と時間は、ひっそりと二人だけで破滅へと向かうことさえ受け容れたような諦観と寂しさが漂っている。
選考委員の髙樹のぶ子はこう評する。
候補六作中、人間と人間関係を描ききったのはこの一作だけと言ってもいい。主人公と九十九さんという年配の男との関わりに、さみしいユーモアが漂うあたり、並々ならぬ力を感じる。(中略)決して大きい作品ではないが、厚みのある秀作になっている
三浦哲郎は、
これまでで最も小説的な作品になっている。短い言葉のやり取りの、間がはっきりと読み取れて面白い。全体にたくまざるユーモアが染み渡っていて、それがあちこちの行間からちいさなにが笑いや哀しみとなってしたたっている
と評価。
黒井千次も、
いかにも小説を読んだ、との印象を強く与えられた
と評価し、河野多惠子も、
私はこの人が作品には、珍しく小説としての表情のあることに関心を持っていた
と述べている。
なるほど、適切な言葉を見つけられないような、危うくて微妙で不思議な二人の人間関係を、その場の臭いまで伝わるような表現で描き切っていることからは、並の表現者ではないことはよく分かる。
「これだけは伝えたい」というものが分からない
ただ一方で、そういう人間関係が描けたとして、それが胸を打つかというとそうでもない。
宮本輝はこう述べる。
いかにもこなれて、いつ寸断されるやもしれぬタイトロープの揺れの上にいる男女を、危うい均衡の筆さばきと独特のアイロニーで描いている。だが、この作者の持ち味は、いまのところそれだけでしかない
石原慎太郎は、「少なくとも私は何の感動も衝撃も感じなかった」と酷評し、村上龍も「(受賞作は)わたしの元気を奪った。それは『しょっぱいドライブ』のテーマやストーリーが原因ではない。小説として単につまらないからだ」と手厳しい。
何日もかけ何万字も費やして描こうとするものなのだから、そこには作者が「これだけは伝いたい」という譲れぬ熱量のあるものがありそうなのだが、そうしたものがどうも分からないのだ。
池澤夏樹は、
この賞はいよいよ内向的になっている。次回は誰にせよこの傾向を打破してほしいと思う
と言い、石原慎太郎は、
文学のダイナミズムの要因確保のために新人に期待するこの文学賞の受賞作も、段々小振りになってきたという観を否めない
と言う。
そもそも小説に何を求めるかという点で、評価が大きく分かれた作品なのだろう。
「芥川賞を読む」:
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