連載エッセー「本の楽園」 第158回 月や、あらん

作家
村上政彦

 僕は、某大学で文芸創作の授業を担当している。毎年、100人近くの学生たちといっしょに小説の書き方を学んで、彼らの書いた作品を読む。そのなかで、必ず、この若者はいい小説家になるとおもう原石が見つかる。
 今年は不作だとおもう年は、ない。いつの年も原石は見つかる。これまでに3人の学生がプロデビューを果たした。いまも楽しみな教え子が何人かいる。そのうちのひとり、沖縄の教え子は、写真の腕もいい。
 僕は若いころに写真を組み込んだ小説を創作したが、早すぎたのか、まったく世人の眼に止まらなかった。数年前、やっと某批評家が運営するウェブマガジンで写真入りの小説を発表できた(もっともそれも反応はひっそりしたものだったが)。
 いや、語りたいのは、沖縄の教え子の小説だ。言葉選びのセンスがいい。言葉の運びもいい。人物はリアルだ。なにより、それまでの沖縄出身の小説家たちが書いてきた沖縄とは違う沖縄を書く。そのことに、僕は沖縄文学にも新しい波が生まれつつあるとうれしくなった。
 崎山多美の『月や、あらん』は、戦後に書き続けられてきた沖縄文学の秀作のひとつだ。

病床にいた私の母が戦時の宮古島で体験した「慰安婦」の記憶を語ったことから受けた衝撃を、娘として捨て置くことができず、ずいぶん悩んだ末、どうにか作品化した

「あとがきの代わりに」の一文を読んで、粛然とした気持ちになった。僕にとって、まず大切なのは、生きることだ。そのために小説を書く。崎山も生きてゆくためには、この小説を書かなければならなかったのだとおもう。
 冒頭にカフカの引用がある。これはしるしだとおもう、これから読者はカフカ的な世界へ入ってゆくのだという。

 主人公「わたし」は39歳の独身。なんとか市役所の広報課に嘱託として雇ってもらい、質素に暮らしている。ある夜、女友達(=イナグドウシ)高見沢了子から電話があり、仕事を引き継いでほしい、と頼まれる。
 その代わり、いま自分が住んでいるマンションの部屋を又借りさせてやるから、と。礼金・敷金なし、家賃は半額。わたしは仕事の内容も訊かないで、軽々と請け負った。
 了子は編集工房「ミドゥンミッチャイ(=女三人)」の中心スタッフ。文字通り、3人の女性スタッフで成り立っている、この小出版社は、経営のための軽い本もたくさん刊行するが、10年がかりで「戦時体験聞き取り」の『イクサ世、それぞれの闘い』12巻を世に問い、話題となった。
 わたしが了子のマンションへ引っ越した直後、『自叙伝』と題した分厚い本が送られてきた。そこには、こう書かれていた。

ミドゥンミッチャイ十三年間の思いの丈をこめた企画です。これが、ホントにホントの最後の一冊なので、あなたが大事にして下さい

 表紙には遺影のように黒枠で囲われたカーリーヘアーの女の顔写真が印刷されている。著者名は、どこにもない。ページをめくると、すべて白紙。わたしは誰かから呼ばれたように外へ出て、ミドゥンミッチャイに着く。そこには元スタッフの女性がいた。
 女性スタッフは、ここにあなたの知りたがっていることがある、と了子から受け取ったカセットテープを回して聴かせる。
 かつて無名のライターから、『泥土の底から――あるハルモニの叫び』という持ち込み原稿があった。

先の大戦中、この地に強制連行され戦後もこの土地で生き永らえたらしい、ある「従軍慰安婦」の隠蔽された人生の軌跡を、当の本人の語りで辿ったものだった

 了子は興奮して読み終えるが、その端正な文章の流れに違和感を持った。そして語り手を探し当てる。それは市内の病院に長く入っている80年配の老女で、すでに自分を語るための言葉を失って半世紀を超える、と主治医が説明した。
 老女の言動は克明に記録されていて、主治医に取材を繰り返したライターは自身の想像力も働かせて、その人生を再構成したとおもわれた。ノンフィクションとして出版することはできない。
 ただ、老女は狂った意識のうちにも、ごくまれに過去のトラウマを語ることがあるらしい。了子はそれを知って、病院へ通いつめる。老女が死ぬまで取材を続けた彼女は、ついに、生の言葉を聴く。

チョおセぇーン、……チョおセぇーン、ピィー、ばかに、しーるナッ

(老女は了子の頬を人差し指で突いて)

ホまへー、リュウちゅうドージン、もホおーッと、キータナイッ

 ここまでカセットテープを聴いたところへ、もうひとりの元スタッフがあらわれる。3人は了子の遺言らしいカセットテープの残りを聴く。老女の死からしばらくして、彼女のもとへ、「黄ばんだ和紙に墨で書かれた」丸太(巻物?)のような12本の原稿がとどいた。
 後日、送られてきた封書には、血をおもわせる朱色の文字で、「当方の素性を明かすことはならぬが送っておいたモノをどうにか世に伝え残す策を講じてほしい」とあった。了子は差出人を探すが、徒労に終わり、原稿の解読に努める。
 了子は、かすかに意味を汲みとりはじめるが、それを伝えようとするところで、カセットテープは終わる。わたしに残されたのは、白紙の『自叙伝』。空白のページを埋めることが引き継いだ仕事なのか?
 わたしは、『自叙伝』の表紙に印刷されたカーリーヘアーの女を探しはじめるが、作業は難航する。ミドゥンミッチャイの出版した本に囲まれて、狂気さえ覚え、外へ走り出ると、そこにはマブイ(魂)の群れがいた――。

 こうして、『自叙伝』の空白のページを埋める作業は引き継がれた。誰にって? これを読んでいる、あなたにです。

お勧めの本:
『月や、あらん』(崎山多美著/インパクト出版会)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「量子のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に、『台湾聖母』(コールサック社)、『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。