連載エッセー「本の楽園」 第137回 ひとりで死んだ、ぼく

作家
村上政彦

 20歳になったとき、僕は遺書を書いていた。死のうとおもっていたのだ。興奮して一睡もせずに何やら次々と文字を書き連ねて、気がついたら朝になっていた。書き終わって読み返したら、憑き物が落ちたようにきょろりとして、なぜ、あんなに興奮していたのか、死のうとまで思いつめたのか、自分でもよく分からなかった。結局、僕は死ななかった。
 おかげで、ずっとあとになるが、いまの妻と巡り会って大恋愛をし、文学新人賞をもらって作家デビューを果たした。あのとき、死ななくてよかった、と心からおもう。若気の至りで命を絶っていたら、いまの幸せ(そう、僕は幸せである)はなかった。
 今回取り上げる絵本『ぼく』は、僕の好きな詩人・谷川俊太郎さんの文章に、谷川さんの指名した若いイラストレーター・合田里美さんが絵を描いた。テーマは重い。子供の自死だ。小学生の男の子がみずから命を絶つというストーリーである。

ぼくは しんだ
じぶんで しんだ
ひとりで しんだ

 これが冒頭の3行だ。絵では、ぼくの部屋や、「ぼく」が流れ星を見ているところが描かれている。なぜ、「ぼく」は死んだのだろう。実は、この絵本を買った読者が視聴できる有料のZOOMイベントがあって、谷川さん、合田さん、担当編集者が座談会をした。
 そのイベントでは、絵本を創作した、詩人、イラストレーター、編集者が、創作のバックヤードを語った。そこで谷川さんは、「ぼく」が死んだ理由や方法は、絶対に書かないと決めていたといっていた。
 その方針のせいか、絵本を読み終えても、「ぼく」がまだ生きているような印象があって、自死の衝撃や生々しさは、あまり感じない。谷川さんは、生きると死ぬ、はつながっていて、乖離したものではない、という。
 その思想は、

いなくなっても
いるよ ぼく

と表現されている。
 生と死は一つ、という思想は、仏教の生命観に近い。谷川さんは、自死をテーマにしたというが、確かに、小学生の男の子が死んで、読者はその自死について考えさせられるのだが、もうひとつ奥へ入ってみると、この絵本のテーマは、命そのものではないかとおもえる。
 谷川さんは、絵本の帯にしるしている。この絵本の企画は、

より深く死を見つめることで、より良く生きる道を探る試みです

 絵本のいちばん最後のページには編集部からの言葉がある。

「死なないでください」(略)
私たちのすぐ近くに「ぼく」はいます。
「ぼく」はもうひとりの自分かもしれない。
どうしたらすべての「ぼく」が、この世界でいきていくことができるのか。
この絵本をつうじて、考えていただけたらうれしいです

 昨年、日本では2万人を超える人が自死をしている。そのうち子供は473人。彼らがこの絵本を読んで、命そのものについて、よく考えて欲しいと、ひとりの大人として切に願う。

お勧め本:『ぼく』(作・谷川俊太郎/絵・合田里美/岩崎書店)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「量子のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に、『台湾聖母』(コールサック社)、『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。