日本共産党 暗黒の百年史――話題の書籍を読む

ライター
松田 明

「党史研究の最高傑作」

 さる7月15日、日本共産党は「党創立100周年」を迎えたと機関紙などで発表した。
 同じタイミングで1冊の本が刊行された。書名は『日本共産党 暗黒の百年史』(飛鳥新社)。著者は1985年に日本共産党に入党し、日本共産党本部に勤務。2015年には党歴30年の「永年党員」として登録された、元日本共産党・板橋区議の松崎いたる氏だ。

元党員が命がけで内部告発、
党史研究の最高傑作。
ソ連、中国、自衛隊、天皇、革命――
この政党がやってきたこと、
やろうとしていることがすべてわかる!(帯文より)


 松崎氏は党発行の書籍の編集、機関誌記者、東京都議団事務局員を経て、2001年から東京の板橋区議をつとめていたが、「他の党員がかかわった公金横領詐欺の不正事件を告発したことが、党中央の逆鱗に触れ」、区議の任期途中2016年に日本共産党から除籍された。
 400ページを超える大著だが、よくあるような離党者による批判本や告発本の類ではない。全編で展開されているのは、党が刊行した公式出版物や党幹部の著作、尋問調書、裁判記録などに基づく、きわめて緻密な〝党史〟の検証作業である。
 以下、本書のなかからいくつか興味深い箇所をたどってみたい(引用はすべて本書)。

コミンテルンから武器と資金

 日本共産党はコミンテルン(共産主義インターナショナル)の日本支部として1922年に結成された。非合法な地下組織として極秘裏に結成されたことを当局に探知され、翌23年6月5日には党員や関係者が一斉検挙される「第一次共産党事件」が起きた。するとコミンテルンの了解を得ないまま、じつは結党2年目の1924年に一旦は解散している。
 この解散に対し、コミンテルンは「日本問題に関する決議」を発表して、次のように非難した。

(コミンテルンに)相談することなく、党を解散したことは、コミンテルンの歴史に先例のない、共産主義インターナショナルが依って立つ根本原則に背馳する重大な規律違反である。

 この「決議」では「規律ある共産党を日本に創出するために、必要と考える措置を取るよう指示する」とされ、上海にあるコミンテルン極東局によって資金や武器が交付された。
 本書では、当時の内務省警保局保安課「日本共産党検挙状況」(1929年)から、その資金の支出内容まで明らかにしている。あきれたことに、党幹部たちは資金を連夜の芸妓遊びに使っていた。

「暴力革命」路線の舞台裏

 昨年の総選挙の際、日本共産党がかつて「51年綱領」で「暴力革命」路線を採択し、警官の射殺や暴動などを各地で起こして、それが公安調査庁の設置につながった歴史にあらためて世間の注目が集まった。
 本書では、戦後の日本共産党がこの暴力革命路線に踏み込んでいく経緯も資料をもとに詳細に記している。
 現在の日本共産党は、この「51年綱領」を党の正式な綱領ではないと言い、「暴力革命」路線は徳田球一や野坂参三ら〝分裂した一方〟の勢力が勝手にやったことで、宮本顕治(1970年~82年まで党委員長。97年まで中央委員会議長)の流れをくむ現在の日本共産党とは無関係だと主張している。
 だが本書は、ほかならぬ党の機関誌『前衛』1946年3月1日号に掲載された宮本顕治の論文を紹介し、

宮本は、占領下ですら、暴力革命が可能であると主張していたのである。宮本のこの暴力革命論は、当時の徳田、野坂の革命論を超えるさきがけの理論だったといえる。

と指摘。いわゆる「51年綱領」についても、こう記している。

一九五一年四月、スターリンは「北京機関」の徳田、野坂をモスクワに呼び、日共の新綱領策定のための会議を開いた。この会議には在ソ中国大使も毛沢東の代理として参加した。こうしてソ連共産党、中国共産党、日共の合作によって出来上がったのが「日本共産党の当面の要求――新しい綱領」いわゆる「五一年綱領」である。

 なお、この「51年綱領」の暴力革命路線が実際に引き起こした工作活動やテロの数々についても、本書は裁判記録などをもとに紙幅を割いている。最近の共産党議員や支持者のなかにはこうした忌まわしい過去をよく知らずに、本気で〝平和の党〟〝護憲の党〟などと信じている者がいるようだが、自分の目で虚心坦懐に本書を読んでみるといい。

東側の核兵器は〝平和の力〟

 現在、ニューヨークの国連本部ではNPT(核拡散禁止条約)運用検討会議が開かれている。
 1964年10月16日に中国が核実験にはじめて成功した。2週間後の10月30日の参議院予算委員会で日本共産党の岩間正男議員は、

社会主義国の核保有は帝国主義国のそれとは根本的にその性格を異にし、常に戦争に対する平和の力として大きく作用しているのであります。その結果、帝国主義者の核独占の野望は大きく打ち破られた

などと発言した。西側諸国の核兵器は〝汚れた核〟で、東側の核兵器は平和をもたらす〝きれいな核〟だというのが日本共産党の論理だったのだ。
 ちなみに日本の国是となっている「非核三原則」の国会決議(1971年)にも、日本共産党は本会議を欠席して抵抗している。

日本共産党の改憲論

 さて、本書の最後に登場するのは「公明党との憲法論争」だ。
 じつは日本共産党が綱領を改訂し「天皇制」を含む日本国憲法の全体を容認したのは、わずか18年前の2004年のことに過ぎない。そもそも憲法が制定される際の国会で、党としてこれに反対を唱え、将来の改憲を主張していた唯一の政党が日本共産党なのだ。
 半世紀前の1971年、日本共産党は公明党との間で公開質問状をもって「憲法論争」を展開した。その内容は日本共産党が1975年9月に発行した『日本共産党と憲法問題――公明党への回答と質問』にまとめられている。
 本書は、この論争のなかで日本共産党が〝将来において憲法を改正することは当然だ〟と主張している箇所を引用紹介し、次のように皮肉っている。

いまの自民党に教えてあげたくなるような堂々たる改憲の主張である。また、ここでは改憲をしなければ社会主義は実現できないと言明している点が重要だ。革命と護憲はもともと相容れないということだ。

 日本共産党は日本を「社会主義・共産主義の社会」に革命することを党綱領に掲げている。日本国憲法のもとでそのような国家体制はあり得ないわけで、つまり同党にとって日本国憲法の改憲は不可避の話なのだ。
 だからこそ1970年代には将来における憲法改正を堂々と語っていた。その日本共産党が、今は〝護憲の党〟などと自称し、あいかわらず「革命」を掲げながら、なぜか天皇制を含む憲法の全条項を守ると主張を変えている。

宮本顕治がかつて、戦略的任務を隠蔽することは「大衆に対する欺瞞」だと語ったことは先にも述べたが、志位はまさにその「欺瞞」を実行している。

 過去からの矛盾を蓄積させていった結果、結党100年の日本共産党は「革命」と「憲法の遵守」の両方を主張するという欺瞞に満ちた姿になってしまったと本書は論をむすんでいる。
 自衛隊をめぐる同党の矛盾と欺瞞に満ちた主張など、この政党の真の姿を知る、読み応えのある貴重な1冊だ。

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