音楽界の歴史に残る「女王」
本年(2023年)5月24日、スイスのチューリッヒで1人のアーティストが静かに83年の生涯を閉じた。「ロックンロールの女王」「ソウルの女王」と呼ばれてきたティナ・ターナーである。
SNS上では、世界各国の名だたるミュージシャンや俳優、さらに米国のオバマ元大統領など著名人が相次いで彼女の偉大さを称え、深い哀悼の意を表明した。
本書は、彼女が前年の2022年に出版した文字どおりの遺作。80年余の生涯を振り返る自伝でもあり、書名のとおり世界に向けて贈られた〝幸福論〟でもある。邦訳は22年10月に刊行された。
原著は発売と同時にベストセラーとなり、日本語版元のサイトによると、現時点で世界57カ国でも刊行され、その総発行部数は300万部を超えている。
世界にその名を知られた歌手。彼女は1950年代から音楽活動をはじめ、ティナ・ターナーという名でステージに立ったのは1960年のことだった。
以来、半世紀にわたって活躍し、全世界でのアルバム・シングルの売り上げ総数は2億枚を超す。グラミー賞を8度受賞。2008年から09年のデビュー50周年記念ツアーは、最も高額なチケットとして知られている。
ミュージカルや映画にも出演し、とくに1985年にメル・ギブソンとともに主演を務めた超大作映画「マッドマックス/サンダードーム」は話題となった。
さらに1993年には自伝『I, Tina』をもとにした映画「What’s Love Got to Do with It」(邦題は「TINA ティナ」)が制作され、ティナ役で主演したアンジェラ・バセットはアフリカ系アメリカ人女優として初めてゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞した。
苦しみの連続だった最初の結婚生活
ティナ・ターナーは、こうした華やかなキャリアに包まれた世界的な大スターである一方、プライベートでは過酷な人生を生きてきた。本書の「はじめに」で彼女は、
わたしは自らを、かぎりない難を乗り越えた人生の「サバイバー」(逆境を生き抜いた生存者)だと思っています。
と記している。
世界恐慌が終わり第二次世界大戦が勃発しようとしていた1939年に、彼女はテネシー州の綿花農場の労働者の子として出生した。生まれたのは「有色人種」の女性が出産用にあてがわれていた郡立病院の窓のない地下室だった。本名はアンナ・メイ・ブロック。
父母は仲が悪く、さらに母親にとっても彼女は「望まれずに生まれてきた子ども」だった。3歳の時にティナと姉は祖父母のもとに預けられ、10代になってまもなく父母は相次いで家を出ていった。
音楽との出あいは教会の聖歌隊とラジオだった。祖母が亡くなり、母親に呼ばれて大都会セントルイスへ。17歳の時、ナイトクラブ「クラブ・マンハッタン」で、最初の夫となるミュージシャン兼バンド・リーダーだったアイク・ターナーと知り合う。
アイクは彼女の名をティナ・ターナーに変え、「アイク&ティナ・ターナー・レビュー」の一員に加えた。
いくつかの曲で成功を収めたものの、この結婚生活は苦しみの連続だった。アイクは薬物に手を出し、ティナは何年にもわたってアイクから激しい家庭内暴力を受け続けたのだ。唇はつぶれ、脱臼や骨折をし、目には痣が残った。
ついに耐え切れなくなった彼女は、睡眠薬自殺を図ったが、搬送された病院で一命をとりとめる。
世間からは華やかな世界で成功しているように見えながら、夫の暴力によって精神は虚脱状態だった。食料品の買い物とレコーディングスタジオに行くこと以外は、外出も許されない日々が続いていた。
「君は人生でいったい何がしたいの?」
転機が訪れたのは1973年。数カ月のうちに偶然にも3人の人間から日蓮仏法が教える「南無妙法蓮華経」の話を聞かされたのだ。最初は気にも留めていなかったが、3度も自分の前に現れた東洋の宗教に、何か運命的なものを感じた。
そこでティナは、まず唱題(南無妙法蓮華経を唱えること)を実践してみようと決めた。同時にSGI(創価学会インタナショナル)会長である池田大作氏の著作を読んでみることにした。そこで語られていた仏法の緻密な生命観、とりわけ十界論には深く納得するものがあったという。
