この数年、「ケア」という言葉をよく見かけるようになった。文学、アート、音楽、さまざまなシーンで、ケアにかかわる作品の制作や、ケアを軸に作品を論じる批評を見聞きした。ケアとはなにか? 哲学者の鷲田清一は、すでにずいぶんとまえから、この問いを発してきた。
『〈弱さ〉のちから ホスピタブルな光景』は2001年に出版されている。
ケアについて考えれば考えるほど、不思議におもうことがある。なにもしてくれなくていい、とにかくだれかが傍らに、あるいは辺りにいるだけで、こまごまと懸命に、適切に、「世話」をしてもらうよりも深いケアを享けたと感じるときがあるのはどうしてなのか
そういう経験は、僕にもある。それは実存そのものの息吹や体温と関係しているとおもう。もう、だめだ、この先、生きてゆけない、と脱力し、坐りこんでいるとき、よけいな言葉をかけることなく、そっと隣に坐って、ともに時を過ごしてくれた人がいた。
最初は、自分のことで精一杯だから、無感覚である。ところが、だんだん時が経つにつれて、その人の息吹や体温が感じられ、同時に、いつか灰になっていたはずの心の、その灰の底にまだかすかな埋火があるのを知る。そこから、僕は回復していった。
いっしょにいてくれるだけでいい。そんな人を持つことができた人は幸いだと思う。
では、いっしょにいてくれた人は、単に与えるだけの存在かというと、そうではない。その人も、人をケアすることで、ケアされているのだ。
鷲田は、ケアについての聞き書きをする旅に出た。出会った人々は、僧侶兼看護師、絶叫する歌人、追いつめられた子供たちに寄り添う教育者、住宅から家族を考えようとする建築家、新宿二丁目でバーを営むゲイのマスター、健康ランドに癒される作家、先生と呼ばれる性感マッサージ嬢、医療従事者たちに患者の側に立ったコミュニケーションを教えるアクティビスト、心身不調を訴える人にかかわるダンスセラピスト、全身生け花師、病気を治さない精神障害者のグループホーム「ぺてるの家」のスタッフ――いずれも、弱者にかかわる人たち、あるいはマイノリティーに属する人たちだ。
彼らに出会ったこの旅で、鷲田は、「ケアというものについて考えるもっとも核心的なヒントにふれた」という。ケアを必要とする場面では、ケアする側が、逆にケアされている反転が起こる。
より強いとされる者がより弱いとされる者に、かぎりなく弱いとおもわざるをえない者に、深くケアされるということが、ケアの場面ではつねに起こるのである
ここから鷲田は、弱さの力を考えることになった。遠藤さんは、仮死状態で生まれたせいで、脳性麻痺になり、変形性頚椎症という障害をかかえた。24時間、他者の介護を必要とする。
遠藤さんは、職業的な介護士を雇うのではなく、高校生や大学生、外国人留学生、フリーターなどを時給650円でつのり、世話をしてもらう。介助をした若者たちはのべ1000人を超える。
あるときから介護者同士でノートを回し合うようになった。その一節。
――たぶん同じことを友だちに話しても、すごく軽くとられるようなことでも、遠藤さんなら一生懸命聴いてくれるし、本気で答えてくれるし、それがうれしかったんだと思いますね、その時は。
――あなたが言語障害を持っててよかったと思う。一言一言聞き漏らすまいと、耳を傾ける事ができるから。あなたが生まれてきてよかった。
遠藤さんは日記にしるした。
人に迷惑をかけること、それは大いに必要なことである
鷲田は、このようにいう。
いまにも倒れかけているひとがいると、それを眼にしたひとは思わず手を差しだしている。そういうふうに〈弱さ〉はそれを前にしたひとの関心を引きだす。弱さが、あるいは脆さが、他者の力を吸い込むブラックホールのようなものとしてある。そういう力を引きだされることで、介助するひとが介助されるひとにケアされるという、ケア関係の逆転が起こっている
あるいは、このようにも。
家族を通り抜けたところに生まれる「その他の[親密な]関係」、これこそ相互ケアという関係であり、遠藤さんが言っていた「支えあい」ということなのだろう
強いとおもわれている者、与えているとおもっている者が、実は、弱く、脆く、与えられているはずの存在からエンパワーメントされている。これは「普通」の人々が、社会的弱者やマイノリティーと呼ばれる人たちとかかわるときに、けして忘れてはならないことだ。
参考文献:
『〈弱さ〉のちから ホスピタブルな光景』(鷲田清一/講談社学術文庫)