連載エッセー「本の楽園」 第155回 失踪願望。

作家
村上政彦

 80年代のなかばから90年代にかけて、シーナは僕のアイドルのひとりだった。シーナといっても、林檎のほうではない。誠のほうである。あちこちにあやしい探検隊として旅し、ぐゎしぐゎしビールを呑み、それを昭和軽薄体と称するかろやかな文章で書く。
『さらば国分寺書店のオババ』は、おもしろかったー。ただ、おもしろかったーという印象だけで、内容は、おそろしく本を大切にする、国分寺書店のオババのことしか憶えていない。
 そのころの僕は、まだヌーボーロマンの一味で、日本初のアバンギャルド小説を書くことに励んでいたので、シーナの書く文章は、大袈裟ではなく、衝撃だった。こんなふうに書いてもいいのかと驚かされた。
 それからしばらく、あまり僕はシーナの本を読んでいない。無意識のうちに影響を受けるのが怖かったのかも知れない。しかしあれから30年。シーナの新刊が出たと知ったので、もうそろそろいいだろうと、さっそく注文して読んでみた。
 愕然とした。シーナが77歳の喜寿だと? コロナで死にかけただと? そうか。僕も歳をとったのだから、当然のことか。それにしても、ああ、年月の流れは残酷だ。もう、シーナとは呼べない。ここからは椎名氏とする。
『失踪願望。』は、日記とエッセイがおさめられている。日記は、2021年4月から始まる。冒頭から、「ふとんをはこんでいたときにすべって一階ぶん落ちてしまった」事件が語られる。
 結果は、圧迫骨折である。椎名氏にとっては、「人生四回目の骨折」。高齢者(と書くのは気が引けるが、事実だからしようがない)には、きつい。おもうまもなく、しばらくして微熱が出る。

気がつけば東京女子医大のベッドの上だった。救急車で搬送されたようだ。週末あたりからの記憶がない。40度近い熱があったのでまずPCR検査を受ける。陽性だった

 日記の記述は、わりと淡白に書かれているが、エッセイの「新型コロナ感染記」には、闘病体験が詳細につづられている。仲間から喜寿のお祝いをしようと声をかけられて、集まって酒盛りをした。
 2日後、集まった仲間のひとりから発熱したと連絡があった。椎名氏は1回目のワクチン接種はすんでいるし、体調に異変もなかったので、ビールを呑んで寝た。しかし翌朝、37度5分の熱が出た。
 味覚にも嗅覚にも異常はなかったので、椎名氏は風邪薬を服んで寝た。このあたりから記憶があいまいになってくる。翌朝、大きな物音にびっくりした妻の一技さんが様子を見に来たら、椎名氏は仰向けで床に倒れていた。
 しゃべる言葉は意味が分からず、ろれつもまわっていない。熱は38度5分。近くに住んでいる息子がやって来て、これは普通ではない、と救急車を呼んだ。

ぼくの顔はもう土気色で生気はまるでなかったらしい

 家族は、椎名氏の顔を見るのは、これが最後かも知れないとおもったそうだ。2日後に意識がもどると、体中に管が刺さっていた。それからどうなったかは本書を読んでいただきたい。2年前の高齢のコロナ感染者のリアルが実感できる。
 さて、日記では10日後の6月30日に「放免」とあって、その後の生活がたどられるのだが、酒を禁じられ、頭はぼんやりとしていて、なかなか復調しない。

なんというか脳味噌の上部のほうに厚く重い雲が垂れ込めているようで

 半年ぐらいは、そんな状態がつづいて、「一時は筆を折ることまで考えた」。運転免許も返納し、うちでおとなしくテレビを見る。だんだん物が書けるようになってきて、大好きなSFを書き始めた――。
 そんななかで起きる、「失踪願望。」。複雑な感情の波。これは老いと関係があるものだろうか? 椎名氏に聴いてみたい。
 読後の印象を一言。シーナ節は健在だ! おもしろかったー&考えさせられた……。

お勧め本:
『失踪願望。 コロナふらふら格闘編』(椎名誠/集英社)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「量子のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に、『台湾聖母』(コールサック社)、『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。