連載エッセー「本の楽園」 第169回 グレープフルーツ・ジュース

作家
村上政彦

 世界でいちばん有名な反戦歌はなんだろう、と考えることがあって、ジョン・レノンの『イマジン』かな、とおもった(統計をとったわけではないので、あくまでも印象です)。
「想像してごらん」と始まる歌詞。

国なんてない。
難しいことじゃない。
人を殺す理由も、
死ぬ理由も、
ない。
そして、
宗教もない。
想像してごらん。
すべての人が、
平和に暮らしてるって。

 人が想像できることは、たいてい現実になる。僕らは、まず、想像する。そして、それを現実にするために、いろいろと工夫し、努力する。やがて想像は現実になる。人間の歴史は、そういうことをくりかえしてつくられてきた。
 平和を実現するには、争いのもとになるものがなくなればいい。それは国家だったり、宗教だったりする。僕はどちらもなくなると、人が生きてゆけなくなる、とおもう。国家は作り替えられるべきだ。誰かのいったように「再発明」が必要だ。しかし完全に消滅すると、人の家が失われる。
 宗教はどうか。こちらも、すべての宗教は、人間のための宗教に作り替えられるべきだ。宗教の権威に人間が隷従させられるのはまちがっている。けれど、ときとして、人間を抑圧する宗教があらわれることは歴史を見ればわかる。
 だから、ジョン・レノンは争いのもとになる国家や宗教がなくなることを、想像してみようと呼びかけた。これは名曲だとおもう。
 さて、この名曲が、ジョンのパートナーであるオノ・ヨーコの詩集『グレープフルーツ・ジュース』にインスピレーションを得ていることは、どれだけの人が知っているだろうか。実は僕も、その彼女の本を読むまで知らなかった。
 おそらく、ビートルズのファンなら誰もが知っているのだろう。僕はファンではないので、知らなくても恥ではない。
 詩集『グレープフルーツ・ジュース』は、1964年に500部の限定版として東京で刊行された。1970年には加筆された英語版が世界で出版された。僕が手にしたものは英語版から50ほどのエッセンスを選び、さまざまなカメラマンの撮った写真がそえられている。

想像しなさい。
千の太陽が
いっぺんに空にあるところを。
一時間かがやかせなさい。
それから少しずつ太陽たちを
空へ溶けこませなさい。
ツナ・サンドウィッチをひとつ作り
食べなさい。

『グレープフルーツ・ジュース』英語版

 この詩にそえられているのは、何人かの人が渚で遊んでいる風景。海は太陽の光を反射して輝いている。
 オノ・ヨーコは序文で、第2次大戦中の食料が不足していた時代に、空腹をかかえた弟と架空のご馳走メニューをこしらえてしのいだと書いている。その想像の遊びが、『グレープフルーツ・ジュース』という詩集の種になっているのだろう。
 いまの人々は、空腹こそかかえていないけれど、「何かに飢えているような気持ちで暮らしているのではないでしょうか」とオノ・ヨーコは言う。
 そういう人々のために、この詩集は書かれた。

地下水の流れる音を聴きなさい

心臓のビートを聴きなさい

地球が回る音を聴きなさい

 万物に耳目を凝らし、想像できるかぎりの世界をつくりあげる――これは人間が新しい世界を創造するときの、最初のステップではないか。この本の最終章は、こうだ。

この本を燃やしなさい。
読み終えたら。

 新しい世界を創造するための準備がととのったら、あとは行動するばかりだ、というメッセージが伝わってくる。
 久し振りに刺激的な本を手にとることができた。

おすすめの本:
『グレープフルーツ・ジュース』(オノ・ヨーコ著、南風椎訳/講談社文庫)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「量子のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に、『台湾聖母』(コールサック社)、『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。