最初は数遍、そして5分、10分と実践していた唱題は、自然と30分、1時間と増えていった。唱題をすればするほど、自分のなかで何かが変わっていった。自分が変わるにつれ、アイクにも振り回されなくなった。76年、ついに勇気を出してアイクと離婚する手続きに踏み切った。
アイクと別れたことで経済苦に陥ったティナを励まし続けたのは、同じSGIの仲間であるジャズ界のスーパースター、ハービー・ハンコック夫妻とウェイン・ショーター夫妻だった。
住むところもなく、ウェインの自宅にしばらく居候していた時期のこと。ツアーからウェインが帰宅すると、ティナはキッチンの床をゴシゴシと掃除していた。せめて何か役に立ちたいという気持ちからだったが、ウェインはティナに尋ねた。
「ティナ、君は人生でいったい何がしたいの?」「心から望むものを何でも手に入れられるとしたら、何が欲しい? 自分のため、愛する人のため、社会のため、世界のために……」
そう問われて、彼女は自分が答えられないことに気づいた。
それから、ウェインの勧めに従って、自分の夢を一つ一つ書き出してみた。南無妙法蓮華経の実践の上では、明確な目標を持つことがなにより重要だとティナは語っている。
人生にはさまざまな行き詰まりや困難がある。自分がどこに向かって進もうとしているのかを明らかにしておくことは、その困難を乗り越えるために不可欠なのだ。
苦悩がそのまま価値に変わっていく
実際、その後もティナの人生にはさまざまな試練があった。アイクからの嫌がらせや脅迫もあったし、離婚の成立までは2年間の法廷闘争を要した。アイクと別れたことで契約不履行になったレコード会社からは訴訟され莫大な借金も背負った。
だが80年代、ティナは世界が目を見張る奇跡の復活を遂げ、以後は音楽シーンに数々の歴史を刻んでいく。
脳卒中や腎臓移植、ガンなど数々の病魔にも襲われた。2018年には長男のグレイグが鬱による自死で世を去った。こうした幾多の試練を彼女は泰然と乗り越えてきた。
80歳を迎えて、ティナは本書の出版を決意する。自分の人生の歩みを、なかんずく彼女を変えた仏法の実践について、ありのまま、できるだけわかりやすく書き綴っておこうと決めたのだ。出版を支えたのは、友人のレグラ・キュルティとタロー・ゴールドである。
じつは、ティナは自身の哲学について的確に表現することのできる共著者が現れるのを待っていた。レグラはタローの著作を通して彼がティナと同じ信仰を持っていることを知り、ティナに本書の出版を提案したという。
ティナの文字どおりのラスト・メッセージとなった本書は、紙幅の大部分を彼女の実践する大乗仏教の極理の説明に費やしている。一方で、それが独善的な価値観の一方的押し付けにならないよう配慮している様子が行間にうかがえる。
とくにティナが読者に伝えようとしているのは、その大乗の極理が教える「変毒為薬」の法門だ。これは現代的に「宿命転換」と言い換えてもいい。
大乗仏教の極理である日蓮仏法の唱題行の実践は、まるで名医が「毒」を巧みに「薬」として使いこなすように、人生のあらゆる苦悩や試練を、そのまま価値へと転換していく。それは外なる絶対者の意思や祝福によってではなく、自分自身の内面が質的に変わっていくことでもたらされる。
苦悩が多ければ多いほど、それはそのまま多大な価値へと転換され、自身と他者の人生を輝かせていく。一番苦労した人が、一番幸せになれる。
わたしの言葉に心を開いてくれて、ありがとう。
歓喜へと至るあなたの人生の旅に幸あれと願います。わたしの最後の思い、心からの願いと祈りを、あなたに贈ります。(本書)
本書が日本を含む世界各国で刊行されるのを見届けるかのように、今生の幕を閉じた「ロックンロールの女王」。偉大なエンターテナーとしてはもちろん、幾多の困難を勝ち越えた「変毒為薬」の女王として、彼女の名は長く語り継がれていくことだろう。
『ハピネス 幸せこそ、あなたらしい
――ポジティブな人生を歩むための言葉』
ティナ・ターナー著、栗原淑江訳
価格 2,200円(税込)/論創社/2022年10月4日発売
⇒Amazon
⇒紙版・電子版(論創社 公式サイト)
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